無料ブログはココログ

« 濱野智史「アーキテクチャの生態系」(7) | トップページ | 濱野智史「アーキテクチャの生態系」(9) »

2011年5月21日 (土)

濱野智史「アーキテクチャの生態系」(8)

三番目に3D仮想空間サービスの「セカンドライフ」をみる。これは「メタバース」という仮想空間を、アバターと呼ばれる自分の分身のキャラクターを使って楽しむことができるというサービスだ。そして、仮想空間上の土地を所有し、誰もが自由にオブジェクトを持ち込む/建設することができるというUGCのプラットフォームとしての性質で、簡単なゲームであればユーザーの側が作成することも可能だった。しかし、ふたを開けてみると閑散とした状態になっていた。その大きな原因は、そのアーキテクチャによるものと考えられる。それは時間性にある。セカンドライフは、そのコミュニケーション空間上に参加する主体が、同じ現在を共有するという意味で、同期型のコミュニケーションサービスといえる。この特徴を、ツィッターの選択同期、ニコニコ動画の擬似同期と区別するために、「真性同期」と呼ぶ。セカンドライフが閑散としているように見えるのは、一人のユーザーが必ず単一の場所にしか存在することができないという事実に由来する。例えば、一日前にはたくさんのユーザーが集まって賑わっていた仮想空間上の場所も、次の日には誰もいなくなってしまう、ということがあり得る。これは同期型コミュニケーションに特有のものだ。これは、非同期型のそれよりも「機会コスト」が高いと言うことができる。たとえば、ある人とチャットをするということは、他の人とコミュニケイションする機会を失ってしまうということだ。

では次に、閑散となってしまったセカンドライフに比べてニコニコ動画が活況を呈しているように見えるのは何故かという点を考える。重要な点はニコニコ動画の擬似同期的コミュニケーションがもたらす臨場感・一体感はその場限りのものではないという点だ。セカンドライフのような真性同期で臨場感を共有できるのは、その時と場所を共有した人々の間に限られる。その時間が過ぎ去ってしまえば、あとから参加してきた人には、決してその臨場感を共有することはできず、祭りの後の状態が現われ、臨場感は揮発してしまっている。これに対して、ニコニコ動画では、付されたコメントはシステム上に蓄積され、誰が映像を視聴しても同じタイミングで表示されるため、臨場感・一体感は何度でも反復して再現される。つまり、真性同期型アーキテクチャが祭りの後を不可避に生み出してしまうシステムだとすれば、擬似同期型アーキテクチャは、いつでも祭り中の状態を作り出すことで閑散を回避するシステムであるということができる。比喩的に言い換えれば、祭りの賞味期限が氏族されやすいのだ。こうしたニコニコ動画の特徴をメディア論的に捉えるならば、それは「いま・ここ性」の複製技術ということができる。ベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』において、絵画や彫刻などの芸術作品は、「いま・ここ」に現前しているという一回性のアウラを持ち得たが近代の写真や映画などの複製技術は、その一回性を奪ってしまったと説いた。しかし、ニコニコ動画の登場は、こうしたベンヤミン的な構図の前提そのものを崩してしまう。とういうのも、ベンヤミンの「アウラ」は一つの身体は一つの場にしか存在できないというリアルワールドの制約条件を前提にしているが、ニコニコ動画は「いま・ここ」を、アーキテクチャの作用によって複製してしまう装置になっているからだ。つまり、芸術作品というコンテンツが複製可能なのではなく、それを「いま・ここ」で体験すると言う経験の条件が複製可能である。それは、情報環境=アーキテクチャの出現による複製技術のラジカルな進化と捉えることもできるのだ。

このような擬似同期型のサービスが日本にだけなぜ興隆しているのか。単に動画を見て、それをネタにどこか別の場所でコミュニケーションを交わすということならば、何もニコニコ動画である必要はなく、ユーチューブだけでも良かったはず、にもかかわらず、なぜニコニコ動画は日本で生まれたのか。その答えは、2ちゃんねるやミクシィのような日本特殊型のアーキテクチャと同様に「繋がりの社会性」によるものだ。コミュニケーションの内容よりも、その事実が第一の繋がりの社会性は、ニコニコ動画でも、画面上に肝心の動画が見えなくなる程にコメントが付くところに明瞭に現われている。

« 濱野智史「アーキテクチャの生態系」(7) | トップページ | 濱野智史「アーキテクチャの生態系」(9) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 濱野智史「アーキテクチャの生態系」(8):

« 濱野智史「アーキテクチャの生態系」(7) | トップページ | 濱野智史「アーキテクチャの生態系」(9) »