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2011年6月

2011年6月30日 (木)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(10)

5.現代における実存概念の成立

Ⅰ 成立を促した契機

キルケゴールにおける実存概念の端緒が、今世紀の実存哲学に継承されるには、時間的にずれがある。シェリング、キルケゴールにおける先駆的な思想が現実的に実を結ぶには、主流哲学の中で、生の哲学による近世哲学への反逆がなされ、かつ現実世界で、第一次世界大戦という混乱の体験が必要であったと考えられる。

(1)契機としての生の哲学

少なくとも生の哲学者において実存という術語を採択することによる実存哲学の先駆ということは考えられない。彼らが実存思想の登場の一つの契機になっているとすれば、それは、近世哲学の全体の動きの中で、彼らが初めて意識内在的なものへの抵抗を徹底的な形で大きく取り上げ、その意味で、現実的具体的な人間的生そのものへと眼を向けしめたという、その点にのみあるだろう。

ここでは、一般的に、彼らが時代思想の形で実存思想を準備したと言われるその限りにおいて、彼らの先駆的役割について、二、三注意すべき事柄を明らかにしておくに止めたいと思う。第一に、近世哲学の内部でその意識内在主義の傾向に大きく抵抗を試み、合理的計算的な思惟の外にある人間的生に初めて視界を開いたのが、生の哲学であり、その意味で生の概念の提出によって、それは、実存の登場の先駆であると言える。何故なら、実存は、合理的思惟の外の絶対的な人間的生存の事実性から出発するのであるから。だが、生は、デカルトからヘーゲルまでの精神の原理に対抗するあまり、あまりにも捉え難い非合理的なものに堕していく側面があった。即ち、生の概念が多義的である上に、あまりに反悟性的非合理的直観的であるのに対して、実存哲学における実存は、一定の形式をもち、人間存在の実存的な構造性の分析の中で示されるものであるということである。しかし、第二に、そのようなより明確な構造性を得ようとする試みには、他の側面が伴った。生の哲学では、なお豊饒な生の低地が拓け、その中で人は、抽象的思惟よりもむしろ、具体的な流動的な生、それだけに固定的明確化を拒む生を営むのであるが、実存哲学では、そうした豊饒性、流動性、全体的生に包まれる明るさが喪われ、ただ究極の最後の拠り所としての人間の実存することそのことだけが取り出された、というわけである。だが第三に、そうした生の豊饒性を捨て去ったより究極的なものに向かうということは、更に他の事情が拍車をかけたと思われる。というのは、生の哲学は必然的に一種の相対主義を結果した。生を重んずるということは、その都度の一回起的な歴史的な生を、それぞれの独自性において重んずることであり、当然相対主義に陥る。生の哲学は、多かれ少なかれ、科学的思惟によって捉えられない直観的具体的世界の存在を科学に対して示すこと(ベルグソン)、或いは自然科学に対し精神科学的な領域の成立を認め、その原理として生の概念を提出していくこと(ディルタイ)、或いは概念的思惟を放擲して詩的な言語を駆使して真に生ける人間の力ある姿を存在の中に浮き彫りにしてみせること(ニーチェ)、といったように、近世的思惟に対し、より根底的な生の領域を取り出して見せるという意図が強く、その意味で美的な態度を保持していた。しかし、実存哲学では、実存の客観的な分析が行われながらも、同時にその自己分析を支えているものは、強力な、生の根拠を求める、極めて激しい主体的な態度であり、相対的、美的な思索態度を超えて、無制約的なものを求める傾向が強かったと思われる。

(2)契機としての第一次世界大戦

実存哲学の成立に対して第一次世界大戦が契機として果たした役割は、これを先ず次のように行ってみることが許されるであろう。即ち、非合理的で豊饒な融和的相対的客観的な生概念に対して、自己形成的で端的な無制約的根拠を持つ主体的実存を求めようとする要求、それは第一次大戦後のドイツの精神状況において、より一層不可避的なものとして受け止められ、より一般的な意識の広汎な分野までをもその歩みの中に引き入れた。第一次大戦というヨーロッパ全世界を揺るがした瓦解の体験を介して初めて、あの主体的無制約的な、単なる純粋思惟を超え出た人間的生存そのものの自己形成的な核心、その絶対的な実存が、哲学的に全面的に浮かび上がってきたのであり、まさしくそこに、あのキルケゴールの実存概念の復活が成就され得たのである。この第一次世界大戦もつ意味は、しかし、単にその瓦解と混乱の体験ということに止まらず、より深く、被害の体験として規定され得る。第一次大戦は、社会の混乱と人心の不安を大きく惹起せしめた。それは、客観的には、人間と客体的なものとの間に分裂を作り出し、人間が人間自身としてもはや自由に生存し得ず、むしろものの支配下におかれる状況を醸成し、他方主観的には、均衡感覚の破壊、のけ者の感情、不安の気分を等を生み出した。

恐らく、疎外という事態の出現によって初めて、実存というものが正面から切り出される地盤が現実的に用意されて来たのだ、とも言えるであろう。単独で、誰にも代えられぬ、各自の主体的あり方が、究極の決して揺るがされてはならない拠点として持ち出され得るのは、このような現実的世界における人間存在の状況を介してであった。ここで、キルケゴールの実存概念の端緒が新たに受け継がれ、再生され、そこに実存の哲学が、対象として分析される実存の哲学でなく、一切の世界解釈を可能ならしめる究極の根拠としての実存に基づいての哲学が、出来上がり登場する準備がなされ終えた、と見ることができるであろう。

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(18)

終章 光と闇

前章で、和辻の倫理学体系が一種の無神論的倫理学として構想されていたことに触れた。その連関は体系成立史からも明らかにうかがえる。人間を個人性と社会性の二重存在と見なす発想をマルクス─エンゲルスの著作の受容を通じて確立した後、さらに議論を深め、人間存在の根拠として空の否定運動を指摘するようになり、倫理学体系は確立を見たのだった。その途上で実は、同時代の危機神学との理論的対決を経ていたのである。和辻は34年の論文「弁証法神学と国家の論理」のなかで、ゴーガルデンの『国家的倫理学』を批判的に紹介している。ゴーガルデンもまた和辻と同様に、倫理問題の場所を人と自然の関係ではなく、人と人との関に見る。自己は他者との関係によって存在しているのであり、我は本質的に汝との出会いによってある。そして本来的な倫理現象は、現実には我か汝に背いて独立しているという罪責を負える空しさに基盤を置く。我と汝の関係の根底には常に絶対他者たる神と我の関係があるからである。超越的な神への信仰は、罪責的虚無の開示により人に自らの無力を自覚させることを通じて、隣人のとの真の出会いと理想的政治秩序へ向かわせ、その存在を守るのである。和辻はゴーガルデンの議論をこう整理し、他者との関係から背き出るところに我がただ一人であることの根拠があるとする発想を評価したうえで、我の根底にある無を恐ろしい虚無でなく、仏教的な空と考え直すことを提唱する。もともとゴーガルデンらの危機神学の主張は、1920年代のキルケゴール再評価の動向を承けて、理性的人間観への懐疑のもと、抽象的な人間一般には解消できない、今ここにいる自己の実存に焦点を当てるものであった。自己の理性が人類一般ひいては神の意志と直結しているという楽観的確信はすでに打ち破られ、今や人は己の生を自分自身の決断で引き受けねばならない状況へと放り出された。自己の根底に虚無があるとは、そうした事態の表現にほかならない。しかし本来的に人は単に孤立しただけの存在ではなく、眼前の汝との出会いと、それを通じての神からの呼びかけが、この我がほかならぬ自己自身であることを照らし出す。ここで汝─神からの呼びかけに答えるのは、様々な社会的役割としてのペルソナではない、その内奥にあるこの唯一の私なのである。

しかし、とりわけ詳しく批判するのは、ハイデッガーの『存在と時間』である。存在の週末である死に対する不安は、匿名の誰かの死亡事件という一般的な出来事ではなく、ほかならぬ自分一人に固有なものとして体得される。そして人は孤独に死の不安に向き合うことを通じて他人によっては代わりえない己のみに限られた可能性を自覚し、存在の意味を真に了解できる。この考えに対して、和辻は激しい拒絶反応を示す。人間の死は、単に一人の個人の消滅ではなく、葬儀・一周忌など、消滅という事実に周囲の人々がかかわる一連の出来事を含む経過である。つまり、個人の死は間柄の作り上げる舞台の上で演じられるエピソードの一つに過ぎない。ハイデッガーの説く不安が指し示す死の闇は、「人間存在の全体性」の放つ光の明るみにかき消されたかのようである。ここで重視されてるのは、個々人の死よりも、彼らを人間的に生かしめる人倫秩序が持続してゆくことである。和辻は人間の本質を死への存在に見るハイデッガーの考えを否定し、徹頭徹尾生への存在を語る。しかもそれは、アトム的個人の孤立した生ではなく、間柄における生の保持に努めるという意味での生への存在なのである。この関連でも、文化共同体としての民族が、人倫組織の中で最も重視される。民族の一員であることにおいて、人は断片的なペルソナに解消されない真の人格を実現できる。すでに虚無や死の闇に脅かされる孤立した主体という考えを拒否した以上、それは他と断絶した独我論的な自己ではない。言語と文化産物の共有によって成り立つ精神共同体において互いに交流することを通じて、役割とは異なる自己の内なる本来的なるものが完成されるのである。役割=ペルソナの背後にある自己への問いに、和辻は一応こうした解答を提示した。ここで、和辻倫理学において民族とは、血縁や地縁を媒介にして、その一員であることに特別な意味を了解させるような実質を帯びたコミュニティではない。それは地域間の交通を通じて文化産物の伝達が行われる範囲であり、一定の言語の共有が構成要件となるのは、それが伝達範囲の限界を画するからに過ぎない。つまり、和辻にとって民族とは一種の情報空間である。人々は、メディアの支えるコミュニケーション網を通じて互いに情報を伝え合い、共通に文化を享受することによって、初めて人間らしく生きられる。自覚的に民族の一員となることが真の人格の実現であるとは、こうした意味に他ならない。さて、ここに言う真の人格とは、和辻によれば相互に信頼し合う友人として行為することだと規定する。ここでの信頼とは様々な型を演じる演技者の心構えにすぎない。ペルソナの奥にある真の人格とは、いかなる具体的な型からも切り離され、明瞭な顔を失ったまま、メディアの供給する文化情報の波に漂い続ける存在なのである。型の喪失の時代に育ちながら、それを克服すべく型の倫理学の構築を和辻は目指した。だがそれが社会生活における様々な型を並べたのちに最後に提示する人間の心のかたちは、仮面の裏側のうつろな空隙にすぎなかった。『存在と時間』は、大衆社会においてメディアがもたらす情報を受け売りにし、身近な接触から独自に事柄を判断することを忘れて平均化・画一化してゆく人々を、das Manと呼ぶ。それは、ハイデッガーによれば、自己自身であろうとすることを忘れた、根無し草の頽落した人間あり方なのである。民族=情報空間における友人たちは、まさしくこのdas Manの姿に酷似している。

2011年6月29日 (水)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(9)

Ⅳ シェリングとハイデッガー

シェリングの積極哲学の輪郭に触れたところから容易に洞察されるように、シェリングとハイデッガーとの間には、よく似通った問題設定がある。例えば、(ⅰ)本質と実存との差別を説く点、(ⅱ)存在を絶対的に超越的なものと考える点、(ⅲ)何故存在者があってむしろ無ではないかと問う点、(ⅳ)哲学を反ヘーゲル的に智慧への愛と見る点、(ⅴ)超越的存在の神性を解き明かそうとする点、などがそれである。ハイデッガーでは、(ⅰ)『存在と時間』における如く、哲学の出発点は、ものの物在的な本質ではなく、現存在の実存構造にあり、そこから、(ⅱ)「絶対的な超越」である「存在」を解き明かそうとし、存在への問いの地平を拓きつつ、次いで、(ⅲ)「何故にそもそも存在者があってむしろ無ではないのか」と問いを深め、そして却って逆に、(ⅳ)学的な存在解明を止めて、貧しき智慧への愛としての存在の思索の中に入り、(ⅴ)更にそこから、存在の救い、聖、いわば存在の神性を開示し、受止めようという立場に深入りしてゆくのだが、これらの諸々の点で見る限り、如何にそれがシェリングのこれらの点についての問題設定の仕方と相似ているかは、前述した積極哲学の輪郭からしても、充分窺えるであろう。しかしながら、勿論、観念論の枠内のシェリングと、実存哲学を説くハイデッガーの両者が、その思索において全く同じことはあり得ず、シェリングでは未だ実存が人間化されておらず、従ってハイデガー的な実存分析はもとより存在しないのに対し、ハイデッガーではあくまで実存は人間的実存であって、これらの主題的分析こそが問題なのであり、また、シェリングではつまるところキリスト教的啓示が究極的となるが、ハイデッガーではそうした神ではない存在そのものの救い、聖のみが、最後のものになるというように、両者の間に決定的な差異があることも確実である。

両者に共通の問題設定は、第一に、存在の事実性、先行性ということの指摘にある。シェリングにおいて、実存は真に人間化されておらず、むしろ人間的なものは理性として捉えられていた。ところが理性の有限性が徹底的につき纏っている。ハイデッガーにおいても、人間的実存は、己によって存在し得たのではなく、常に既に世界や存在の中に被投されているという、自己によっては追い越し得ない有限的事実性という性格を持つ。その意味でハイデッガーの実存とシェリングの理性とは、ともに「有限的主観性の形態」の刻印を帯びており、だからこそ両者とも、何故に存在者があるのか、何故むしろ無ではないのかという、存在という深淵、存在という謎の前に立たされていたわけである。何故なら、概念的把握の中に包み切れない存在の事実性は、なぞとして、深淵以外の何物でもないからである。しかし、ハイデッガーは、思弁的に存在を神として了解しようということはなく、端的素朴な存在の思索の中で、実存の只中から存在に関わることのみが試みられる。

しかし、そこに第二に、そうした差異にもかかわらず、重要な同一志向が読み取れる。それは、有限的な自己が存在の地平の中に包み込まれる、基礎づけられる、という思想である。二人においては、有限的人間と存在一般との間に断絶があり、深淵がある。シェリングでは、理性は己の存在という壁に突き当たり、それを介してのみ、それは真の己の有限性を覚知し、かつは神としての存在へかかわり得る。ハイデッガーでも、実存は無の深淵に晒されることを介してのみ、初めて深くその有限性においてあり、かくして無の帳の彼方の存在そのものへとかかわり得る。そしてそこに智慧が完成する。あくまでも断絶を介して、有限的自己が存在という事実性、先行性に突き当たり、戦き、しかもその存在の世界に己を基づけ、解体させてゆくというところに、二人の共通の思索過程が存したと言っていいのである。

2011年6月28日 (火)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(17)

