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2011年5月23日 (月)

濱野智史「アーキテクチャの生態系」(9)

第七章 コンテンツの生態系と「操作ログ的リアリズム」

ここでは、ソーシャルウェア上に生み出されるコンテンツについて見ていく。その題材として「初音ミク」と『恋空』を取り上げる。

「初音ミク」は、あたかも人が歌っているかのような楽曲用の歌声を、ユーザーが自由に制作することができるソフトウェアで、架空のシンガー初音ミクが歌うという設定のものだった。この初音ミクは、ニコニコ動画とともに日本のVGMシーンを牽引し、また代表するものとなった。発売直後から、次々と初音ミクを用いた作品ニコニコ動画上にアップロードされ、その後は、そのソフトを用いて作られた楽曲だけにとどまらず、さまざまなジャンルに派生作品・二次創作を生み出した。まさに多様なUGSを胚胎するプラットフォームとしての役割を果たした。とは言え、初音ミク以前には、同じような歌声を製作する製品はいくつも存在した。その中で、なぜ初音ミクだけが、このようなことになったのか。

それは、一言でいえば初音ミクというキャラクターが萌え要素を備えていたからだ。要するに、人々は初音ミクに萌えたということだ。発売当時の開発元は、初音ミクのキャラクターとしての側面は、あくまでボーカロイドという製品の付随的側面として位置づけられていた。提供元からすれば、おまけ要素にすぎなかったものが、むしろユーザーの二次消費の中心的要素として受け入れられた結果になったということだ。ユーザー側から言えば、「自分の作品」としてソフトウェア「初音ミク」の音声素材を用いるよりも、キャラクター<初音ミク>を仮構しつつ「歌わせてみたい」欲望こそが、初音ミクブームの原動力となった。

そして、ニコニコ動画という場所があった。初音ミクに限らず、ニコニコ動画上では、①不特定多数のユーザーがコンテンツの協働制作プロセスに関与することで、②次第にコンテンツの質が改善されていき、③その結果、制作されたコンテンツはユーザーの間で共有され、ほかのコンテンツの素材(二次創作の対象)にもなっていく、というサイクルが見られる。これは、次のような点からオープンソースやウィキペディアと類似している。

    一点目はコラボレーションの「組織形態」。すなわち既存のハイアラーキー型組織とは異なる、ネットワーク型の組織形態でコラボレーションが行われるということ。

    二点目はコラボレーションによって「生産される財の性質」。すなわち、既存の工業製品(=ハードウェア)とは異なり、常に製品の質をネットワーク経由で改善できると言うソフトウェアの性質。

    三点目は、そのコラボレーションの結果生み出された「財の所有形態」。すなわち参加者間の間でその財が「コモンズ」として共有されていくということ。

ここで著者は、ニコニコ動画上の初音ミク現象とオープンソースとの共通点ではなく、ある一つに差異に着目する。一般に、オープンソース的開発手法が特に優れているのは、プログラムの精度検証(バグチェック)のリソースを広く効率的に確保でくる点にあると言われてきた。これは、裏を返していえば、オープンソースと言うコラボレーション形態が有効に機能するのは、その生産物であるコンピュータプログラムが客観的に評価可能な指標を有しているからだといえる。もし仮に、そのコンテンツの評価基準が曖昧なものだったら、不特定多数のユーザーがその品質のチェックに参加しようにも、そもそも何を以て良い製品なのかをめぐって意見の対立が生まれてしまい、コラボレーションどころではなくなってしまう。これに対して、ニコニコ動画上でアップロードされる音楽・映像といったコンテンツの場合は、ごく一般的には趣味的な情報財カテゴリーだとされている。つまりそこには、コンピュータプログラムのような道具的な生産物とは異なり、コンテンツを<客観的>に評価しうる外的基準は存在しておらず、最終的には人それぞれの<主観的>な評価に頼らざるを得ない。だとすれば、その質を<客観的>に検証・評価できないコンテンツについては、オープンソース的な協働開発形態がそれほど有効に働かないはず。しかし、ニコニコ動画では、人々は個々にバラバラな<主観的>な評価基準によってコンテンツを評価しておらず、ほとんど<客観的>と呼べるほど明確な評価基準を共有しているのではないか、と言うことができる。このようなニコニコ動画の提供する評価情報がとりわけ<客観性>を強めるのは、「擬似同期型」アーキテクチャによるものだと考えられる。動画コンテンツの上に、そのままコメントが被さるインターフェイスによって、素晴らしいとユーザーが感じたシーンにはコメントが大量につけられる。つまり、コンテンツのどの部分が人々に受け入れられているのか・評価されているのかといった情報は、ただ動画を再生し、そこに流れるコメントを見ているだけで、一目瞭然で明らかになる。さらに、コメントが文字でなされるので、人々がどの点を評価しているのかについても、はっきりと見分けることができる。このようにニコニコ動画特有のインターフェイスが、本来であれば<主観的>なものになりがちなコンテンツの評価基準を、<客観的>と呼べるレベルに引き上げる効果を発揮しているということだ。

ただし、このような<客観性>の共有されている範囲は、あくまでニコニコ動画の内側に限定される。なぜなら、ニコニコ動画上で共有されている評価基準は、このコミュニティにおいてのみ強く共有されているという意味で「限定客観性」とて゜も呼ぶ性質を有しているからだ。著者は、情報社会とはこうした「限定客観性」の有効範囲を、ほかならぬアーキテクチャによって画定する社会のことと定義できるとし、昨今の日本の情報環境において、その画定に最も成功しているのがニコニコ動画だったと著者は言い、だからこそ初音ミク現象はニコニコ動画で大きく花開いたと言う。

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