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2011年5月30日 (月)

大塚英志「アトムの命題 手塚治虫と戦後マンガの主題」(5)

こういった手塚の発見は『勝利の日まで』における第三の技法、第三の文体として最終的に現われる。それは、次のような下りにおいて、まさに発見され、あるいは発生するのである。トン吉くんと名付けられた少年が空襲に遭い、地価の防空壕に避難している。彼は迫り来る戦闘機の爆音から「一体何機編隊か当ててみよ」という教師の質問に対し、「見た方が早いや」と防空壕の外に身を乗り出す。そして、彼方から飛来するB29の数を数える。B29はやがて、彼の頭上に来る。この数コマで特筆すべきなのは、記号的な作画技術で描かれた少年とリアリズムで描かれた戦闘機が同一のコマの中に描かれる、つまり、記号的な世界に現実が侵入してきたことにある。それは夢であることに担保された世界でリアルな戦闘機による空中戦が繰り広げられるのとは全く異質の事態だ。B29は彼の上めがけて爆弾を落とす。この下からB29を見上げるシーンは、手塚の体験に基づくリアリズムであり、戦前のまんがからの単なる引用に止まらないことに留意すべきだ。また、映像的手法を構成する一要素である遠近法が一連の空爆シーンで用いられているにも注意を喚起したい。手塚の映像的手法はただアニメーション的手法や、手塚以前にこの手法をまんがに導入していた何人かのまんが家たちからの引用ということにとどまらず、記号的非リアリズム表現が、それを超えるものを表現することを求められたとき、手塚の中で発生したのだと言える。『勝利の日まで』の直前に描かれた別の習作では、ストーリーまんがでありながら、このような遠近法的構図はほとんど用いられていない。つまり、ストーリーまんがと映像的手法とは実は異なるきっかけで手塚の中で発生しているのである。手塚まんがにおける技術革新は手塚が戦後まんがに導入したドラマツルギーとの関わりの中で論じられ、時に手塚さえもそのように自己言及してきたが、それは必ずしも正しくないのである。再び、このシークエンスに戻る。次のコマで爆発が起き少年は飛ばされるが無傷であり、「先生、今のは何キロ爆弾です」と、先生のセリフをふまえたギャグを口にさえする。衝撃を表わす星や、気が遠くなったことを示す渦巻といった約束事の記号が描かれている。この時点ではトン吉くんが受けた身体的ダメージはまんが表現の約束事の記号の中に回収することが可能である。リュティ的に形容すれば、トン吉くんは平面的で、傷付く身体を未だ持ってはいない。だが、防空壕の外に放り出された彼を、今度はグラマンの機銃掃射が襲う。グラマンは頭上から二度にわたって彼に迫る。トン吉くんは必死の形相で逃げる。注意すべきは、このくだりにおいて、対象物との遠近をまんがの構図の中に取り入れ、左右へのキャラクターの平板な移動ではなく、画面の奥から手前(あるいはその逆)に激しく移動させ、かつ、逃げまどうトン吉くんの数コマの中に一コマだけ機銃を発射するミッキーマウスのショットが挿入されるという、手塚の映像的手法がほぼ完成された形で突然、出現する点である。こまシークエンスこそが手塚まんがにおける映像的手法の発生の瞬間である。決して映像的手法はストーリーまんがの副産物ではないのだ。しかし、この『勝利の日まで』において、手塚が戦後まんがに持ち込む手法が発生するに至ったのは実は映像的手法と止まらない。映像的手法も、リアリズムと記号まんがの非表現の拮抗の上ら成立したものだが、記号的まんが表現は更に決定的な変化を遂げるのである。グラマンの機銃掃射を受けたトン吉くんは力尽き転倒し、そして十字砲火に襲われる。そして、次のコマで「アッ」と仰け反り、胸許を押さえるトン吉くんが描かれる。その胸許からは三筋の血が流れ落ちているのだ。こコマは極めて重要である。つまり、手塚はここで記号の集積に過ぎない、非リアリズム的手法で描かれたキャラクターに、撃たれれば血を流す肉体を与えているのである。著者は、この一コマに手塚まんがの、そして戦後まんがの発生の瞬間を見る。のらくろ的な、ミッキーマウス的な非リアリズムで描かれたキャラクターに、リアルに傷つき、死にゆく身体を与えた瞬間、手塚のまんがは、戦前・戦時下のまんがから決定的な変容を遂げたのである。

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