さらに『倫理学』中巻では、「経済的組織」の節を設け経済社会を人倫的組織の一つとして取り扱っている。それは、同時代の戦時体制をめぐる論争と関連する議論であった。1938年の日中戦争とそれに続く国家総動員法の成立によって戦時体制確立が合意事項となり、政府の計画・統制が資源配分を大幅に制御するシステムが現実化したのである。和辻の経済的組織論は、統制経済をめぐる問題にかかわっていた。『倫理学』中巻では、無秩序な営利の競争という経済社会像は、経済活動の本質を逆倒した見方だと主張する。つまり、マリノフスキーの未開社会研究を根拠に、物の生産・流通は、部族の紐帯や部族間交流など人倫的組織を形成する媒介として始まったと説く。従って経済活動は本来的には人倫的意義を持つとされる。ただ、現代経済における営利競争に対しては、人倫的意義を忘却し自己利益拡大の欲求におおわれたものとして、否定的な姿勢を維持してはいる。しかし他方、経済活動が否定的傾向を克服して人倫的意義を自ら回復する能力を、現代産業社会においても一定程度認めるのである。そして、統制経済については、政府による指令が自由競争を全面的に排する単なる外的強制を批判し、経済祖組織の本来の面目が人倫域組織にあることを自覚するが統制の前提として必要だと述べる。経済社会自身の自浄能力を尊重しなくては統制経済の実行は覚束ないという。これは同時代の統制経済を巡る論争の文脈から言えば、統制の実行に当たり、国家による一元的統制を廃し、経済界自身の自主統制を重視する構想と言える。

さらに『倫理学』中巻では、ヘーゲルが『法哲学要綱』で分化した多元的な秩序として市民社会─国家を描いたのと同様に、単純なポリス=国民国家の一体性イメージから離れ、多様な間柄が織りなす複雑に分化した秩序像を提起するに至る。ここでは、民族すわなち言語の共同を基盤として、家族・村・町・私企業・労働組合など多種多様な社会集団が折り重なって全体秩序を作り上げる。国家は、こり諸々の社会集団の集合に対し、外側からその全体を保護する役割を担うとされる。ほかの社会集団が個人を束ねたものであるのとは異なり、国家は諸々の集団を統合する機能を担う。そうした人倫的組織の人倫的組織として国家は唯一の存在であり、この意味でおおやけと見なされる。従って、国家が法を通じて強制力を発動する対象は、諸集団の活動に対する輪郭的・形式的な領域にすぎない。各集団のふるまいに関しては国家は介入せず、全集団の存続を外護することがその存在理由である。そして、国家において、国民個々人の政府に対するふるまいの型が法律の遵守と防衛戦争への従軍であるのに対して、政府の側は正義の実現に努める義務があると和辻は説くが、その正義の内容は、諸集団を維持・発展させ、全体の調和と存続を図ることなのであった。そして。和辻によれば、こうした正義を具体的状況において実現するための思慮である。それでは、和辻は思慮の政治をいかなるものと考えているのか。1933年のインタビューの中で政治を造園術のようなものだと説明する。つまり、政治とは、多様な人々を多様なままに統一して生かす技術なのである。個々の人間の多様性は、様々な草木に喩えられる。それらを巧みに配置し、全体の美観を作り出す営みが、造園術としての政治である。自ら運動する意志を持たない植物群の上に秩序を打ち立てる、一方向的な統御のイメージがここにある。したがって、この発想は庭園の作者ため政治家=指導者の力量へと収斂することになる。政治家の施す造園術とは、多くの人々を一つの気合いに合わせることである。気合いの統一とは『風土』で日本の造園藝術の特徴として述べたところであった。それは、植物の形状も気候変化も穏やかで規則正しい自然を相手にするヨーロッパ人とは対照的に、不規則で予測しがたい日本の自然の変化に適用しつつ人工の秩序を作り上げる方法である。そこでは自然の微妙な起伏を生かしつつ、それを一つの美しい全体に、しかも人工的の印象を与えない全体にまとめ上げることが重視される。気合いの統一とは、予断の許されない、非合理的な、従って運に支配された統一であり、柔らかな統一なのである。ここに見えるキウイの統一の観念は、和辻が政治の本質として説いた思慮のあり方に重なってくる。思慮もまた不断に変動し予断を許さない個別状況において統一を実現する知の働きであった。そして、すべてを一元的に統制する強権的秩序ではなく、個々人の信条や諸集団の活動の多様性を認めつつ、それらを柔らかく統合して生かしめることを目指すのである。しかし、この思慮は人々すべてが共有する能力ではなく、庭園作者たる指導者のみに期待され、指導者が全体を上からまとめる能力と考えられている。

2011年6月27日 (月)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(8)

Ⅲ シェリングの実存思想の意義

このようなことから、シェリングの哲学は次のような特徴を有していたことは、容易に判明しよう。即ち、()哲学とは、何故に存在者があるのかという究極的絶望的な問いに答えを与え、人々を救うような、智慧への愛でなければならないこと、()そのために、理性的概念的な思考は一面的なものにすぎないとされ、新たにエッセンチアとエクシステンチアとの対立が自覚され返されたこと、()その際、思考や事物の可能的本質でなく、端的な実存そのものに優位がおかれ、哲学は現実に踏み入らねばならないとされたこと、()だがその実存は、なおドイツ観念論の形而上学的思弁性に禍されて、人間的な単独者の実存ではなくて、実は「絶対的に超越的な存在」「端的に実存するもの」とされ、超越者ないし神の性格を帯びていたこと、その意味で、実存は充分に人間化されておらず、実存の担い手を神に帰する中世の伝統に即しすぎている嫌いがあること、()とはいえ、その存在ないし実存の神性を証明するところに積極哲学の使命があり、それが神話及び啓示を手懸りとしてなされ、具体的にはキリスト教論において存在の神性の自己顕示が証示されること、その点でまさしく智慧への愛としての哲学が完成すること、ほぼ後期シェリングの哲学の特質は、これらの点に尽きていると言っていいであろう。

さて、このようなシェリングの思想は、その講義を聴いたキルケゴールの実存概念の成立に、どのような役割を果たし、またどこに両者の異同があり、このようにして。シェリングの思想は、近代における実存の人間化の過程の中で如何なる位置を占め、どのような隠れた意義をもっているのであろうか。

まず第一に、シェリングは()のように智慧への愛として哲学を考えたが、キルケゴールもまた、宗教的観点から彼の哲学的著作活動を遂行していた。二人とも、巨大な観念論的体系でなく救いを齎す生ける思想を願ったという点で、同じ出発点を採ったものと言うことができるであろう。しかし第二に、だからといって直ちに、両者の思考内容が同じであったのではない。等しく智慧としての哲学を重んじながら、彼らにとっては、その智慧への志向の形式が異なっていた。シェリングでは思弁的理論的態度において試みがなされるに対し、キルケゴールでは人格的にキリスト者となるという実践的態度においてそれがなされた。その志向形式の差は実に二人の哲学の最大の分岐点が潜んでいるのである。そのことは第三に、実存概念の分析に到って、より明瞭となる。シェリングは()()のように、シェリングではエッセンチアとエクシステンチアの差異が厳しく主張され、しかも後者に哲学の課題がおかれたにもかかわらず、しかもその実存は、人間のそれではなく、()のような、いわば神的超越的存在にほかならないのであった。その点でシェリングは、未だ全く観念論の系譜の中に属していた。しかるにキルケゴールにおいては、実存は、単独で、主体的な、しかも有限の、本来性へと志向する人間の、それに他ならないのであり、かつそれ以外の何物でもない。キルケゴールにとっては人格的な苦悶の中でキリスト者となることが重大であり、それ故にこそ実存は、単独の主体的な各自のそれでなければならなかった。しかしシェリングにとっては、むしろ。思弁の中での自然全体のキリスト教における浄福化が問題であり、だから実存は、思惟の外の一切の存在の基底の謂であり、その意味で神性を宿すものであった。まさしくその故に、というよりまさしくそれにもかかわらず、シェリングが実存概念の人間化にとって極めて重要な否定的契機となっていたことが、理解される。というのは、おそらくキルケゴールにとって、同じく智慧を求め、キリスト教を究極としていただけに、なおさら、シェリングの実存概念が、着眼点の正しさにもかかわらず、思弁の中に堕し、超越的なものに変わり、従って真の人格的な現実、逼迫した現実とはなり得なくなってしまっていることが一層真剣に、耐え難かったに違いないのである。このことを第四に、概念化して言うならば、シェリングにおける実存概念は、「観念論的規定」であり、それらは悉く絶対者の規定であり、それらには自己規定の有限性という決定的性格が欠けている。ところが既に、キルケゴールになると、有限性が実存概念から切り離せなくなる。畢竟、シェリングでは、実存は、真に有限的な、その意味で単独者のそれになっておらず、思弁的観念的な意味での神的性格の中に埋没してしまうところがあったのである。それ故にこそまた却って、それが否定的契機となって、キルケゴールの有限的実存の成立ともなったのだとも言えよう。このような意味で、キルケゴールの実存概念の成立の背後には、シェリングの思想が重要な契機になっている。さらに、我々は第五に、そのような限界を持ちながらも、なお実存概念を中心に据えたシェリング哲学そのものを、近世哲学全体の流れの中に放って、その意味を見定めておくことを試みなければならない。そのことによって、更に深く、実存の登場とその性格的刻印を、我々は知り得るのである。一体シェリングが実存というものを強調したのは何故だったのであろうか。それは、旧来の哲学において中心的な位置を占めていた理性が、ものの本質しか明らかにしないという事情に基づいている。その場合、シェリングが理性と呼んだものは、その前後の脈絡から明らかなように、ドイツ観念論における理性のことである。シェリングはカントの批判以来、哲学が、全くの内容のない、物自体にかかわらない純粋合理主義と化し、徒にそれを拡大して、隠してヘーゲルにおける如く、枠を越えてなされた消極哲学に反駁を加え、むしろ智慧への愛を説き、理性的なものが高まるほど、存在への憧憬が溢れて来るといい、存在の主を欲する独断の学、存在を語る学、即ち実在の哲学、積極哲学が構想されるべきだと語るのであった。即ち

シェリングの言う理性学とは、そのまま、近世哲学がデカルト以来辿ってきた意識中心主義的態度に他ならず、彼は、それに全体に対し、それを消極哲学として捉え、新たに、近世哲学一般が取り残さざるを得なかった最も重要な問題、即ち存在及び実存の問題を、改めて哲学の中心に据え換え、以て、近世哲学全体とその意識中心主義に対し、一つの衝撃たろうとしていたのではないか。そして、こう考えてこそ、キルケゴールがシェリングの講義に熱中し、現実性という言葉が発せられたとき雀躍したという事実は、初めて歴史的意義を持ち得る。シェリングにおいて、実存はなお古き枠の中に、思弁的衣装の中に隠されているが、彼において初めて、実存が近世哲学の中で正面から主張され、かくしてキルケゴール的実存否定的契機となったことが忘れられてはならないのである。そればかりではなく、実存が、意識や理性の底の、むしろそれらがよって以て成り立つ所以の、存在という事実性、追い越し得ない事実的先行性と関係を持つこと、そういう性格的刻印をもつことを、我々ははっきりとここで知り得るわけなのである。シェリングにおける実存の主張の意義は、こうした点にまで繋がっている。以て我々は実存概念の近世哲学における位置を量り知ることができるであろう。即ちこれ以後、実存を前面に取り出すということは、意識中心的な概念的処理に抵抗するということを常に含むのであり、そのことによって、意識内在主義を常に超え出てゆく態度を伴うことになるのである。そして事実実存哲学は、この反意識主義を常に繰り返し説きながら、自己の実存分析を深めてゆくが、この根本の端緒が既に、ここにある、とも言えるのである。

あるIR担当者の雑感(25)~ 期末説明会を終えて

少し前のことになりますが、私の勤め先は3月決算になるので、5月中旬に決算発表し、6月初旬に決算説明会を実施ました。昨年一年間はリーマンショックの後一時どん底まで行った景気が少しずつ回復してきたという状況で、各メーカーは久しぶりにいい結果が期待できそうなところでした。が、3月11日の震災によって、景気の先行きが分らなくなってしましました。そんな状況で開いた説明会でした。これは、投資環境としては、非常に投資しにくい環境です。こんな状況なので、果たして説明会に来てくれるだろうか、という不安がいつも以上に強かったのでした。私の勤務先は、以前にも書いたように、業績を急激に伸ばしているとか、圧倒的な好業績をあげているとか、画期的な新製品を持っているといった会社ではなく、地味な中小メーカーで純粋に投資先とした見た場合、強い魅力があるわけではありません。

ところが、蓋を開けてみたら、当日の出席者は30名で始まって以来最多の人数。前回の出席者が20名だったので1.5倍。しかも、その中のアナリストやファンドマネージャーといった、私の側から来て欲しいタイプの人たちの数が、なんと10名とこれも新記録。そのため、説明会の雰囲気が、これまでとは違ったものになっていました。説明会の当日は、司会やプレゼンテイションなどで息が抜けないのですが、担当者個人としては、そのいつもと違う雰囲気に、(恥ずかしいのですが、年甲斐もなく)感動に浸っていました。プレゼンの説明に目を光らせ、緊張しながらも、この瞬間がずっと続いてほしいと子供のようなことを思っていました。自ら言うのもなんですが投資対象としてパッとしない中小メーカーの説明を業界のリーディングカンパニーをカバレッジしていてその企業のアナリストのリストに名を連ねるような何人もの人々が真剣に聞いてくれるのです。(ある人は、奇跡だと言いましたが、私もそう思います)自慢になるかもしれませんが、このブログで1年近く少しずつ考えを書きながらも、試行錯誤し、このような人たちにもアプローチしたり、地道に続けてきたことが、無駄ではなかったと思い。努力は報われるものだと青臭い感慨に浸ることができました。説明会がおわって時間が経ちましたが、未だに、その余韻から覚めていないようです。ここに、つらつら書き連ねているのは、書くことによって、その余韻から覚めるためで、今回は自慢話になってしまいましたが、お許し願います。

もし、この記事をお読みになって、それはどのような会社で、どのような説明会だったのか、という興味が湧いた方は、このブログは匿名のつもりで書いているので、明らかにすることはしませんが、下のURLを見ることのできる方は、私個人として、明らかにしていますので、そちらをご参照下さい。

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苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(16)

3.戦時体制と「思慮の政治」

和辻は1937年6月に発足した第一次近衛内閣に西田からの誘いにより教学局参与として参加する。陸軍や文部省が皇国史観・日本主義教学のイデオローグを重用するのに対して、伝統尊重と西洋文化の合理性導入の両立を唱え、思想統制の緩和を図ろうとした。その後、陸軍・東条英機内閣に対抗する海軍穏健派の勢力の末端に参加していく。和辻が、戦後、自らに対する戦争責任追及の声を拒否し続けたのは、一種の反対勢力と自らを規定していた戦時中の立場のとり方に由来する。この時の和辻の立場は、西洋諸国による植民地支配からのアジア諸国の解放という大東亜戦争の名目を積極的に支持する。同時代の多くの論者と同様に和辻もまた、日本自らが台湾・朝鮮を領有していることや中国権益を固守することには批判の矛先を向けない。そのうえで、陸軍が皇道哲学・皇国史観の論客を使い、非合理で日本至上主義的な教説をふりかざして勢力をふるうのを憂慮して、思想統制に反対し、自ら考える合理的な戦争指導を身と備考としたのである。

