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2011年5月18日 (水)

濱野智史「アーキテクチャの生態系」(5)

第四章 なぜ日本と米国のSNSは違うのか?

本章では、「ミクシィ」と「フェイスブック」を扱う。この両者は同じSNSと呼ばれても、そのアーキテクチャに大きな違いがあり、その比較を行っていく。

「ミクシィ」の特徴は、ユーザーになるためには、既にミクシィを利用しているユーザーから招待してもらう必要があるということだ。また、「ミクシィ」内のあらゆるページは、ミクシィユーザーでなければ見ることはできない、いわば、「ミクシィ」は前章までのウェブからは隔絶された空間になっている。これを「招待制型アーキテクチャ」と呼ぼう。このような閉鎖的な「ミクシィ」が日本でとりわけ受容されたのは、一般的に、「ミクシィ」の外側のウェブ空間に比べて、安心で安全なコミュニティだからと言われている。これは「ミクシィ」のサービス開始当時の状況も反映している。当時のネットの存在はダークでアングラ的なイメージが強かった。「ミクシィ」というSNSは、雑多で猥雑なウェブ空間から「隔絶」したアーキテクチャとして人々の前に登場した。言ってみれば。それは「グーグルからの逃走」を実現するアーキテクチャだったと言える。

「ミクシィ」のアーキテクチャは、招待されざる者のアクセスを遮断し、招待された者だけをその内側に引き入れる。そして、その内側の住民たちの行動履歴を逐一追跡し、住民間の覗き見の自由を奪い、足跡という強制的関心の儀礼を自動的に発生されるものだった。これは、米国の富裕層向けの高級セキュリティ住宅街として知られる「ゲーテッド・コミュニティ」の姿に擬えることができる。「ミクシィ」は予期せぬ他者との接触や討議の機会に開かれたウェブという公共圏から退却するためのコクーン(繭)として人々に受容された。しかも、その安全な空間の内側において、人々のコミュニケーションのほとんどが、友人同士の他愛もない日記と、そこにつくコメントと足跡を日々確認し合うというものだった。こうした「ミクシィ」上のコミュニケーションのあり方は「繋がりの社会性」の性質を見事に体現している。「繋がりの社会性」とは、要するに、特に内容のない、ただ互いに繋がっていることだけを確認するために行われる自己目的型のコミュニケーションを意味する。

これは皮肉なことに、匿名性が極めて薄いはずの「ミクシィ」でさえ、結局は匿名掲示板の「2ちゃんねる」と同様の性質を帯びてしまったことを意味している。ここで問うべきは、なぜ人々は無意識のレベルで「ミクシィ」のようなアーキテクチャを求めているのか、そのメカニズムを明らかにすることにある。「ミクシィ」を利用する若者たちの中には、暇さえあれば、ケータイで「マイミク」の日記更新一覧を確認し、「足跡」をチェックすると言うミクシィ中毒と呼ばれるユーザーが少なくない。果たして、何がそこまで人々を「ミクシィ」に耽溺させるか。例えば、ケータイで30分でも間をあけないように絶え間なく瞬時にメールを送ろうとする若者たちの振る舞いは、GPSのような、デジタル・コミュニケーションを通じて、人間関係という曖昧なものの距離感を測定し、今自分がどのようなポジションにいるかを確認するものだという解釈がある。「ミクシィ」も、これと同様の役割を果たしている。「ミクシィ」のアーキテクチャの特徴は、ただミクシィにログインするだけ、ただ他人の日記を読むだけというサイト上の行動が、自己や他社に関する意味を持ちやすいという点にある。「足跡」はまさにそのひとつで、他にも、いつログインしたのかといった履歴情報が自動的に記録され、他人にもチェックできるようになっている。つまり、「ミクシィ」は、様々な行動履歴を自動的に記録し、観察可能なものにすることで、人間関係の距離感という曖昧なものを認識し、評価し、解釈し、推察するためのリソース(資源)を提供してくれるアーキテクチャと言える。このように考えていくと、「ミクシィ」は目的もなく用いられるコミュニケーションではなくて、コミュニケーションを行うことを通じて、人間関係の微細な距離感を計測するということ。これこそがミクシィを利用する人々の隠れた(無意識の)利用目的の一つだと言える。

一方、「ミクシィ」の利用者には、多くがプロフィールを実名で登録している。この利用実態を見てると、実名で検索して来る昔の友達がいるからといった声が聞こえると言う。つまり、「ミクシィ」に実名を登録するユーザーたちは、プライベートな文脈で参照されるべき実名や日記等の情報を、完全に親密な範囲でセキュアに流通させるのではなく、ミクシィ全体と言うそこそこにパブリックな文脈にも置いておくことで、もしかしたら今後ミクシィ上で友だちになるかもしれないユーザーが現れることを期待している、ということが分かる。このような実名登録ということが、ミクシィにおいては繋がりの社会性を効率的に高めるものとして利用されていることになる。

このような「ミクシィ」に対して、アメリカでは「フェイスブック」が台頭し、グーグルとの新たなプラットフォーム間競争が幕を開けたと言われている。フェイスブックが注目を集めたのは、2007年に同サービスで利用できる「ウィジェット」の開発環境「フェイスブック・プラットフォーム」が公開されたことがきっかけだった。これはしばしば「ソーシャルグラフ」(人と人との関係性を表わすデータ)のオープン化、つまりフェイスブック内の友人関係データが外部からも参照できるようになったと費用減される。このフェイスブックのオープン化戦略により、新たなウィジェットがサードパーティから次々と提供された。その中には、ごく短期間のうちに数十万、末百万ユーザーの単位で普及したものが少なくない。その普及速度の大きな要因こそが「ソーシャルグラフ」にあるとされている。ユーザー間のコミュニケーションを通じて、ウィジェットが感染的に普及して行ったと言える。アメリカでは、フェイスブックと言う新興プラットフォームが登場したことで、新旧プラットフォーム間競争の様相を呈し始めたと言える。この競争をきっかけに。今後はあらゆるウェブ上の情報が「ソーシャルグラフ」によって整理・秩序つけられるていくことにもなる、とも言われている。例えば、一人のユーザーがあちこちのブログ、SNS、ライフログ的なサービスで採った行動の履歴が、ソーシャルグラフ・プラットフォームを通じて、次々と連携していくという未来が考えられている。

このように、日本とアメリカでは閉鎖化しとオープン化と方向性が全く違ったものになってしまっている。もともとSNSは、他社多様な人間関係を、ネットワーク&データベース上で整理・管理するのに便利なツールとして生まれたにもかかわらず、ミクシィではその利用期間のこうはんになればなるほど、極力ミクシィ上で人間関係の複雑性を増大しないように努めるようになってしまっている。日本のソーシャルウェアは、ブログにせよ、SNSにせよ、基本的にその外見レベルでは、米国でも日本でも同じアーキテクチャが使われているのに、それを利用するユーザーの側の欲望やコミュニケーション作法が異なるために、異なるイノベーションの経路が拓かれてきた。   

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