三品和広「戦略不全の論理」(3)
第二章 データに見る戦略不全
前章を受けて、本章では日本企業の実力をデータによって検証していきます。
1.全上場企業の時系列業績推移
著者は1960年以降の40年間にわたる上場企業の業績データを分析して次のように結論付ける。
上場企業の売上高成長率はGDPの成長率をはるかに上回っている。その意味でき、日本の経済成長を牽引してきたのは間違いなく製造業の大手企業である。ただし、問題は、これが利益を伴わない拡大であったことにある。それこそが戦略不全の現われである。
日本の製造業に対して我々が抱いているイメージは幻想と呼ぶのがふさわしいほど現実から乖離してしまっている、と言わざるを得ない。日本には「モノ造り大国」という自負があるが、それはあくまでも製品開発や開発効率における競争力の高さが証明されたからのことにすぎない。実際には、製造立国という考え方が成立するほど日本の製造業は儲かっていない。それどころか収益力の長期低落傾向に歯止めがかからなかった結果として、日本の製造業は今や資金コストの負担能力が問われるところまで追い詰められている。利益なき成長の陰には、戦略不全が存在する。
2.有料大企業の産業別日米比較
日米企業で収益力を比較してみると、日本企業はほぼ完敗という状態である。産業別の比較でも、製造業を含む全部門で日本企業が劣位にあることは明らかである。より細かな産業分類で見ても事情は変わらない。日本に比較優位があると言われてきた鉄鋼、電気・電子、電子部品・電気計測器、家電・家庭用耐久消費財をはじめとして、ほとんど全教種で日本企業の収益力は米国企業と比べ物にならないほど低い。
ここにモノ造り大国の幻想が現れている。製造業は日本のお家芸で、米国は空洞化が進んだかのような印象があるが、実態はどうも違う。真相はこういうことであろう。日本が参入した分野では確かに日本勢が市場を席巻したが、そういう分野はえてして儲からない構造にある。それに対して米国勢は、日本が参入できていない高収益分野をしっかりと押さえ込んでいる。日本企業の収益力の低さは今に始まった話ではなく、日本企業が絶頂期にあった1980年代にも低かったしも続くバブルのピークにおいてもそうであった。
このような日本企業の低収益の原因はどこにあるのかを考えると、日本企業の劣位は資産効率より、むしろ売上効率において顕著である。そこで、問題の核心は利益なき拡大、または利益を犠牲にした成長の追求にある。米国との相対比較ではそう言わざるを得ない。そこでの、日米比較から見えてくるのは、日本の大企業は、規模の優位性を生かし切れない状態に陥っている。もともとの優位が構造的な要因に依拠していないのか、時代の変化に取り残されたのか、そのどちらかとしか考えようがない。
日本企業に典型的に見られる戦略不全の症候群は、まとめると以下のように記述できるであろう。まず表に出るのは収益力の低さである。それも、売上のいたずらな拡大からくる低収益にほかならない。開発部隊が新製品を造れば作るほど、製造部隊がモノを造れば造るほど、営業部隊がそれを売れば売るほど、どんどん深みにはまっていくような低収益の図式である。実務部隊の第一線が一生懸命努力しても、その努力を収益という果実に結びつけるための何かがここでは欠けている。戦略の欠落を感じさせる症候と言ってよい。戦略の欠落は、環境の良しあしを問わずに低収益を体質化する。追い風の吹く環境で、実務部隊が合議で合意を形成するとしたら、共通して認識された合意しやすい選択肢、いわゆる「流れにつく」選択に落ち着く。こういう選択肢は、実は競合他社にとっても合意しやすいことが多い。その結果、同類の企業は市場で正面衝突を繰り返し、差別化の努力も小手先で終わることになる。一方、向かい風の吹く環境で、何かをするとしたら選択肢は多岐にわたり、容易には合意に至らないであろうが、ひとつだけ共通して意識にのぼる選択肢がある。様子見である。かくして逆風下における戦略の欠如は無為無策を半ば保証することになる。これに対して、米国企業で目立つのは、暴走型といえるような経営トップの戦略構想が現実にそぐわなかったり、実務部隊による遂行が伴わないようなケースである。
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