和辻は、政治体制についての見解と並行する形で、『倫理学』における秩序構想や日本倫理思想史研究の歴史的叙述が生まれている。まず、『尊皇思想とその伝統』は尊皇思想、つまり日本のナショナリズム思想の系譜を古代から徳川時代までたどったなかで、大和王権による祭祀的統一以来、日本人の国民的統一感が尊皇心として存続したという歴史叙述が繰り返されるが、ここで重要なのは、和辻が国民国家日本の原型をなすとして古代国家に関し、その祭祀=政治手続きについての言及が補足されていることである。つまり、律令体制成立以前の大和王権では、天皇は神意を占う太占によって政治決定を下した。それは記紀の記述に見る限り、八百万神や諸豪族が集まった前で行われる公の祭儀であった。そこで鹿の骨を炙って現われるヒビの形を解釈するのは祭司=天皇に任務であるが、恣意的解釈は許されない。人々の注視が外からの威圧を加え、その団体の解釈、その団体の意志によって天皇は束縛され、それを天皇より上位の「神の意志」として宣言するのである。つまり、神意とは人々の団体的意志に他ならない。こうした形で天皇が国民の全体性を表現することで、権力の支配と区別された権威による統率が可能となる。天皇の役割のこうした性格が、古代人が天皇を現人神と呼ぶ場合の神聖性の内容だったのである。ここに天皇機関説の論理の持続を見ることができる。天皇の位は国民の一般意志を表現すべきものであり、一般意志の具体的発見には議会による衆議が不可欠である。ちょうど、軍人・官僚による一元的支配に対抗して議会勢力を復権させようとする姿勢と重なっている。これと共に、古代王権における祭祀のイメージも修正されてくる。崇神天皇や垂仁天皇かアマテラス以外の神を祭った様子を記紀は語っている。これを和辻は、大和王権による祭祀の統一が、地方の神々の信仰を排除するのではなく、それを寛大に包容する形で行われたことを示すものとして重視する。日本の神道を一神教のように考え、他の宗教・信条を一切排除しようとする動向に対する批判がここに見える。和辻によれば、天皇=国家に対する宗教的帰依を国民の絶対的義務と説くのは日本の伝統に反する。尊皇の道は信仰の多元性を前提とし、あらゆる世界宗教に対する自由寛容な受容性を保障するものでなくてはならない。ここには日本文化の重層性の議論との関連もうかがえるだろう。

2011年6月26日 (日)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(7)

4.シェリングの実存思想

Ⅰ シェリングとキルケゴール

キルケゴールの実存概念の背景には、思弁の枠内でではあれ、実存という問題を大きく取り上げた、シェリングがいるのである。

Ⅱ 積極哲学の思想

シェリングは「哲学の第一の問いは、実存するものとは何であるか、何が実存するものに属するか、私が実存するものを考えるとき、何を私は考えるか、ということである。」と言っているが、この実存するそのものを取入れようとするのが、シェリング晩年の哲学である。その際、その実存するものを、理性的な概念の面から何であるかとして捉えるのが、消極哲学であり、これに対し、その実存するものがあるというその現実的事実の中に没入して、その絶対の深みに入ろうとするのが積極哲学である。彼は『啓示の哲学』において、積極哲学そのものを展開する前に、そもそも哲学とは如何なるものであるべきかを論じている。結論的に言うと、哲学とは、「何故にそもそも何があるのか、何故に無ではないのか」という最もラディカルな問いに答え、この絶望から我々を救うものでなければならないと言うのである。シェリングの語るところによると、「これまで私が携わったことのあるすべての学問は、その学問自体の中ではもはや基礎づけられない或る前提に基づいて成立している」。数学にしても言語学にしても自然学にしても、それらは尤もらしい論理で成立してはいるが、どうしてそういうものが成立するのか、つまり、数学的事実や言語の存在、或いは自然学が扱う力とか質量とかが何故にあるのか、即ちそうしたものの性質の説明ではなくて、まさしくそうしたものの存在理由、いわば「何故にそれらがあるのか」という根本の問題には、それらの諸学は何も答えていない。それをなし得るのは哲学以外にはあり得ないとシェリングは断ずる。そして、シェリングは、事物の性質を明らかにし存在者の概念規定を以て能事畢れりとする考え方を捨て、この現実の世界の事実に踏み入ろうとするのである。そこで、シェリングの為すべきことは、第一に、何かがあるというこの現実の人々の注意を促すこと、つまりそれが空しい無意味の、むしろ無であった方がいいと思わせるようなものではなく、却って意味を持った意義あるものであるということを証明すること、即ちこの存在の神性を証明することによって、あの絶望的な問いから人間を救おうとする試みにならねばならないことは、容易に洞察されよう。そしてまさにシェリングの積極哲学は、ここに成立するのである。

さて、このような観点から、シェリングは、先ず、哲学が事物の理性的本質からではなく、その現実的存在から出発しなければならないということを縷説する。というのは、「あらゆる現実的なものにおいては、二つのことが認識されるべきであ」り、「存在者が何であるのかを知ることと、それがあるということ、を知ることは、全く違った二つの事象」だからである。これに二つのものは全く違う次元であって、決して混同されてはならない。そして、「無制約な理性の学」は前者のみにかかわるのに過ぎないのであり、だからこそ、「事物の本質、あらゆる存在の内容を把捉する学」にすぎないものとして、それが消極哲学とされ、後者を扱うもの、即ち「事物の現実的な実存を解き明かす学」が積極哲学とされるのである。シェリングの出発点は、この実存を解き明かす学、現実にかかわる学でなければならないのである。そして、我々が注意しなければならないのは、まさにシェリングは、この点で、あの中世以来伝統的なエッセンチアとエクシステンチアとの対立を再びここに持ち出し、後者をこそ重視しなければならないとしている、ということである。

もしも積極哲学がこのような意味で実存にかかわるとすれば、或る意味でそれは経験論に近づくであろう。事物の概念規定ないしはその存在可能性を理性は示し得るが、それが存在するということ、その端的なあるということを、理性は、何ら、産み出したり、証明したりすることはできず、そのためにはただ経験のみが必要なのである。我々は、このようなシェリングの議論が、キルケゴールの、思弁の抽象性よりも実存の現実性をより赤いものとする考え方に繋がり、更には実存哲学での、例えばハイデッガーでの「事実性」の思想に繋がっていくものであることを容易に見得る。だが、その傾向は、ともすれば、カントの枠を超え、本体界の実在を扱おうとする形而上学的思弁に陥る危険を持っていた。実際、シェリングは「哲学的経験論」の立場を主張するのだが、一種の超感性的な経験論になっているのである。積極哲学が経験論であると言われるのは、実存という現実から出発しようとする。つまり、この出発するところのものは思惟の外にあり経験以前のもの、絶対的に超越的な存在と言える。しかし、このような経験以前のものから出発する積極哲学は。なぜに経験論なのか。そこに、シェリングの積極哲学の、何故に或るものがあり、何故に無ではないのか、という問の要求する積極哲学の第二の問題が登場して来る。つまり、ものがあるというというその端的な事実が、無意味で空しいものではないためには、何が必要かといえば、それは即ち、あることそのことが、そのまま絶対肯定されることであろう。そのために、シェリングは、端的な実存そのものがまさしく神であり、それ故にこそ、一切は空しいのではなく、整然たる支配の中に置かれているのだということを証明しようとするのである。従って、シェリングの立てる思惟の外に絶対的にある実存とは、実は人間的実存ではなく、神なのである。このような点から、積極哲学は啓示の哲学を含まざるを得ない。つまるところは神話と啓示を手掛かりとして存在が神であることを証明する哲学であり、究極的にはキリスト教の哲学となっていくのである。

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(15)

和辻倫理学の第一の特徴は、空の否定運動が、個人による人倫的な全体への帰属として行われると説くことである。この時、個人の実体が否定されているのと同様に人倫的な全体もまた実体ではないとされる。家族を論じる際には、父親が父親らしく、子供が子供らしく、それぞれの資格に応じてふるまうことのうちに、家族の全体が現われると説明する。その集団に属する個人がそれぞれの地位に相応しい振る舞い方をすることが、人倫的な全体への帰属の具体的ないみであり、そのことが道徳理法の実現だということになる。従って、人間の道としての倫理は、社会生活におけるふるまいの型に実現する。つまり、それぞれの社会集団の習俗として共有される型が、倫理の具体的な現われだというのである。人間の二重性格については、その個人性とは個人が型から外れたふるまいをすること、社会性とは旧来の型に固執し他者にもそれを期待することと定義できる。そしいこの両極の相互運動から、具体的によりバランスのとれた型が形成されていくのである。集団が伝統的に伝えるふるまいの型は、こうした否定運動の積み重ねを通じて洗練されてきたものということになる。

第二の特徴は、人間の外的な行為に基盤を据えて議論を展開し、個人の内的な意識がどういう状態にあるかを問わない点である。和辻によれば、行為は個人の意志から説明されるべきものではない。たとえば、同じ石を投げるという身体動作は、河原や海岸で行われれば行為ではないが、学校内で窓ガラスに向けて行われれば、投げる本人の心づもりがどうであれ行為となる。すなわち、観察者の視点からして他者との何らかの連関を持っていることが、行為を単なる動作と区別する基準なのである。主体的な人間の主体性とは、その人自身が内的自覚によって実感するものではなく、第三者の目から観察しうる行為的連関における事実に示されたことで、初めて認められるものなのである。したがって、社会生活において個人が何らかの型に従うということは、その場面での役割に相応しいふるまいを他者に披露する、演技としての性格を帯びることになる。和辻は、人格(PERSON)の言葉がラテン語のpersonaすなわち仮面に由来することに注目する。つまり、人間の行為とは、常に何らかの役割を遂行することである。日常生活は、仮面をつけて他者の前に現れる演劇舞台である。そこで人々は仮面をかぶって互いに演技しあい、その役割にふさわしい型を忠実に演じたとき、行動は倫理的と賞賛される。人格主義の調和の幻想の崩壊は、新たな人格の捉え直しを迫った。ここで人格は、個人の内奥に秘められた意識ではなく、外に見える多様なペルソナの束なのである。その点で、間柄における倫理は、徹底して外の倫理といえる。もっとも、人間が倫理的にふるまうためには内面的な要素が全く不要だと説いているわけではない。行為が道徳的たりうるための基礎となる態度として、他者による信頼やまことといった心術のありようを指定している。和辻によれば、日常生活で人が他者との関係において行為できるのは、お互いの信頼を暗黙の裡に前提とするからである。ところが、ここに言う信頼とは、人が行為をする時には、あらかじめすでにその持ち場に応じての行為の仕方が期待されているのであり、信頼とは、その持ち場に相応しい行為の仕方でふるまうことに尽きている。同様にまことも、個人心理としてでなく、信頼にこたえる態度がまことに他ならない。つまりは、信頼もまことも、それぞれの場面に相応しい型を絶対的な倫理の現われ見なし、それに則って行為しようとする態度のことなのである。言わば、与えられた役割を忠実に演じるための演技者の心構えに等しい。しかしこうした演劇的社会観というべき考え方は、個々の場面で複数の役割、したがって複数の規範が存在しうる場合に一体どれを選択すべきかという問題を引き起こす。これに対して、和辻は規範の序列を一応提示することで曖昧に解決を図る

第三の特徴は、その規範の体系化である。家族・親族・地縁共同体・経済的組織・文化共同体・国家という順番で、様々な組織形態を検討していく。そして、家族における親愛、親族における相互扶助、地縁共同体における慎み、経済的組織における職分の自覚といったように、それぞれの組織について行為の型を列挙する。そして、人が家族を出発点として、文化共同体・国家へとより広範囲の共同性に参与するにつれて、そこで従うべき規範は、より上位で根底的なものと位置付けられる。したがって、文化共同体の内で最も広い集団である民族と、民族の全体を具体的に実現する組織としての国家が、最高位を占めることになる。国民国家において、一方では統治者が全体の共生を確保する正義の実現に努め、他方では被治者が国法を遵守して防衛戦争への従軍義務を負うことが、最も優先されるべきモラルということになる。その意味で、国家は有限なる人間存在の究極的な全体性と規定されるのである。しかし、和辻の国家論の独自な点は民族と国家とを原則的に分離したことにある。民族は言語活動の所産である文化産物の共有を通じて成立する社会集団として、共同の法律秩序の下における組織的団体たる国家とは峻別される。従って、国家の活動の実質内容たる為政者の行動が、民族の共通の利益としての一般意志から離反する可能性も生じる。民族の共生に配慮しない恣意による統治は統率ではなく、単に権力を行使するだけの、非正当的な支配に過ぎない。従って国民が従軍義務の遂行を通じて国家に忠誠を尽くすことも、無条件の随順ではなく、国家が人倫の道を実現することへの参与であるべきだとされる。

2011年6月25日 (土)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(6)

3.キルケゴールの実存概念

キルケゴールは実存の概念を近世的思惟の典型としてのヘーゲル的思弁に対して、哲学におけるもっとも重要な問題であるとして解明した、『哲学的断片への完結的非学問的後書』を取り上げる。ここでは「永遠の意識にとって歴史的な出発点というものがあり得るか。かかるものがどうして歴史的以上に関心を呼び起こし得るのか。永遠の福祉は歴史的な知識の上に立てられ得るであろうか」という問い根本軸として展開される。即ちキリスト教という一つの歴史的な宗教の上に、如何にして永遠の浄福への道が拓かれ得るのか、むしろそれは歴史的な一現象にすぎないが故に永遠の真理ではないか、そうした危惧を反駁し、逆に問題の立て方を根本的に取り換えるところに、その一貫した主題をおいている。つまり、キリスト教の真理性を客体的に問うことが重要なのではなく、まさしくキリスト教の問題性は、信仰という主体の決断にこそ、その核心があり、如何にそれを歴史的客体的に問うても、それはむしろキリスト教の本質から離れるだけであり、問題設定の根本の誤謬である。要は「個人のキリスト教への関係」という主体的な問題なのである。従ってまさしく「キリスト教こそ、その歴史性にもかかわらず、否まさしく歴史性により、単独者に対しその永遠の出発点たろうとし、単に歴史的であるとは別に単独者の関心を呼び起こそうとし、かくして単独者の福祉をその歴史的なものへの関係の上に基づけようとした、唯一つの現象である」、されるのである。キリスト教において問題なのは、主体的人間のあり方、しかも神を前にした信仰という最高のあり方であり、そこにキルケゴールの言う実存の問題が登場して来る理由がある。従ってこの著作においての実存の問題とは、キリスト教をもととした信仰する実存のあり方のそれであり、ここにキルケゴール実存思想の特徴と制約がある。

また、この『後書』の本編に当たるはずの『哲学的断片』において、先ず真理の問題が取り上げられ、キリスト教的真理観では、まず人は真理を掴む前に不真理の状態にあった。もしそうでなければ、人が真理に目覚めるに到るという高まりの意味がなくなる。しかして不真理の中にある罪の者をして、まさにそのことを悟らしめ、真理を受け入れる条件をも与え、人をば飛躍的に真理の段階に高める教師は、神でなくてはならない。神こそが人に真理を与える者であり、しかも神は、再び不真理の中に埋没する者に対しては、審判者でもある。かくして心理が開示される瞬間は巨大な意味を持ち、人はそこにおいて飛躍的に非有から有へと高まる。瞬間は時の充実である。そして、神の弟子たちは、この瞬間に、異なれる質の新しい人間となり、転回をなし、過去を悔い、このことによって再生を成し遂げる。これがキリスト教の真理観である。ところで、さらに続けてキルケゴールは論ずる、教師たる神と弟子たる人間の出会いはどのような形をとるかと。彼によれば、両者が了解しあうには、神が自ら学ぶ者のところに下がらねばならない。即ち神は僕の姿をとって現われる。だが人はこのことに気がつかない。人がこれに気づき、神を信ずるとき、そこにあの瞬間が可能になる。だが、学ぶ者が弟子となるのは、神と単なる直接的な同時代性によってでなく、ひとえに、神の生成という歴史的事実への信仰によってである。だから、神が僕の形をとって現われた歴史的事実に単に歴史的に関心しているたけでは、信仰は生まれない。永遠の福祉を与えるその事実への決断と信仰が重要なのである。キルケゴールは、このように僕となって現われた神という歴史的事実を出発点として、真の絶対的な逆説の中へと飛躍する悔い改めと再生の生き方、信仰という激情的なあり方、そういう人間の主体的な、しかも本来的なあり方をこそ、人々に呼び覚まそうと試みていたわけである。実存が、基本的には、神の前に立つ、「単独な」「主体的な」人間の、その「本来的な」あり方にかかわるものとされていることは、看過されてはならない。

