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2011年5月10日 (火)

三品和広「戦略不全の論理」(10)

2.不可分性

戦略は、オペレーションのパッケージである。分業に付された「部分」のコーディネーションを司るためにこそ、戦略は存在すると言ってよい。だから戦略は、絶えず「全体」の一体性を保証するものではなくてはならない。たとえ見ていても戦略を模倣することが難ししいのは、それが大きな塊として初めて意味を持つからなのである。

現代の大企業の規模と生産性を支えているのは分業というシステムである。その分業の大きなメリットの理由として、アダム・スミスは次の3点をあげている。作業の単純化が手先の習熟を促すと言うのが1点。作業の専業化が段取りを固定費用化する、即ち、作業から作業へと移るたびに段取りをしなくてもよくなると言うのが2点目。そして、作業の単純化と専業化が作業者自身による作業の機械化を後押しするというのが3点目である。スミスのあげる理由はこれだけだが、著書はこれらに加えて、分業が許容する知識の多様化を指摘する。現代の社会は1人1人が異なる知識を持っていても機能する分業社会を我々が発展させたからこそ、社会全体の生産力が飛躍的に増大したと言う。そして、企業の巨大化を支えるのは、実はこの知識の分業に他ならないという。現代の大企業は、事業、職能、地域に応じて人が分かれ、精緻な分業の体系を築き上げている。企業として抱える知識の総体は、確実に上昇の一途にある。それが生産性の向上をもたらし、企業の巨大化を可能にするのである。

しかし、企業内分業は、良いこと尽くしでしない。スミスが指摘するように、分業は人の注意の焦点を限定するのである。限定された領域の中では注意の密度が上がるため望ましい効果も見込めるが、その外側では深刻な弊害が発生しかねない。現代の大企業は、研究、開発、生技、品質、購買、製造、物流、営業、情報、人事、経理、法務といった職能部門にあたかも当然の如く分かれている。必要とされる専門知識に応じて要素的に仕事を分解しているわけである。ここでは注意の焦点が局所化される。視野が限定されると、人はどうしてもその中で物事を判断するようになる。視野の内と外では入ってくる情報量に圧倒的な差ができるため、一種の非対称性がここで生まれるのである。自分下す判断が視野の外で何らかの影響を持つことは分かっていても、その影響に関する情報が入ってこなければ、あたかもむ視野の外は存在しないがことくに振る舞うしかないのである。そこで、担当外職務のパフォーマンスを傷つけるような判断を、分業は善意の人にさせてしまう。部分最適化という現象である。

分業は、本当にそれを生かすためには、他方で統合を必要とする。統合、またはコーディネーションによって部分最適の弊害を抑制しないと、分業の利を害が上回ることになりかねない。戦略の存在理由は、ここにあると言ってよい。経営は分業するものであるが、戦略を分業するということは原理的にあり得ないのである。戦略は、高度に統合されたパッケージでなくてはならない。さらに、戦略とオペレーションは不可分に結びついていなければならない。戦略なきオペレーションは、いくら斗力を積み重ねても長期の高収益に結びつかないし、戦略がオペレーションから遊離すれば空理空論に陥る。

その象徴が経営トップである・長期に高収益を実現している企業では経営者が現場に強いことも共通している。現場が部分最適に陥ることを防ぎ、全体の統合を保つためには、経営者が雲の上に鎮座していては話にならない。組織がいくら巨大なっても、視野に制限がかからないのは、経営者だけなのである。分業の枠によって与えられた役割に制限されることなく、自由に動き回れるのも経営者だけなのである。経営者が全体と部分間を上下動することによって、初めて戦略は統合の要件をみたすことができるのである。

3.非可逆性

戦略は、取り消しや、やり直しが可能なものではない。簡単に手を戻すことができるならば、試行錯誤を通して逐次最適を図ればよいだけである。そういう施策が競合他社との間に決定的な収益力の差を齎すことはあり得ない。戦略は、それが有効であるためには、後戻りができない選択に自らを縛り付けるコミットメントでなくてはならないのである。これが第3の要件になるのである。

企業は、単年度を基本サイクルとして活動する。中期計画といっても、たかだか向こう3年をにらむ程度である。それを超えてプランニングをしても、市場や技術がダイナミックに変化していくために、プランの仮定が崩れてしまい、意味がないと言う。組織的なプランニングをしようとすれば、確かにそのとおりであろう。ただし、戦略とプランニングは別物である。戦略を考えるとき、もっと長期の因果関係に依拠した上で、強い企業や事業をつくるという発想を持たねばならない。企業の命運や長期収益は、新商品の開発や市場投入、マーケティングのようなところで決まるのではない。商品を超越する次元にある企業や事業の構え、そしてそういう構えを左右する大局的な判断、商品のはるか以前に来る判断なのである。

大局的な判断は、あとから振り返れば、どの意思決定がそれに相当するのかを特定することは可能であろう。ただし、判断を下す当事者にしてみれば、事後的にあれがそうだったと指摘されても仕方がない。これがそうに違いないという具合に、どの意思決定が戦略性を帯びる大局的な判断に相当するのか、事前にわかるものではない。当初は小さな意思決定が結果的に大きな差につながるということは、経営においてはよくある現象である。

最初の判断は、小さな偶然に見えるかもしれない。しかし、判断が蓄積に転化するプロラスを経て、その功罪は何倍にも拡大されることになる。そういう判断こそが、結局のところ超長期的における企業の業績を決定的に左右するのである。それを大局的な観点から的確に下し、その意図を貫徹することは、社員が何十人いようが、経営者その人にしかできない仕事である。

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