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2011年5月25日 (水)

大塚英志「アトムの命題 手塚治虫と戦後マンガの主題」(1)

Atom_21章 映像的手法という神話。

手塚治虫のまんが表現の起源は、通常、昭和22年に刊行された『新宝島』とされている。そして、この『新宝島』が戦後まんがの出発点とされてきた。それは、一つには、40万部から80万部を売ったと言われ、その商業的成功が「赤本」を中心とした戦後で最初のまんが出版ブームを作ったとされてきたこと、もう一つは手塚治虫の影響下に出てきた藤子不二雄や石森章太郎といったトキワ荘グループのまんが家たちによる神話化によるとろだ、と著者は指摘する。

トキワ荘グループのまんが家たちは昭和40年代以降、まんが家としての地位が確立し、自己のまんがの方法論を理論化しようと試みた時、それと同時に自身のまんが体験を回想した文脈の中で『新宝島』体験がいささか特権的に語られていた。そこで語られていたのは、手塚まんがの革新性を「映像的手法」に見出し、その上で戦後まんがの方法を『新宝島』に見出そうという歴史観に他ならない。つまり、戦後のまんが史及び戦後まんがの方法論は『新宝島』を起源とする映像的手法によって開拓されてきたことが定説であり、そういった「方法」における起源が手塚治虫を「まんがの神様」の地位に押し上げてきたとも言える。

その「映像的手法」とは、具体的に言うと、“映画のカメラ・ワークを意識して画面を構成していることがあげられる。そして、コマ運びが映画的に進行するのである。『新宝島』以前のまんがは、どちらかというと、コマとコマとの間に断絶があり、一つのコマで多くを説明しようとしていたのである。ついでながら、コマというのは映画用語であり、映画の一コマは、意味を成していない場合もありうる。つまり、いくつかのコマが集まって、一つのシーンとなり、シークエンスへとつながっていくのである。一コマで意味を持っているものは、映画というより写真であり、それが映画としての価値を発揮するのは、各ショットの積み重ねにより、観客を一定の方向に引っ張っていけるからである。まんがにも同じことが言える。『新宝島』の一コマは、絵としてなっていない場合がたくさんある。しかし、ストーリーまんがとして、作品全体をながめたとき、その一コマは、実に効果的であり、妥当性を持ってくるのである。ここのところが、これまでのまんがの観念とは、大きく違っている点である。だから、一枚の絵としての構図や、デッサン力といったものより、『新宝島』では、全体の構成が大きくものをいっていて、それが映画的なプロットとなって表現されている。”これを見た当時の読者の一人であったトキワ荘グループのあるまんが家は、静止しているまんがが動いて見えたと述懐するのだ。

ところで、興味深いことに、手塚自身は映像的手法について語っていないということだ。つまり、「映像的手法」という言い回しで手塚まんがの方法を語る言説としては後付だった。トキワ荘グループによって読者に対して論理的に言語化され、戦後まんがの方法として認知されていったものだ。

これらのことから、次のようなことが仮説的に考えられる。一つ目は、手塚治虫にとって映像的手法とは、必ずしも自身のまんが技術にとって中心的にものとして自覚されていなかったのではないかということ。二つ目は、手塚はそもそも自身の方法を体系化する論理性を持たず、手塚的方法のうち映像的手法に関する体系化は昭和40年代に石森、藤子といったトキワ荘グループの人々によって、むしろなされたのではないかということ。三つ目は、それらの方法の体系化、言語化の過程においてこそ、戦後まんがの起源としての『新宝島』が再発見されたのではないかということ。手塚自身、後のリメイク版の後書で『新宝島』の神話化に水を差す発言をしている。また、トキワ荘グループと同世代の人の中でも、『新宝島』体験を絵のバタくささに見出したとい回想している人もいたことから、『新宝島』体験が全ての読者にとって映像的手法の体験ではなかったことを示す一例といえる。

ここで、著者は映像的手法以上に手塚まんがの本質を規定するものとして、まんが記号説を提出する。ここでは、その前段階として、手塚の絵のデフォルメについて考察している。デフォルメとは描写の対象の特徴を誇張して表現する画家技術で、一部では手塚まんがの本質的な手法だとされてきた。しかし、例えば『新宝島』に登場するジャングルや海賊かちは、ジャングルや海賊をデッサンしてデフォルメしたものとは全く異なる絵として、ジャングルや海賊は、それらしく描かれている。それは、まんがという表現の中のジャングルや海賊という類型的なイメージにいかに正確に対応する類型的な図像を持ち出してくるということだ。そして、手塚はそういう技術に秀でていた。だから手塚にとって、デッサンとは対象を正しく写実する方法ではなく、描かれた絵、それ自体のバランスにすぎない。

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