『後書』では、より哲学的に実存としてキルケゴールは規定しようとする。ここではキリスト教を主体的に受止めるそのあり方が実存と名指されるわけだが、その根本イデーはキリスト教を客観的に扱う態度やヘーゲル的な思弁的思考法との対立の中で説かれる。「思弁は実存を度外視する。思弁にとって、実存するとは、実存したこと(過去)であり、実存は、永遠という純粋存在における消失的な止揚されるべき一契機になりおおせる。思弁は、抽象として、実存と同時的になることはできず、従って実存を実存として捉え得ず、後になって漸く捉えるに過ぎない」言うまでもなく思弁とは、絶対的精神の弁証法的展開を志すヘーゲル的な思考のことである。キルケゴールはこれに対し、実存の内面性を主張する。例えば、実存と思弁の対立というとき、究極的にはキリスト教信仰が問題となるのだが、いわば思弁は自己がキリスト者であるかどうかは問題にしない。しかるに、「問題なのは…君がキリスト者であるかどうかだ」と言われるような主体的な自己のあり方の問題、それが実存の問題なのである。真理を自己の存在の救いに関わるようなものとして、主体的に引き受け、受止めて扱うこと、そこにキリスト教の問題があり、そうした態度を可能ならしめるものが主体的思索であり、それが拠って立つ所以のものが各人の実存と言われるわけである。

では、主体的思索の根本的特徴は、どこにあるか。キルケゴールは本質的にして単純な根本問題の一つとして、そこで、死の問題に触れる。死はいつ来るか分からない。各瞬間が常に死に曝されているという死の不確実性。勿論死の問題を一般的に語ることはできるが、一般的に語るうちに人は死の不確実性を見失う。語る人がその時死ぬかもしれないのに、彼は自分の死を他人のように語ってしまう。まさしく、主体的実存とは、こうした死の定めなさを常に背後に控えた、有限的な、しかも単独の私なる個別者のあり方、生き方の問題なのである。しかも、こうした実存は、そのうちに生成と運動を秘め、本来自己を獲得すべく苦悶するところのものである。

近世哲学は総じて意識の哲学であったのに対して、初めてキルケゴールが、こうした具体的な人間の現実存在を発き出し、あの中世エクシステンチアの、外に立てられた現実の中にあるという現実存在の意味を、なかんずく人間のそれとし、しかもそれは主体的にかかわらるべき各個人の存在の核心としたことは、以上で明らかである。彼において実存は、抽象的思弁でない具体的な主体的な思索の中で扱われるべき最も人間にとって根源的問題であり、それは各個それぞれの内面性の問題として単独のものであり、死の不確実性に晒されている有限のものである。しかもそれは、それ自身の中に、美的、倫理的、宗教的の諸段階を宿し、究極的には神と自己の絶対的深淵を前提した超越的な宗教性にまで高まるべきもの、そういう人間の本来的なあり方への志向を含む情熱的なものであった。そうした人間各自の存在の最根源の究極のあり方、主体的で、単独で、有限な、本来性への志向を孕む、各自のあり方、己の存在のへと関心せざるを得ないようなそうした各個の存在の核心、それがキルケゴールにおける現実存在、即ち実存ということの意味するものであった。

ここで、我々ははっきり、中世エクシステンチアが人間化され、いわゆる実存哲学における実存になり得ていることを理解しよう。実存哲学での実存は種々人々によって異なるとはいえ、根源の意味は、こうしてキルケゴールの刻印を共通に持っているのである。ただ注意すべきは、キルケゴールのでは、その実存の喜遊曲の理想が、キリスト教信仰にあったという点である。

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(14)

2.和辻倫理学の構造

和辻倫理学の体系は、デカルト的なコギトの実体性を前提に個体的な自我が人間の本質であるとして倫理も個人意識の持ち方の問題として取り扱う学的常識、つまりは17世紀以来の西洋哲学を支えてきた個人主義的人間観を批判するところから出発する。和辻の考えでは、人間の本質をなすのは個々人に内在する意識ではなく、実践の上で人と人との間柄なのである。個人が何かを考え、また考える自己を意識する以前に、その個人は他者との実践的連関の内にすでにある。つまり実践的な行為の連関としての間柄が、個体的なあり方に先立つ。そして間柄においては、個人が社会から分離し、社会が個人を束縛する相互の否定運動が常に渦巻いている。個人も社会も、この弁証法的な構造によって存立しているのであり、人間は個人性と社会性の二重性格を持つといえる。この否定運動を、和辻は空と規定する。つまり、間柄に内在する個人と社会の相互否定運動を根拠づける原理として持ち出したわけである。したがって、人間が既存の間柄に基づいて行動し、また新たな間柄を形成しようとする時には、この空の否定運動が動いていることになる。つまり、人間は常に無数の間柄の中にいるのであり、間柄から切り離された人間の行為はあり得ないのである。

和辻の中観哲学理解によれば、空を実現することは、すなわち道徳的当為としての慈悲の実行なのであった。ナーガジュルナの理論を和辻は次のように解説する。存在のかたである様々なダルマは、それぞれ個別にアイデンティティを持つのではなく、互いの関係(縁起)に依存して存立する。したがって相互関係において働く否定(差異化)の運動としての空がダルマを根拠づけることになる。人間主体が事物や他者を把握し、それに働きかける作用は、根源的には空によって支えられるのである。人間の行為においては、この空を体現し、空に帰ろうとする働きが、即ち道徳的行為なのであり、それは一切の生きとし生けるものに対する慈悲を本質とする。

和辻の体系はこうした空を前提とする。従って、間柄において個人と社会の相互否定運動を続けることは、空の実現としてすべてを生き生きと生かしめることで、そのことが和辻倫理学における善なのである。そして反対に否定運動を停滞させて、社会全体を顧みない利己的個人主義に走ったり、逆に個人性を抑圧して有機体に近似する社会を作ったりすることが、悪と規定される。青年時代以来の生命の主題の変奏をここに読み取ることもできよう。だが今度は、生命の光が偉大な文化作品や人格から輝きだすというのではない。光は、主体から切り離された対象の輝きとして看取されるのでなく、主体が自ら行為する働きの内に埋め込められたものとなる。

2011年6月24日 (金)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(5)

2.近世哲学の実存概念への一般的態度

実存の概念が中世エクシステンチアにその起源をもっていたことは明らかであるが、後者が神による被造世界の中での客体的存在のあり方のみを意味していたのに対し、実存の語、そうした神学的背景を排除し、むしろ主体としての人間のあり方をばとりわれ優れて意味しているというその点から言えば、それは、近世哲学の媒介をまってのみ初めて可能となり得るものであった。近世哲学こそが、初めて人間を主体とすることによって、その自然の光に基づき、一切の存在者についての世界解釈を、人間を中心に構成した最初のものであった。それは人間の自己意識を唯一の確実な世界解釈の根拠として措定し、それに基づいてデカルト以来幾多の近世哲学の体系が組み立てられてきた。そのような態度のとり方、すなわち人間の存在を、世界の中心とする、まさしく世界の存在の最も根底にあるもの、つまり主体とする、というその点から見るならば、確かに近世哲学は、人間のあり方を中心に据えたもの、即ち或る意味ですべて何らかの形で人間的実存を世界解釈の中心に据えてきたもの、と言えるであろう。

そして、特に近世哲学の中にその萌芽を見ようとする場合でも、近世哲学に極めて特徴的なあの自己意識を手懸りとするというその側面を一応括弧に入れておかなくては、そのような企ては成功しない。デカルトから始まってヘーゲルの絶対精神の哲学に到る近世哲学は、やはり何としても、人間を中心としていながらも、その意識としてのあり方に視界を奪われ、真の意味での実存の概念を稔らせていなかったと言うべきであろう。

重要なのは、近世哲学全体は人間を中心原理としながらも、なお実存というものを取り出し得なかったということである。ではいわゆる実存哲学における実存概念の成立には、近世哲学は積極的には何の役割をも果たしていなかったのであろうかる中世エクシステンチアからその現実世界の中に現われ作り出されているという意味を受け継ぎながらも、実存概念が成立し得るためには、その現われ立つものが単独な人間そのものであるというように、根本的にそれが人間化され、主体化される必要があった。しかし近世哲学の主流派は、そうしたことを試みなかった。しかし、近世哲学の中に一つの重要な意識の哲学へり衝撃が、つまり人間主体の実存化が、ないしは実存の人間化が、先駆的に行われていたからである。それがキルケゴールの哲学である。近世哲学がその絶頂に達したヘーゲル哲学隆盛の折、それへの最も厳しい批判のひとつがキルケゴールによってなされた。キルケゴールが初めてエクシステンチアの主体化も人間化を成し遂げたのである。そしてそのキルケゴールの実存概念の成立には、近世哲学の内部でヘーゲルと並んでその絶頂に立ちながら、しかも実存概念への萌芽的な歩み寄りを示していたシェリングの思想が、重要な契機をなしているのである。シェリングを背景にしたキルケゴールが実存概念の、中世エクシステンチアに次いでの重要な先駆であるというべきである。このキルケゴールの実存概念が、その後の生の哲学の擡頭の後に、第一次大戦の破局の混迷を契機として、初めて実存哲学の実存として再生し受け継がれたと言っている。

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(13)

ここで和辻の主眼は、日本文化の特質を単純な一面的な魂のごときものに還元し、日本精神という標語を政治的運動のただ一つの方向にのみ独占する世上の日本精神論を批判し、排外主義的傾向を斥けることにある。さらに、主君に対する個人的忠誠をナショナリズムと混同し、天皇=政府への国民の無条件的追従を説く忠君愛国、家族国家、大和魂といったスローガンへの批判が繰り返される。他方。マルクス主義者も含めて重層性に対する理解を持たずに近代西洋を猿真似する知識人も攻撃対象ではある。だが、日本文化の今後のあり方についての具体案は、大正期のコスモポリタニズムの主張と事実上は変わらない。西洋のすぐれた文化の輸入による日本文化改造と見てよい。日本文化の持つ重層性を説くのは、そのための素養を日本人が備えているという主張に他ならない。日本人は外来文化の吸収に優れているということを和辻は、最も重要な性質として前面に押し出すことで、日本主義哲学や皇国史観の鼓吹する排外主義的態度を批判する。言わば、世界文化のコスモポリタニズムの理想郷が、日本文化の小宇宙に内在しうると説いたのである。多種多様な文化を包み込む基体という日本文化のイメージ─戦後に日本文化論、日本文化批判の双方が多く前提としたもの─が、ここで積極的に創唱された。そしてこの重層性を活用し西洋文化の合理性を導入せよと説くのが、以後、戦時中から戦後にかけての和辻の議論の基調をなす。こうした東西文化の統一の仕事は、和辻によれば、現代では日本人にのみ可能な、世界史的任務なのである。このことは、古代ギリシャ人と日本人との共通性を新たに確認することにもつながっていた。和辻の発見した日本的なるものとは、同時にギリシャ的なものと考えられていた。したがって他方、その議論は諸民族文化の多様性を表面的には認めても、ギリシャ由来の理性の光を頂点に置く価値序列を厳然と保持することになった。

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(4)

Ⅲ 中世エクシステンチアの背後にあるもの

中世エクシステンチアと実存哲学との異動についてどう考えられるだろうか。まず第一に、中世エクシステンチアはあらゆる存在者の現実存在をいうが、実存哲学の実存はまさしく人間存在のあり方のみを特に名指しして言っているのである。中世エクシステンチアが、神の世界創造という見解を背景にして一切の存在者の現実存在を指しているのに対し、実存哲学の実存は、その神の世界創造ということを問題外とし、しかもあらゆる存在者ではなくて人間存在の存在様式のみをそれによって指示しようとしているのである。そしてこうした根本的な差異と結びついて、第二に、中世エクシステンチアは客観的対象的な見方において成立するものも従って客体的な、物在的なものであるに対し、実存哲学の実存は主体的な人間的なそれであるという差異が現れてくる。さらに第三に、中世ではエクシステンチアよりもエッセンチアが重んぜられ、結局前者はより劣った価値の低い概念と考えられるのに対し、実存哲学では実存が本質に優位するより立ち勝った高い概念とされるという差異が出てくるのである。

中世エクシステンチアの背景を振り返ってみると、そこには神の世界創造の考え方が根本にあり、それに基づいて一切を存在論的に規定しようとする態度がある。その場合、一切の存在者はそれが何であるかという本質規定において捉えられる必要がある。それによって一切のものの神を中心とする存在論的階層が組み立てられる。即ち一切存在者は客観的対象的に神による被造物と見られ、それぞれの持つ形相的本質において神により創造され、かくしてまたそれに現実存在が許容され、附加される。本質が実存に優位ししまうのである。或る存在者が存在するというその現実存在は、常に他者によって与えられたものにすぎない。人間の場合に明らかなように、人間霊魂の本質は単純な離存実体であるが、実有を他者から仰がねばならず、そしてそうしたものの中でも、それは可能性多く実現少ないため、肉体と結びつくが、しかし肉体が滅びてもそれ自身は滅びない。しかも実体は、実現が純粋になればなるほど、他から仰ぐ実有を捨て去っていく。そしてこのように他から仰ぐ実有を捨て去って純粋な実現態そのものになっていくことが、究極的には神となり、最高の段階に近づくことなのである。このように神の世界創造の下に一切事物が形相的本質によって位階づけられ、かくしてそこに人間といわず物的存在者といわず、均しく一切存在者に客体的な現実存在が賦与されるのであった。

このような中世世界観の背景には、ギリシャ的な考え方があった。人間もその他の存在者をも一切を同列線上において、それがその形相的本質に従って客体的に産出されかくして作り出されて現実にあるその現実存在が、エクシステンチアという語によって古代中世的世界観では名指しされたのだと言えよう。中世ではこの考え方が神の世界創造という思想と結合したと見ることができる。そこに古代中世的存在論的世界像が成立したと言っていいのである。

古代では自然が。中世では神の世界創造が、一切の根源であり、従ってそこから実存者は、その形相的本質において考察され、作り出され、産出され、現実にあるものとなるのであった。しかるに実存哲学の実存とは、確かに、中世のあの被造の世界の中に、或いは古代のあの産出された自然世界の中に、現に作られ、現われ、開かれてあるもの、原因と無の外に存在するもの、という原義は生かし返した。しかし、根本的に、それは、世界観そのものの変革によってであった。即ち、古代中世的な自然や神中心の客体的存在論でなく、新たに近代の人間の自覚、人間の主体化という、人間中心の主体的世界観の根本態度を取入れることによってであった。従って実存の概念は、語義的には中世ひいては古代から淵源しているものの、実はまさしく近代哲学の登場をまってのみ初めて可能となったところの、人間の哲学であり、まさしく思想的起源から言えば、実は近代の正統なる嫡子たるにほかならないのである。実存という語は地郵政エクシステンチアと違って、人間存在の主体的な現実存在そのものをとりわけ強調するところにのみ成立する。換言すれば、実存哲学は、神中心的な本質による客体的な存在論的秩序づけを取り去り、先ず人間が現実世界の中に主体的に存在しているという、その事実性からのみ出発する。

2011年6月23日 (木)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(12)

(3)「人間の学」と時代情勢

和辻のヨーロッパ留学中から帰国後の時期、日本ではマルクス主義の流行と、それに対抗する民族の協調という二つの思想動向が活発化し、和辻の倫理学体系も、この状況を見つめ、応答する中で成立していった。マルクス主義に対してはー、和辻は、たとえば30年の「マルクス主義の倫理的批判」において、視線各主義の理性的個人が現実を離れた思考の産物であるのと同様に、マルクス主義の人間観もまた、経済的利害に還元された抽象的なものと批判する。そこでは人間の意識と行動が一切の経済状況の反映と総括され、人間が身を翻すに足る余地は理論から消滅してしまう。これに対して人間学は、生き生きとした心と身体を備えた全体的な人間像を保障するものだった。もともと、和辻がハイデッガーに注目したのも、一面は、こうした人間学の一種として『存在と時間』を読んだことによる。世界内存在の概念の理論的改鋳を通じて形作られた風土論は、マルクス主義に対抗する時代風潮として人間学の一種であった。さらに、和辻の独創的な点は、マルクス─エンゲルス自身がこうした人間学を説いていたと発見し、自らの体系に取り込んだことである。和辻の理解するところでは、彼らの初期著作は、自然科学的な自然は、人間の社会的存在から意識が発生し、その意識が洗練された後に、初めて成立することを明らかにした。人間こそが自然を自然として対象化せしめる根底的な地盤なのである。その人間の本質は社会関係の総体であり、この相互の間柄を作って生きる点で動物と人間とは決定的に異なる。したがって、孤立した存在として己を捉える個人意識の根底には、人間の自他の交通、従ってその間柄が働いている。生物的な群居に埋没する動物とは異なって、人間は意識的反省を伴った社会生活を営み、個人性と社会性の二重性格を持つのである。『ドイツ・イデオロギー』を和辻はマルクス主義を超える人間の学をマルクス自身が説いたものと受け取った。しかも、ハイデッガーからディルタイを経由して自らの理論を築くのに格好の着想源となった。ディルタイの著作は、日常生活における人々の振る舞いを人間活動の表現ととらえる方向を示唆するが、それを了解する経路を結局は偉大な藝術作品の鑑賞に限ってしまう。だが、マルクス─エンゲルスの議論は、たとえばただ一つの商品から、その背景としての生産・流通活動が織りなす膨大な社会関係の構造を手繰り出そうとする。ここから、日常生活のすべての場面は諸々の間柄が根底で渦巻く表現の海であるという和辻の視座が基礎づけられてゆく。さらに対象化された自然は人間の視線が生み出したもので、その人間の実相は社会的関係の総体であるとする彼らの発想が、環境世界に対して共同世界を根底に置こうとする試みを理論的に補強する。そうしたマルクス─エンゲルスの著作の独自に読解を通じて、人間の本質を人と人との間柄であるとし、日常生活における振る舞いの型に道徳理法の実現を見る、和辻倫理学の骨格が確立を見ることとなった。

一方、和辻が日本的なるものに目覚めたのは、民族協調が積極的に説かれ出した時期と重なる。和辻は明治維新を賛美し、ナショナリズムの存在を日本史全体に拡張して認めるようになる。和辻にとり、明治維新の第一の意味は、絶対主義の確立でも天皇政治の復活でもなく、ナショナリズムの政治運動化である。以前の和辻は大和王権による祭祀の統一が古代の国民的統合を生んだとまでは考えていたが、これに加えて、その原始的な信仰に基づく教団としての結合が、武家政権の成立や戦国時代の分裂にもかかわらず存続してきたと説き、その一貫性に日本の特殊性を見るのである。和辻が、日本におけるナショナリズムの超歴史的な持続性を確信した背景には留学体験に由来する特殊な事情があった。和辻は留学の途中上海に立ち寄った。27年のちょうどそのころ蒋介石の北伐軍が迫る混乱状態にあった。そこでの中国人と外国人態度の違いを目の当たりにする。中国人は動乱の噂に頓着せず、今現在の金儲けのことのみを考えているように映った。かれらは国家の権力の保護などは求めようとはせず、自分の金のみを頼りにする無政府の生活に徹するのである。これは、震災後の東京市民とは対照的に映った。震災と同様の一種の無政府状態において中国人は、互いに苦しみを分かち合い、助け合うどころか、他人の運命には無頓着に各人勝手に物を売り、危険が迫ると我先に逃げ出す。ここで和辻が発見した中国人の国民性は、まさしく現代文明の行動様式と共通するものであった。これと対比して、和辻は西欧留学を経て自覚した日本人の国民性を称賛することになる。日本人は、互いに助け合い、民族としての団結を基盤に全体の共生に配慮する社会的正義の実現に親和的な心情を備えている。従って日本人の国民性は、和辻にとって、よりギリシャ人的で人間性に近いのである。かつて古代日本─古代ギリシャに見出した湿やかな心情は、ここで現代日本人も超歴史的に共有する国民性へと位置を変更し、さらにナショナリズムの基盤と見なされるようになる。論文「国民道徳論」の中で、和辻は日本人の国民性の特徴を「しめやかな情愛」「距てなき結合」と規定し、その感情が古代以来綿々と続く「国民的団結」を支えたと説く。そしてこれが民族の伝統の根幹をなすとされるのだが、その時、同時に天皇位の持つ権威の超時代的持続が強調される。和辻によれば日本人のナショナリズム感情は、従来尊皇心として言い表されてきたのである。こう語るとき、単に過去の伝統の所在を確認しているだけではない。和辻の説くところでは、日本人の国民的団結の伝統は重大な現代的意義をも備える。

具体的には、民族の一体性を実現する組織としての国民国家への信頼が、以降の和辻の秩序構想の基盤をなすことになる。ここで国民国家は、単に国家の候成員と一民族が重なっただけの存在ではない。和辻の考えでは、日本に限らず、およそナショナリズムは社会的不正に対してとみに苦しみとともに憤る感情と結合し、道徳的理想を紐帯とすることで真のものとなるのであって、民族全体の共生を保障する社会的正義の実現に努めない限り、国民国家は本当意味では成立しない。この時和辻は、他民族との関係においても、利己的闘争を廃し国際的な協調に努めることが正しいナショナリズムのあり方と考えるが、それはあくまでも民族的自覚を媒介として成り立つとし、キリスト教に基づいた近代西洋の人類全体、普遍的道徳の立場を抽象的と批判する。普遍的な人間性が、それぞれの民族のナショナリズムに具現されることを通じて、コスモポリタニズムは初めて具体的な形を取るのである。しかし、いくら普遍的人間性の具体化と規定するとは言え、和辻の議論が、それぞれの民族の特殊な伝統にそれなりの価値を認める文化多元主義の立場をとることは明らかなのである。他方、用語は変わっても、堕落した現代文明に理想的な文化を対置する大正時代の発想枠組がこの時期の和辻にも残っていることはすでにみた。この利己主義を超えて調和を可能にする文化は、同時に全人類が普遍的に目指すべきものと考えられていたはずである。すると民族的伝統の強調と文化対文明の普遍的基準とはどう折り合いがつけられるのか。とりわけ日本人の国民性を和辻が賛美する文脈において重大な問題となる。これについて、和辻は日本文化の重層性という議論を提示することで解決を図った。日本的特性として何らかの文化的特徴を具体的に列挙するのではなく、さまざまな要素が併存する重層性が日本文化の特性だというのである。

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(3)

第2節 実存概念の歴史的系譜

実存哲学思潮がが、実存というものを等しく哲学的思索の中心主題としたということ、ないしは実存というものに基づいて一切の世界解釈をなそうとしたこと、それを中核として新しい一つの哲学体系を構成してみせたということ、そこにある。それでは一体、それらが等しくそれに基づいているところのその実存とは、如何なるものなのであろうか。ここではハイデッガー哲学を「実存に基づく存在の哲学」と規定した我々の研究に必要な限りで、実存概念の歴史的系譜を探り、そうした背景から、実存哲学が等しく基づいているところの実存概念の歴史的地盤ないしはそれが共通にもっている意義について、考察する。

1.中世エクシステンチア

Ⅰ エクシステンチアの意味

実存という語が、もとは中世で屡々用いられた本質(essentia)対実存(existentia)という一対の概念から由来している。エッセンチアとは、「或るものが何であるかということ、即ちこの存在者の内容的規定を構成するところのもの」であり「本質」と言われるものであるのに対して、エクシステンチアとは「或るものがあるということ、このかくかくの性質をもった存在者が現実にあるということ」を「存在する働き」を意味する。

我々は、この両概念が如何なる意味を中世において担わされていたかを、トマス=アクィナスの『存在と本質について』の中に見出す。神において本質と実存とは等しいが、被造物では異なる。実存は本質から原因され得るものではないから、他のもの(神)によって原因されるのだと考えられる。これは神の世界創造ということから出発して、本質を事物の純粋可能態と見て、従ってそれが存在し得るためには実存がつけ加わらねばならないとする考え方であり、実存と本質とは実在的に違うという。

Ⅱ ハイデッガーの実存概念との比較

このような中世エクシステンチアの意義は、一体どのような形で実存哲学でいわれる実存へと受け継がれているのであろうか。

ハイデッガー自身も言うように、先ず、『存在と時間』で実存という用語を用いたのには次のような理由があった。つまり、人間という「現存在は、存在者として、いわば自己から外へと出ている、それは世界の中に立ち現われている、つまりex-sistereしている。ここに我々がこのExistenzという概念を現存在の存在様式として用いようとして取っておいた理由がのである。何故ならこの存在者には世界の中にあるということが属しているのであるから」。中世エクシステンチアの、あの原因と無の外に立てられ、現実化されて、ここ世界の中にある、というその意味合いが、ここにはきっきり生きているわけである。またハイデッガーはその意味合いを生かして、世界の中へと現実化された存在の背景に神の創造というものが隠されてはいる。ハイデッガーの場合、少なくとも『存在と時間』の頃に、神の創造ということは考えられていない。少なくとも、その背景を別すれば、中世エクシステンチアのあの現実化されて外ら立てられてあるという意味が、ハイデッガー的な現代の実存概念の中に今なお生きていることは疑えない。そして更にハイデッガーの場合、実存の本質的あり方は時間性とされ、それは本来「脱自的」であり、実存は時間性の「脱自相」の中にあるとされるが、この場合の脱自的とは「即ち自己から外へと出ている」ということであり、従って「その概念はExistenzの概念と連関する」ものだったのである。即ち実存は常に己を超えて外へ、世界の中に開かれて現実化されているものであり、それが脱自的ということであり、ひいては時間性のうちにあるということであるのだが、このような実存の本質規定の中にも、中世エクシステンチアの意味は生きている。そして更に、その実存がその中へと現実化されて実存するその場、それが初めは単に世界とされ、その中に実存はある─世界内存在として─されるが、それが更に深く後期ハイデッガーでは、存在者が存在に基づいて生起し顕現して来る世界と考えられて来る。世界とは、存在者が存在者として現れ、取り出されて来るその場所であり、それはひいてはそのことによって存在が己を匿してしまうところでもあるのだが、従ってそこでは、存在の顕現と秘匿、明るみと無化が交錯するのだが、それ故にその世界の中へと出で立つ実存は、「存在の顕現性の中へと出で立つこと」というek-sistentなものとされ、だからまた存在者が現れることは同時に存在の匿れることを含む故に、「ek-sistentでありながら、現存在はin-sistentである」とも言われるのである。こうした存在者の顕現性が更に存在そのものの明るみによるというように視点が存在それ自体の次元へと深められるとき、「存在の明るみに立つこと」としての、存在の中へと開かれて立つというEk-sistenzとしての人間規定がうまれもするものであった。これはなんら立場の変化ではあり得ず、実存概念の深化であると言うべきものなのである。何故なら、元来が実存の概念が。「…の中へと」現実化され開かれて立つという、ex-sistereの意味を中世以来、根本的に持っていたからである。

2011年6月22日 (水)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(11)

(2)見出された〈日本〉

和辻は1927年から1年半のヨーロッパ留学に出た。この海外生活は、和辻に日本人の国民性の自覚をもたらした。時代を越えて持続する動かしがたいものとしての国民性や伝統、つまり日本的なるものの実在を認める日本人論的発想は、国民道徳論批判に見られたように、かつての和辻にとってはむしろ批判対象であった。だが、異国の生活環境に現実に触れたことが、自らどうしようもなく日本人であるという自覚をもたらし、日本の国民性、伝統の実在性を確信させた。和辻の留学は、結果的には日本再発見の旅だったのである。例えば、和辻は留学前から日本の古典文化を論じていたが、その対象はほぼ古代のものに限られ、エキゾティズムの対象か、あるいは普遍的意義をもつ優れた文化の一例として取あけられていた。それが対象は日本の歴史を貫く伝統全体へと拡大し、現代日本人にも通じる国民性を表すものとして変化していく。同じ日本への注目と言っても、その質が決定的に異なっている。このような急激な変化の一因は留学前の教養主義におけるコスモポリタニズムの性質にある。それは、書物や写真、複製絵画を通じて西洋文化を知り、西洋人と同様になることを喜ぶものであった。だが現実に西洋で生活した経験が、自然環境や生活様式の日本との違いをまざまざと実感させた。以前の同一性の確信が強かった分、差異の意識は強烈である。国民性は拭い去りがたいもの、同時に日本人すべてが共有しているものとして思い描かれることになる。教養主義者にとって現実の西洋経験は衝撃的で、忘れ去っていた日本の方へと歩みを変えさせるきっかけとなった。しかも和辻の場合に顕著なのは、日本の国民性や伝統を論じる際に、それを賛美する傾向である。

和辻の留学中の観察の中心は人々の生活よりも自然環境に置かれる。和辻はしばしば、日本の気候の細かな変化に対するヨーロッパの単調さを強調し、日本では自然自身が人生を豊富にしてくれる。いくら暴風や地震があっても我々には日本の方がいいと、日本の自然環境に対する郷愁を露わにする。国民性の相違についての議論が、自然環境決定論の色彩が強い『風土』に結実するのも、外国生活における関心のあり方に規定されていたのである。そして、自然環境と人との関わり方に注目するとことから、和辻は日本人の国民性に対する強い共感を表明するに至る。当時ヨーロッパに留学した日本人はそうであるが、和辻の場合はとりわけ、現地人との交わりを欠いていた。そのため、ヨーロッパにおける観察は自然環境に限定され、自然の差異についての認識が、国民性についての見解を固着させていったのである。日本人の国民性のイメージは、現代日本人の行動観察ではなく、異国で過去の日本人のテクストを読むという特殊な体験を通じて描き出されたのであった。かつての理想的共同体としての古代日本のイメージが、古代ギリシャとの類推による幻想の産物であったとすれば、この時の日本的なるものの発見もまた同種の幻想性を帯びていたといえる。しかし和辻本人にとっては、日本的なるものは決して空想の所産ではない。それは数千年来変わらぬ日本列島の風土に基づいて、日本人が築いた生活様式によって培われてきた心性である。したがって日本人が物事を観察し、何らかの行為を行い、ものを考える時、その意識は日本的な国民性によって原初的に染め上げられている。それが和辻自身が新たに得た実感であった。

こうした実感を理論化し、「人間の学」としての倫理学体系への発展させる基礎を与えたのが、和辻が留学中、1927年に読んだハイデッガーの『存在と時間』であった。とりわけ和辻にとって重要な意義を持ったのは、その中で展開された世界内存在の分析である。現存在の基本的なあり方の基本構造として描かれるもので、現存在とそれを取り巻く事物や他者との関係は、もともと、認識する主体と客体的対象という図式が分解して見せるようなものではない。人が周囲世界の知覚像を獲得できるのは、すでに世界と出会い事物と関係しているからである。つまり主客二元論の認識枠組みが成り立つ以前の具体的体験では、現存在は環境的に出会う諸々の存在者と交流し、それぞれの意味を了解しつつ生きており、その諸関係のネットワークが織りなす世界において自己を見出す。これが世界内存在である。人が周囲世界のむ知覚像を獲得できるものとしても、そうした作用を行う人間主体はいかなるあり方で存在しているかをハイデッガーは問題にする。現に生きて活動する自己の事実的なありように即してみれば、世界は客体的な事物の集合では決してなく、主体はいわば世界に埋め込まれた形になっている。実践的世界の発見を最も鮮やかに定式化したものと言ってよい。そして、ハイデッガーが世界内存在に備わるあり方の一つとして情状性を取り上げたところに和辻は注目する。人は様々な物や他者と交流するあり方において、常にその都度何らかの気分を帯びており、喜ばしいとか恐ろしいとかいった気分の内に世界内存在としての己を発見する。和辻はこれを自然環境と人間との関係にあてはめ、自らの風土論へと発展させていく。和辻によれば、我々がたとえば寒さを感じる時、その体験は主観の境界外にある空気の冷たさを感じるというのではない。その時は自己と寒気との区別はなく、寒いという気分において、我々自身が寒さの内に出ているのである。そして、気候のみならず地形や風景なども含めた総合自然環境たる風土と交渉する中で人は自らを発見し、生活様式を築いてゆく。国民性とは、民族が長年の風土との関わりにおいて蓄積してきた生活様式によって培われたものにほかならない。『存在と時間』はその体験を風土論へと定式化する媒介をなしたのであった。

和辻にとっては、ハイデッガーが世界内存在を論じる際に、現存在が物と関わる環境世界のみならず、他者と関わる共同世界を取り上げたことが決定的な意味を持った。情状性において、道具的な世界と共同現存在すなわち他者との両方に出会う。したがって現存在は他者とともにある共同存在であり、他者が現われず孤独でいるという体験も、実はすでに自らが共同存在であるがゆえに、その不足状態として成立する。例えば、人が特定の環境において何らかの振る舞いをする時、その人は自らを孤立した自我として対象化する以前に人のうちに出ている。すなわち他者との関わりの中で自己を了解している。土下座体験において振る舞いの型の持つ力に衝撃を受け、その意味を考え続けていた和辻にとって、魅力的な考え方であったと言える。「私がある」という意識の根底には自己がすでに「世の中に表立ちてあること」の了解がある。「世の中」とは人と人との交渉関係すなわち間柄を意味する。人間という言葉はもともと人の間すなわち「世の中」の意味を持っていたということは、まさしく人が本質的に世の中における存在であることを示している。このことから、和辻の間柄としての人間観、人間の学としての哲学体系が生まれてくる。だが、ハイデッガーの分析は和辻にとって不満を残すものであった。和辻の関心は形而上的な存在についての問いにはなく、そうした問いの主体となる人間存在の身体的・実践的なありようにあり、環境世界よりも共同世界をより根底的に位置付ける必要がある。

2011年6月21日 (火)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(2)

2.ハイデッガー研究の問題点─実存に基づく存在の哲学

では、ハイデッガー哲学を、生の内面に立ち返りながら破壊的に再構成し、それを理由づけてみようとするとき、どのような問題点が現れるだろうか。まず、彼の哲学の外観を見ていくと、登場の当初、1927年以後の数年は実存哲学と見られていたものが、1945年以降になると、実存哲学という人間的なものに認めず、存在そのものに注目するとなっている。彼の哲学は実存の哲学とも存在の哲学とも取れるような外観上の構成がある。問題は、このような外観の構成を破壊し、その背後に潜むものを取り出し、彼の思想を統一あるものとして理由づけ再構成してみると言うことだ。実際には、彼の初期に見られた実存への志向と、後年に見られる存在への志向との一見矛盾するかに見え、その実深く絡み合い、関係し合っている、この対立的相関の背後に潜むものこそ、ハイデッガー哲学における根本問題なのである。つまり、初期の実存哲学的な外観の底には存在への思索が潜み、また後期の存在の哲学という外観の底には実存の立場が相変わらず秘められ、ハイデッガー哲学は実は終始一貫、実存と存在をめぐって動いているのである。前期の思索は実存を正面に出しながら存在へ向かい、後期の思索は存在を前面に出しながら実存を秘めている。ということは、彼の哲学の根本において、実存と存在の両者が深い連関のうちに置かれて思索され続けてきているということである。我々は、彼の哲学を、単に実存の哲学でもなく、存在の哲学でもない、まさしく両者のかかわり合いを問うもの、言い換えれば、存在開示を実存の足場に求め、また実存の足場を存在開示のためにこそ設定する思想として、適切には、「実存に基づく存在の哲学」であるとして、言い当てざるを得ないと考える。それが一体どのような問題群を孕み、かついかなる射程において、どのように立体的にその構成を成り立たしめているか、かくして如何なる存在理由によって成立し、かつどこにその意義と限界を有するか、そうした問題を徹底的に究明することが、我々の論究の課題なのである。べつの言葉で言えば、ハイデッガー哲学は、ギリシャ以来哲学の根本問題であった存在の問題をその思索の中心に据える。しかもそれを、単に古代中世におけるような素朴な存在論的思索によって解こうとするのではなく、また近世哲学におれるような認識論の設定によって解明しようというのでもなく、そうした西欧哲学の伝統を踏まえ、それを乗り越えながら、新たに人間的現存在に定位し、その実存という端緒に基づいてこそ存在の真理は真に照明され、また実存という足場は存在の開示のためにこそ採られ、単に旧くからの存在の哲学であるのでなく、単に現代的な実存の哲学であるのではなく、まさしく「実存に基づく存在の哲学」であることによって、初めて彼の西欧思想における独特な史的意義も浮かび上がってくる。そしてこうした哲学として、ハイデッガー哲学は、人間的実存のあり方についても、また旧くからの存在の真理の問題についても、独自な解明を企て、かつは特異な結論を産み出しているのである。

このようにハイデッガー哲学の構成の核心がこのようにあるとするとき、我々は1.でも触れたように、我々自身の生の内面に立ち還って理由づけ、それにその存在理由を与え返すことも試みなくてはならない。そのとき一体、ハイデッガーの「実存に基づく存在の哲学」は、どう受け取られるべきであろうか。

ハイデッガー自身も、我々の解釈によれば、実存に基づく存在の哲学の試み、そこに終生の思索の課題をおいていた。しかし、ハイデッガーにおける実存と存在は、実は、極めて特異な結論へと最後的には到着している。彼においては、実存概念は極めて狭い独特の意義を帯び、存在概念も特殊な秘儀に化し、そうした秘儀としての存在の真理にかかわる地点でのみ実存が問われ、またそうした地点での実存的なあり方が哲学の出発点であり、こうした狭隘で深遠な両者が密接にかかわり連関する世界が、彼の哲学の核心なのである。ハイデッガーの哲学は、特殊な実存から発しつつ、秘儀としての存在の真理にのみかかわるという、その独自のかかわり合いの地点にのみ、生の裁断面を限定し、完結しすぎている。我々は確かにそうした局面を、我々の生の中に発見し得るであろう。だが、それのみを以て、我々の生のすべてが尽くされ得るかどうか、そこには、なお問わるべき多くのものが残っているように思われる。我々の生の内面に立ち還って、その中に見出される人間的実存の立場と現実的存在の全体をとを広く眺望し、そうした生の事実への還帰のうちで、ハイデッガー哲学の根本問題たる実存と存在の領野を批判的に見定め、以て彼の哲学に充分な存在理由を与え返しつつ、それを破壊的に再構成し、そして同時にその完結性と特殊性を突破って、我々自らのより豊饒な実存に基づく存在の哲学の理念へと出発していくことも、要言すれば、ハイデッガー哲学の見えざる中核である実存と存在のという問題をどう体系的に解釈するか、その深い意味を生の現実の只中で如何に捉えていくか、かくしてそこから哲学そのものの理念をどう樹立ててゆくべきか、それがハイデッガー研究の根本の問題点なのである。

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(10)

第3章 倫理学と政治

1.倫理学体系の形成

(1)人格より人間へ

1934年の『人間の学としての倫理学』、1937年の『倫理学』などで表明された和辻の倫理学体系の基本的特徴は、従来の人格の立場の根本否定として、独自の意味を帯びた人間の立場への移行がなされている。これまで、見てきたような人格主義から人間への移行はどのように行われたのか。

実は、1921年の『原始基督教の文化的意義』にも、その兆候が見えたのであった、第一に、かつて追い払ったはずの死の闇が再び和辻の心に付きまとうようになっていったのであった。親しい人の相次ぐ死を通じて次第に醸し出されていったと思われる。いくら教養を積んで人格を高めても、人を死の不安から免れさせることはできない。人格・生命・文化の光の背後にある死の闇は、人格主義をその内奥から脅かすものである。この時期、和辻は一時的に宗教への接近を見せる。それは生死を超える超越的なものへのひそかな思慕となって表れたもの。和辻自身は信仰に対しては両義的な感情を示し続けるが、人格主義を支える自律的個人のイメージは、内側から崩壊の危機にさらされ、超越的なものの影が、その自己完結性を脅かすこととなった。そして、第二に社会生活に存在する型の発見が別方向から和辻の人格主義を揺さぶる。和辻の人格主義の発想において、調和的共存は、個人が教養を身につけて人格を高め、人間本来の融和的性質を発揮することで可能となるものであった。つまり、外からの強制を廃し、内面的な心の修養に努めることが、真の調和を達成するのである。しかし、序章で紹介した土下座はこれを逆転させたものであった。そこでは身体を形に沿わせることが、逆に人の内面に変化をもたらし、他人との心の交通を感得させる。人格主義の立場からすると、これは二重の意味で脅威である。まず、心情さえ謙遜になっていれば、形は必ずしも等に及ばぬとの主張に反して、外面的な形が内面の謙遜な心情を生む以上、かえって内面の方こそ問うに及ばぬということになってしまう。さらに、この形はすぐれた哲学や藝術を学ぶことで培われたものではない。その意味で無教養な村人たちが、村落生活で古くから共有されてきた行為の定型を、ごく手軽になぞっているだけである。したがって教養を通じて人格を高めようという人格主義の主張は深い疑義にさらさられることとなる。現実の社会生活においては、教養などとは無関係なところで、人々の共存を可能にする型がしっかり根付いているのである。この時、和辻に対して、人と人とが交渉しあう領域としての社会が、初めて姿を示した。個々人の意識を超えたところで型を保存し、その行動を規定して集合的一体性を保つ生きた社会に見える表現の発見である。そして第三に、人格主義の限界を決定的に知らしめた事件が和辻を襲った。関東大震災である。震災後数日、余震と火災波及の不安におびえ、日常生活を支えていた電気・通信網の決定的な遮断として和辻に衝撃を与えた。減退生活を支える文明的基盤が消滅した状態に突如放り出され、和辻も流言蛮語に踊らされる。しかし、同時のこのような極限状況の中で人々が見せた行動は「純粋な人間の情緒へ感動」を起こさせるものだった。これは和辻にとっては衝撃的であった。文化を伝える情報伝達網が失われ、教養による人格陶冶とはおよそ無縁に状況下で、人々がごく当たり前に営利を離れ、互いに苦しみを救おうと行動しているのである。では、彼らが純粋な人間の情緒を生み出しえたのは何によってなのか。問題を再び内面的心情に回収することは、文化の遮断を身を以て味わった和辻には、人格の向上が教養と直結していたがゆえに不可能である。人格主義の立場は、ここに破綻を余儀なくされる。人格主義の立場は、死の不安と生きた社会における実践との両面から挟撃され、大震災体験に至って完全に破砕されたのである。

それは和辻にとって、哲学上の理論枠組みの根本転換を迫るものであった。人格主義はデカルト以後の近代西欧哲学が出発点としたコギトの立場を前提とする。すなわち、ただ一人思うものとしての自我が学にとって唯一確実なものであり、この自我が認識主観として客観的な世界を知覚する。これが知の基本構造であるとされていた。和辻の人格主義も、理想世界と現実世界との断絶を強調し、理想世界における他者や自然との調和に憧れる、いわゆるロマン主義的傾向を帯びているものの、その立脚点は外界を観照し感情移入するコギトだった言える。しかし、今や、内面の閉域で文化作品を鑑賞し理性的向上に努めていた自我は、その外部に蠢くものとの関わりを意識せざるをえない。それは、対象世界を知覚しつつ一人思う前に、超越的なものの影や、人々の社会的実践との連関にすでにさらされている。人格主義が思い描く個人の内的意識のドラマの領域が破られ、新たな立場が求められてゆくのである。この新しい枠組みは、後に『人間の学としての倫理学』において「観照の立場に先立ってすでに実践的連関の立場がある」ことの発見として定式化される。「実践的連関」はこの段階ででは人と人との行為的連関に限定されることになるが、和辻にとってさしあたり問題になるのは、自我は、孤立した認識主観として自らを対象化する以前に、その根底で外界の事物や他者との実践的なかかわりに組み込まれているという事態である。主観・客観の峻別を前提とする認識枠組の以前に展開する生き生きとした日常的経験においては、人間主体は自ら知らぬ間に己の外に出て、己を取り巻く諸々のものと出会い、それらと交流する世界において己を発見している。コギトの解体と実践的世界の発見とも言うべきこうした論題は、20世紀初頭以降のドイツ哲学が取り上げつつあったものである。

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(1)

Jirou これから、少し長くなるので、途中休みを挟みながら、断続的にアップしていきたいと思います。

第1章 実存に基づく存在の哲学

第1節 ハイデッガー研究の態度と問題点

1.ハイデッガー研究の態度

ひとつの哲学史的対象を研究するとは、その思想の見えざる糸をたぐりつつ、それを破壊的に再構成することである。(これにディルタイの見解を適用すれば)一人の哲学者が彼の生と体験の只中から構成した一つの思想的表現世界を、その与えられた構成を取毀し、破壊することによって、もう一度その見えざる内面的連関を追体験し、そのことによって、同時に、己れ自ら生の中に環帰し、我々自身の内面的世界へと振り戻って、その中から、今一度、その思想の存在理由ないし生成理由を与え返すということこそ、解釈というものの真の姿である、ということになる。再構成するとは、与えられた構成を取毀し、我々自らの生の内面に還帰し、そこからその思想体系の理由づけを与え返すことによって、その思想を真のあるべき構成の中に蘇らしめるということでなければならないのである。我々は哲学史的研究を行うに当たっては、ある思想の表現の底の見えざる糸を辿りつつ、その思想の産まれ出た根源の、そして我々自らもがその中に置かれている、ある人間的生と体験の世界に振り戻って、その生の内面への省察の中から、その思想の存在理由をもう一度与え返すことによって、それを破壊的に再構成する、という態度を採らなければならないように思われる。

以上のような方法路的議論によって。重要な結論が帰結してくる。というのは、我々は最初ハイデッガーの哲学史的研究をなすと言ったが、実は我々はハイデッガー哲学という一つの哲学史的対象を破壊的に再構成することによって、常に同時に、哲学史的世界を超え出、哲学する我々自らの生の中にはね返され、振り戻されるということなのである。即ち思想の研究は、思想自体がそこから発生した生そのものの中へと我々を連れてゆき、その生の中から、思想の方向づけを与えることを、我々に要求する。我々は思想から生へと還帰するのである。

このことをもう少し別様に言い換えてみよう。我々は最初、哲学史の世界、哲学的諸見解の遺産、そういうものの記録された世界、即ち出来上がった哲学の記録の中に、そういう意味での哲学史の中にいる。しかし、第二に、それの再構成に向かうとき、必然的に我々は、我々をもまたその思想家をも包んだ、一つの生の内面へと連れ戻される。その生の内面へ沈潜し、そこからその思想の理由づけを与え返そうとする。その生の内面は、一方で明るく澄んだロゴス的世界をもち、他方で暗いパトス的側面を含み、両者の交錯、流動の中に、我々は容易に捉え難いものとして、いつも我々を取り巻き、我々を揺さぶり、我々自身がその中にいる生というものが、拡がっているのである。我々はこの生を凝視し、そこからその思想の存在理由を与え返そうとするのである。しかし、第三に、我々は、こうして生の内包世界を凝視しながら、まさしく、そのようにして哲学しながら、生存している。我々は、哲学するという生起─歴史の中にいる。ここで我々は、第一の意味とは違ったものとして哲学史の世界にいるわけである。そしてここでは、このような哲学する我々自らの生存ないしは言ってみれば実存は、遂に思想の世界に組み尽くされ得ぬ根源として、そこから脱落し、また脱落した実存の根拠の上に立って、我々はある思想体系を再構成しつつ哲学するのである。我々は生というものの只中に立って生を了解し思索しようとする。生を生から了解するというそのときの校舎の生は、ついに了解の次元から脱落する。なぜならそれが生の了解を可能ならしめるその当のものだからである。我々は、最終的には、常にこの究極の生そのものの只中にはね返され、そこに立って哲学することを行っているのであり、また哲学することは常にこの地点まで還って来ねばならないであろう。

さて我々の方法論的態度の結論はこうである。常に思想から生へ還る運動を背後に秘めながら、ハイデッガー哲学を、その見えざる糸をたぐりつつ、破壊的に再構成し、これを理由づけてみるということである。

2011年6月20日 (月)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(9)

そして、和辻は日本国内の政治や社会にも現代文明の堕落傾向を見た。一部の富裕者層によって選出された議員が党利党略によって政治を左右し、思想政策については従来の言論統制と忠君道徳注入を踏襲している現実は、和辻のデモクラシーの理想とは徹底的に相容れず、政党政治家にたいする不信の念を強めていく。従って、これ以後の和辻の政治論の第一の重点は、思想政策批判から、特権階級の改造、すなわち、普通選挙制と社会政策の実行へと移っていく。このような政治参加と生存保障の平等化とそれを政策として進める内閣のリーダーシップは強調されるが、政党は顧みられなくなっていく。それは、理想を実現する政治家のあり方として、「日本文化史」の中で、和辻は民の生存を保障する道徳的理想に基づき、全体的な見通しを持って一国の政治を担う大臣を哲人政治家の理想と説く。さらに、支配と統率の区別を説く。支配は兵力や経済的実力によって民を統制することであり、統率は民の福祉要求を実現して指導者としての信頼を集めることである。統率が十分に行われ、民の生存が保障されていて、初めて権威が生まれる。従って支配は統率の要素を含まない限り正当化されえないと主張した。現代においても大臣(内閣)のリーダーシップを通じてこそ改造が実現できるというのが和辻のメッセージだ。

さらに政治が実現すべき道の内容が人々の生存の保障に具体化されるのに応じて、天皇についての力点も移動させていく。天皇が道の理想を体現し政治家はそれを実現する義務があると強調する。これは代々の天皇が個人的信条としての道を信じていることではなく、天皇という位が、政治的理想を代表し象徴する。和辻は青年時代から生命を具体的に表す媒介として考え愛用してきた象徴の概念を使い、国民の生存を保障する理想の実行を政治家に迫る点を強調しているのである。したがって、統治権を代行する政治家は天皇からの委任という形式を踏む限り、この理想の実現に努めなくてはならない。天皇の存在は統治活動の権威にかかわり、天皇位の体現する理念を実行する限りで、政治家による支配は、正当的な統率たりえる。しかし、このように道を説いても、デモクラシーとの関係がもんだいになるはずだ。しかし、それは和辻の考慮の外にあった。デモクラシーは必然的に道の実現に結びつくものと考えられていた。

このような和辻のデモクラシー観はサミュエル・ブッチャーの『ギリシャ精神の諸相』に由来するもので、そこでは、人々は利己的な自己を捨て、真の自己を顕現させて他者との調和に生きる。政治参加の討論の過程においてロゴス=理性が輝きだし、全体の有機体的調和を生み出すのである。これは人間の調和的本性を前提に、デモクラシーが共同性を実現する側面を極めて強調したものと言えるが、和辻の人格主義の発想には極めて適合的なのであった。この人格主義の立場が理論的基礎としたのが、テオドール・リップスの『倫理学の根本問題』であった。リップスの倫理学説は心理学をすべての基礎に置く立場に基づいてカントの学説を継承したものであった。つまり、行為が正しい行為となるための字用件は、その際の客観的な道徳法則に自己の意志を従わせることであり、それは同時に自己の本性に従うことを意味するというカントの立場が踏襲されるが、その際に意志が道徳法則に従うようになるためには、それを表象するだけでは不十分で、道徳法則に対する尊敬の感情が必要である。ここまではカントも説いていることであるが、リップスこの動機づけに関して独自の心理主義的な基礎づけを行う。まず、道徳法則は人の道徳的本性の表現であり、道徳的人格の本質なのだから、道徳法則に対する尊敬は道徳的人格に対する尊敬のことであるとする。このようにリップスはカントにもまして人格を強調し、自分だけでなく他人の人格を高めることに重点を置く。その意味で人格的価値が最高の価値であるという。こうした尊敬感情を基礎づけるのが感情移入の心理作用である。すなわち、他人の喜びや悲しみに同情する作用が人間の本性に備わっている。つまり、他人の表情の外的変化を見て、その知覚像に自己の心的体験を投射することから同情が生ずる。従って他我のむ存在を知ることには、自己の二重化によるものに他ならない。このことによって、行為が道徳法則に合致しているかどうかを本人の自己判断に委ねざるを得ないという主観主義の問題を回避できることになる。しかし、ここで注目すべきは、自律道徳の峻厳さ和らげ、人と人との関係の理想的な在り方をきわめて融和的なものに描いていることである。これは、融和的な共同性に基づいたデモクラシーの理想像を見る和辻の考え方に適合的である。

2011年6月19日 (日)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(8)

3.文明を超えて

1921年の『原始基督教の文化史的意義』で、和辻は視線を当時の世界全体に向け、現代文明批判を展開している。当時の、電信、飛行機、ラジオなどのコミュニケーションの革命により、世界中の人々が同じ情報を同時に共有するようになる現象それ自体は、世界の優れた文化産物を享受しようする教養主義者和辻にとって歓迎すべき事態のはずである。しかし、和辻は否定的見解を述べる。当時の世界を支配する潮流が、古代ギリシャのような高度な精神性を備えた文化とし程遠いものと考えたからであった、投資背の支配的潮流であるアメリカ風俗対して、和辻は文化ではなく、その堕落形態としての文明でしかないという。和辻によれば、文化と文明の対比の基準は、ギリシャ的なたましいとローマ的な知力との区別である。前者が高度な精神性と道徳性を備えたものであるのに対し、後者は物質的享楽を貪欲に求め、その享受を簡便にする手段を次々に開発する実際的実用主義的な知性のみを肥大化させている。その上に立って現代の英米人は、古代ローマ人と同様に、実用的技術を発展させ、富を蓄積し、飽くなき征服欲から世界征服を成し遂げたのであった。その文明が浸透したところでは、金がすべての価値を決定する。政治から学問・藝術まで、すべての人間活動が金儲けを目的として営まれる。人々は富の集中する都市に集まり、大都会の出現を見る。そこに群れ集う大衆は道徳的自制心を投げ捨て、ひたすら奢侈に身を投げかけて、肉欲の満足に没頭するのである。人格主義・教養主義の立場をとった和辻にとって、都市の理想像は、人々が高尚な文化を共有する空間である。それは、人々が文化を身に着けることを通じて人格を高め、互いに調和して生きる道徳的な世界である。しかし、眼前の拡大しつつある都会は、反対に、肉体的・金銭的欲望の追求と生存競争が横行し、低俗な娯楽文化ばかりが繁栄している。日本もこうした文明化を急速に進行させていたことに対して、和辻は英米文化のもたらした世界的動向の一環ととらえ、警告を発していた。このように文化と文明の対比は、シュペングラーの『西洋の没落』から引いている。

個人も国家も利欲と享楽に走り、自己拡大欲に支配されて闘争しあい、国内では貧富の差が拡大し、国際世界では弱小なアジア諸国がヨーロッパ列強の餌食となっている。現代の世界をおおっているこうした文明をいかにして超え、理想的な文化に裏付けされた世界を築いてゆくか。これが1920年代の和辻の課題となる。

その対象は国際政治から、植民地の独立と国際平和の確保を主張する。その中で欧米諸国のアジア支配を批判し、このような白禍に対抗できるのは日本しかいないと主張するに至る。ここでの和辻には台湾や朝鮮の事態が眼中に入っていない。これは日露戦争の勝利によって日本が白禍を初めて食い止めた事実に対する賞賛の念からである。しかも、これはアナトール・フランスの『白き石の上にて』に触発されたもので、西欧人自身の自己批判と日本評価に出会ったのだった。日本人としてのりナショナリズムの心情から出発して日露戦争を評価しているのではなく、人類の立場からして、植民地支配を撃退した日露戦争は重大な意義を持つ、しかもそのことが西欧人自身の自己批判によって論証されていた。これは、後年支配勢力である英米への不信と、日本の任務に対する自負とが、日中戦争や太平洋戦争に対する支持への和辻を導くことになる。

2011年6月18日 (土)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(7)

2.デモクラシーの再現

1920年前後の時期は護憲運動が活発化する中で、吉野作造の「民本主義」が説かれる等のデモクラシー論が論じられた。こうした動きの中で、私もまた古代研究と並行して民本主義論を発表する。当時おこったロシア革命による君主制の倒壊に触れ、専制政治がかえって国民の思想を過激な方向に走らせ、急進的な革命と内乱状態を招いたと分析し、日本でも言論統制をやめ民本主義の政治を採用しないと、皇室も転覆の危険に晒されると説く。ここまでは、吉野らの主張と変わりはないか、和辻の特徴はこの後である。すなわち、和辻にとって民本主義の実現は、理想社会たる古代ギリシャ─古代日本の再現という積極的な意味を担っていたのである。和辻は、古代日本の政治体制をことさらにデモクラティックなものとして描くのである。例えば記紀の記述にしばしば「衆議」が登場することに注目し、統一前の地方小国家における「民衆会議」の存在が古代政治体制の出発点として想定され、統一達成後の大和王権における豪族の会議もその発展形態として捉える。統一後の政治組織の場合についても、民衆が会議に直接参加するわけではないにせよ、同じく「衆議」によって政治が行われている点を和辻は強調し、「衆議」に列席する豪族は各地方の人民の代表者であると見なすのである。構図としては近代立憲国家における代議制度と重ねた見方と言える。こうして、和辻は、直接民衆会議によるか、もしくは豪族会議によって間接的に、民意を実現する政治の行われた世界として日本古代を描く。会議を通じての民意=神意の発見に基づいて、天皇はそれが実現されるようはからう。この時、象徴たる君主によって具現された民意の帯びる神秘的な権威は、君主が儀式や高度な文化産物を通じて放つ光と一体ということになろう。

和辻は、この中で三つの潮流を批判している。天皇に対する忠君を国民個人の強制しようとする国民道徳論と、君主の神権を力説する古新道及び民本主義を敵視する国体擁護運動である。和辻の戦略は、政府が思想統制に当たって掲げる日本古来の国体の主張に対し、全く異質な古代日本像を提示して、いわば国体論を逆手にとってデモクラシーを擁護することにあった。つまり、すでに古代日本において民本主義の政治が行われ、その理想を綿々と保持してきたからこそ天皇家は日本国の中心として存続できたと説くのである。さらに和辻は、民本主義を国体の継続の理由と位置付けるのである。

しかし、和辻にとってデモクラシーは戦略上の手段ではなく、それ自体推奨されるべきものであった。言論の自由や政治参加の保証を通じて、心と心の交通が円滑となり、初めて政治社会全体の有機的共同が実現される。デモクラシーは、民意を統治に直結させる回路の機能を果たすだけでなく、政治参加を通じて人と人との真の共同を可能にする倫理的意義を持つ。和辻のデモクラシー観は、デモクラティックな制度の保障する動態的な政治過程よりも、そうした制度が実現する共同性に重きを置くものである。そして、国家が個々人を型で束縛するような思想政策は、この観点からも排撃されることになる。それは民衆の奴隷化をもたらすのみで、真の共同の実現を妨げるのである。和辻は、たとえば教育勅語を利用することにより、天皇の絶対化と忠君の名目化による思想統制を批判した。教育勅語の各論部分に見える普遍的なモラルは思想的立場の違いを越えて通用するものであり、「衆議」の尊重は、天皇を含めて政府は勅語の普遍的な道を尊重するとともに、言論の自由を保障する義務があるということになる。和辻は教育勅語を天皇と政府を束縛するものとして取り上げたのである。ここで天皇が普遍的な道を尊重するということは、特定の政治的立場や宗教の味方には立たないことと同義である。こうした議論は、天皇大権を事実上形骸化させ、議会に直結した内閣の指導性を強調する点で、美濃部達吉の天皇機関説と共通する。

このように、和辻が古い日本を取り上げる際、課題としているのは、政府の思想政策や保守的論客が古代日本を説くのを逆手に取り、自らが読み替えた古代日本のイメージによって、現代のデモクラシーをいかに弁証できるかということなのであった。

2011年6月17日 (金)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(6)

第2章 古代日本とデモクラシーの発見

1.古代日本との出会い

和辻は1920年に『日本古代文化』を刊行する。そこには、藝術作品の美を作者の人格の象徴と見なす藝術観が、遠い古代の文化産物との出会いを経て、歴史的興味へと発展したものが現れたといえる。そして『古寺巡礼』を生むわけだが、ここでは仏像もまた愛の光、生命の光を放つ偉大な芸術作品として考えられている。美しい仏像を目の当たりにして光に身をさらすとき、人は激しい衝撃を受け、驚嘆の感情にうちふるえ、心の奥底から湧き上がる歓喜のうちに、偶像に帰依するのである。そして、和辻は、古代人もまた同じ驚嘆を体験していたと想像する。偶像は、根本的な生命の流動を具体的な形で象徴し、それに統一ある力強さを与えるものである。古代人は、仏像の美しい姿に打たれることを通じて、人智では測りがたい神秘的な生命に初めて触れることができた。それは同時に、鑑賞する古代人が自らの生命、真の自己の姿に出会うことでもある。理想的人格の象徴という藝術観が、ここでは過去の時代の人間精神に適用されている。古代の仏師たちは当時の人間の精神の本質を仏像という象徴に具体化し、それを見た古代人の驚嘆は、単なる美的感動ではなく、彼らの自己発見の喜びでもあった。このように、自分の感動は同時に古代人の心情の追体験でもあると和辻は考えたのである。

さらに、和辻の想像は、古代人の仏像体験から演劇体験に向かう。このように古代文化にじかに触れた体験が、古い日本についてのイメージを一新させた。無味乾燥なものに見えた古代史は、実は華やかな色彩に満ち、生命感あふれるエキゾティックな世界なのであった。これが和辻の古代日本の発見であった。和辻をまず魅了したのは、古代の仏教信仰が美術・演劇・舞踏を多く手段とし、人を感覚的陶酔に巻き込む点だった。感覚の放埓な開放は、人格主義への展開を経た和辻にとっては否定的対象であったが、古代日本に潜んでいた「ディオニゾス的」性格の発見は、従来抱いていた日本歴史像との違いの大きさのせいもあって、心の奥に抑圧していたかつての耽美的傾向を刺戟し、和辻を魅惑の虜としたのである。しかし、ここで和辻が最も評価するのは、単なる写実を超えて「宇宙人生の間に体得した神秘を、人間の体に具体化」した薬師寺聖観音像の理想美ということになる。すでに確立した人格主義の藝術観が、ここでも貫かれるのである。

和辻の議論は古代藝術の特徴を論ずるだけにとどまらず、このような文化の光こそが大和王権による統一国家成立を可能にしたと説明することになる。和辻にとっては、地方征服に向かう天皇と軍将の甲冑は鮮やかな黄金の光を放つものであった。中国の高度な文化を手にし「金人の如く美しい」輝きを放つ天皇の姿を目にした時、未開人たる地方豪族は驚嘆して畏れおののき、その光にひれふす。和辻の描く古代国家統一の原初的イメージはこのようなものであった。そして、全国統一以前、地方王権の段階でも、邪馬台国や大和王権の王権自がそもそも光を放つ儀式によって成立したと和辻は考える。それが、占い・神がかり・厄除けといった儀式によって、神の命令を伝え、あるいは神の祟りを防ぐ祭司の姿が、その神秘感によって人々を圧倒し、尊敬を集める。これかせ王権の始まりである。このような経過を通じて生まれた祭政一致が政治的支配の原初的形態だと和辻は考える。決して赤裸々な暴力による征服や威嚇が最初にあるのではない。

日本に限らず原始社会では一般に、神を祭る祭司が統治者の役割を兼ねるようになって王権と国家が発生したという考えは、当時にあっては西欧の社会学・人類学からの流れとして、日本史研究において珍しい説ではなくなっていった。しかし和辻の場合は、同じ祭政一致でも、君主が儀式を主宰し、そのきらびやかさで人心を惹きつける側面を強調するのである。儀式における祭器の輝き、進んだ文化の光を通じた国民的信仰の成立によって国民が誕生したと主張する。このようなイメージは、和辻自らがかつて文化の光を渇望しイルミネーションや演劇に陶酔した体験と重なっている。そして仏像や伎楽面を目にした瞬間、古代人も同じ感動を味わったものと直感したのである。

かつては西洋文化一辺倒で日本の古い文化など顧みなかった和辻は、ここで古代日本を賛美するようになったのである。これは、理想的な文化が、実は自らの足元で、祖先たちの手によってかつて開花していたと考えるようになった点のみに着目すれば、日本への回帰とひとまず呼ぶこともできよう。だが、この時期の和辻には、俗に日本回帰と呼ばれるような、時代を超えて持続する日本人の民族的特殊性といったものの存在を認め、それを称揚する姿勢は皆無である。和辻が強調するのは、連綿たる伝統の確認の喜びでなく、むしろ古代人との不連続感なのである。

そして、古代日本文化の性格についても、和辻が指摘するのはその日本的特殊性ではなく、コスモポリタンな色彩なのである。とりわけ、和辻が強調するのは古代の日本とギリシャの共通性である。古代日本にギリシャの影響を見ることから、それだけにとどまらず、そもそも両者は自然環境や心性の点で似ている

2011年6月16日 (木)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(5)

和辻の人格主義は1915年の『ゼエレン・キエルケゴオル』で確立する。この人格主義は教養主義と必然的に連関する。和辻の場合、その結節点を成すのが象徴に基づく藝術創作論である。自然主義は、人間生活の赤裸々な事実を克明に描こうとし、人の食欲・性欲・名誉欲などを暴き立てる。だがそれは、自然の外形を観察しているに過ぎない。必要なのは、その内奥に潜む生の豊富な活動を把握することである。すなわち、外形を象徴として現れて来る内部の生命を感得することが、藝術創作にはまず必要である。万物の奥底にも、自己の内にも生が息づいている。藝術家の使命は、この内的な生命の光を「象徴」としての作品に形象化することである。この作業を通じて、藝術家自身の人格価値は高まってゆく。したがって藝術の真正なる内容は人格的生命である。鑑賞者の美的感動は、作品の美に理想的な自己の本質を見ることに等しい。偉大な作品の享受を通じて、鑑賞者の人格もまた高められるのである。このような和辻の人格主義、人格を高めて他者との調和にいたるという道筋は、キリスト教のような超越的な神ではなくこの世界に遍満する生命の源泉となっていて、文化作品を媒介とする個人の陶冶の過程を詳述するのみで社会・国家との合一を解くまでは至っていない。そして、和辻は、西洋文化の精髄を本格的に受容し、日本文化を改造することを提唱する。

大正期教養派知識人のコスモポリタニズムをここに見ることができる。西洋の精神文化を吸収し、人格・個性の陶冶に努めることは、そのまま全人類の文化的向上、和辻の言う第2のルネサンスに直結する。しかもそれは、現代的な物質主義に惑わされ世界戦争に狂奔する今の西洋人よりも西洋的になることなのである。彼らが忘れた西洋の偉大な合理的・精神的文化の伝統を、日本に住む知識人が古典の読解を通じて身に着け、新しい生命を吹き込むというものだ。教養派知識人たちは、日本国内にとどまり現実の西洋との接触を欠いたまま、膨大な書物の読破や、画集とレコードによる音楽鑑賞を通じて、すてに西洋の文化の中に生きていたのであった。

しかしこれは、よく見れば奇妙なことで、このような世界の文化の蜜を集める生活をする知識人は日本の全人口のごく一部に過ぎない。日常生活において彼らを取り囲むのは、高尚な教養とは無縁な大衆なのであった。日本人のうちのごく少数が、読書生活にはげみ、世界人を自任して日本文化全体の改造を夢見ていたというのが実情であった。この時期の和辻の文章には衆愚たる大衆を見下す態度が露骨である。

逆に言えば、このような傲慢の裏面には自らが社会の少数者に過ぎないという不安がある。周囲の大衆と教養人たる自分を区別するために、人格の向上は、熱烈に、執拗に追求されなくてはならない。その構図は、自分と周囲の大衆との関係だけでなく、自らの内面においても同様である。かつて享楽と頽廃に魅かれた経験を持ち、そうした邪悪な傾向を自覚しているからこそ、人格を高めよというスローガンは、ますます偏執的な調子を帯びてくる。従って、この努力には終わりがない。人は自己分裂や過剰な欲望に悩む自分を永遠に鞭打ち続け、その苦しみの中で自己の高貴性を確認するのである。「内的緊張」は当時の和辻の常用語であるが、緊張の維持は同時に不安の連続である。この不安定な心境に対して、のどかな桃源郷のイメージを提示し、静かに安らう先をもたらしたのが、古代日本の発見であった。

2011年6月15日 (水)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(4)

3.Formの神秘

和辻は東京帝国大学哲学科に入学する。1911年『新思潮』に「エレオノラ・デュウゼ」を発表する。イプセンやメーテルリンクの舞台で活躍したイタリア出身の女優エレオノラ・デュウゼへのオマージュである。彼女は最小限に切り詰めた動作によって情熱を表現する。これを和辻は、暗示的な演技によってFormの神秘が実現されるといい、象徴による表現への指示を明言する。これを機に、和辻は享楽的傾向から離れていく。

象徴は、これ以降、和辻の青年期テクストでよく使用される。和辻は機械的と生命を二項対立的に捉え、物象の背後にある生命、もしくは作者の内面に潜む生命を表現するとき、その現象形態たる現実を微細に分析し部分部分を逐一写し取るやり方では、生命の生き生きとした全一性を破壊してしまい、機械的な死んだ造形しか作れない。これに対して、象徴による表現は、ある一つの物象を選び、それにより生命の有機的の全体を暗示する。一方、リアリズムを批判し、生命を十全に輝かせることを目指すとはいっても、生の根源的な力にひたすら耽溺し、その情調を自由奔放に表現するのではない。その意味でのロマン主義もまた否定対象である。ここでは感情の無形式な表出は排除され、形式を意識的に彫琢すること、すなわちFormの洗練が求められる。和辻のドゥーゼ論はそれをよく示している。このような象徴主義の潮流において、形式の厳密さは、美的価値のみならず一種の倫理的価値も付与される、作品制作にあたってFormを磨き上げることは、自己の霊魂を支配することと等しいからである。こうした象徴主義との出会いが、美的享楽から人格主義への和辻の転回の発端を成したと言える。

もともと、和辻が耽美派に近づいたのは、生の意義を追い求める青年の焦燥をともにし得ると思ったからであった。煩悶から享楽へという道筋がよく現われている。そして、彼らに共犯者の愛着を抱き、親しく交わるようになったが、やがて生の冒険のごとく見えたのは、遊蕩者の気ままな無責任な移り気にすぎなかった。と気づく。そして自らの内にあるSollenを再発見して彼らと決別し、自己を高めることに努めるようになったのである。それは心の内の欲望を抑制し、生まれつき潜在的に備わっている真の自己を発現させること、すなわち人格を高めることと同義である。そして人格が十全に向上したとき、人は利己的に生きることを止め、他者との調和の内に暮らすことができるはずだと和辻は説くようになっていく。

人格主義への転向の後、1913年『ニイチェ研究』を世に問う。ここには人格主義のマニュフェストという側面をもつものであった。それは「権力意志」を中心にニーチェの哲学を体系的に叙述しようとするもので、特徴的なのは、ニーチェとベルグソンの類似が随所で強調され、さらにはニーチェが人格主義・象徴主義者として描かれている点である。和辻はニーチェの「権力意志」を、人間の意識の深層の「根本生命」と説明する。そしてそれは客観。主観の区別を超えた「永久の生成」であり、表象された世界の根底の神秘な現実をなすと説く。藝術家の創作活動は、この流動的な生命を象徴たる作品に結晶させることに他ならない。こうした点でニーチェはベルグソンの先駆者とされ、さらに科学的客観主義を越え内生活を深めた思想家としてメーテルリンクになぞらえられるのである。

つまり、ニーチェによればあらゆる人間の内に宇宙の生命が潜在的に備わっていて、彼の説く貴族と平民、少数者と群衆の違いは、その生命が自由に発現しているかの違い、すなわち権力意志の強度による段階の差にすぎない。和辻はこうまとめた上で、その段階を人格の段階、人格の強弱、霊性の質と言い換えるのである。したがって、ニーチェは人間の内面的生活における価値の尊重を説いた人格主義者ということになる。この人格の向上に努めることによって、利己主義と利他主義をともに超えた、生活の本質の上に立つ新しい道徳が可能になる。ニーチェが旧来の利他主義の道徳を攻撃するのは、決して道徳一般の拒否ではなく、むしろ新たな道徳の提唱であると和辻は考える。優れた少数者や超人として描かれる人間像は、理性的人格ではなくても、生の向上の理想に基づいた道徳的人格なのである。したがって利己主義や快楽主義の主張と重なるものではない。

2011年6月14日 (火)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(3)

2.「煩悶」青年の精神世界

1908年一高在学中の和辻は戯曲「復活」を校友会雑誌に発表した。この作品、当時19歳の和辻の処女作品であり、徹底した懐疑、神経衰弱から確信に満ちた自己の主張への展開が唐突で、戯曲そのものの出来としては未熟であるが、そのことがかえって、当時の青年知識人たちの精神状況の二つの側面を端的に反映している。第一は、国家・社会に反抗し、ひたすら自己のために生きることを追求する傾向で、当時の言葉でいう個人主義である。それを晩年の和辻は“立身出世のことなどよりも信仰の問題や人生の意義の問題の方がはるかに重大であるという意識”と回想する。当時、青年たちは、家名を上げ、国家機構や実業界で有力な地位を占める立身出世ではなく、自分一人の人生の意義を求めることに価値を見出していた。ここで言われている立身出世は、その目標が国家の官僚機構や政界における栄達だけでなく、実業界における成功に向けられたことに特徴があった。それはまったくの私的活動としてのみ考えられたわけではない。あくまでも、個人の富の蓄積がひいては国家の富強につながり、国家のためになると見なされていた。実業界における生存競争が国家の生存競争を支える。しかし、和辻を含めた世代は、こうした型の立身出世志向を抱かない。日露戦争に勝利し、国家の独立確保という従来の国民的課題を達成したことにより、国家のために悪戦苦闘して出世競争に励むという目標は失われていく。そのような中で、和辻のような青年たちは、国家への無関心の傾向を強め、社会秩序から独立した個の意識を強烈に成長させるようになる。そして、彼らは自己の解放と拡充を目指して、哲学や宗教に没頭し、あるいは享楽生活に向かった。しかし、その向かう哲学や藝術は日本古来のものではありえない。和辻の場合はヨーロッパの同時代文化であった。旧来の国家・社会のあり方に対する拒否と連関して、新しい文化を求める趣味的生活がかれらの精神生活の基調だった。いわゆる教養派世代の登場である。この世代は親の世代が作り上げた<肥私報国>の体制に対して偽善の言葉で否定を突きつけた。従来の社会で是とされた立身出世主義が、実は私利追求を忠君愛国の美名で粉飾した偽善であると感じるようになっていた。さらに和辻は、当時の教育体制を機械的として嫌悪していた。機械的は、当時の和辻が教育に限らず、心理的なものであれ物理的なものであれ、自由な生の活動を束縛するものを批判する際によく用いる言葉である。このように、和辻は国家・社会が強制してくる「型」に対して「自己」の伸長や「個性」の発展を唱えていた。旧世代のような偽善を廃し、人格の修養に基づいた理想的自己の確立を意味した。

そして、第二の傾向として、理想を追求する自己の確実性すらをも懐疑の対象とせずにはやまないような煩悶・虚無の傾向が、彼らを根強く支配していた。社会に対して自己の確立や解放を主張するだけでは満足できず、その自我すらも不確実であることに気付いた以上、懐疑と煩悶に陥らざるを得ない。もはや立身出世を保証する国家秩序と自己を同一化することはおろか、秩序に反抗する自己の確実性に頼ることもできない。青年達は統一的なアイデンティティの喪失と自己分裂に悩むようになる。それがかれらの煩悶である。したがって深刻な神経衰弱が根強い持病となった。そういった不安を振り払うべく、教養を通じての内面向上というスローガンに自らを辛うじて繋ぎ止めていた。しかし、統一した目標を欠く以上、そこで求められる教養の内容も分裂したものとならざるを得ない。当時、美的趣味に関して彼ら青年たちを魅了し、その感性に深く刻印を残したのは、神秘的題材や官能的モチーフに美を見出すヨーロッパの世紀末の美術・文芸であった。デカダンスの頽廃的・享楽的傾向とその美意識が、遠く日本まで同時代に影響を及ぼしていたのである。

2011年6月13日 (月)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(2)

第1章 生命・人格・象徴

1.<>の原風景

1903年和辻は大阪で第5回博覧会を見物している。村で生まれ育った少年和辻にとって初めの大都会であり、これまで日常的に馴染んできたものとは全く異質な別世界との直接の出会いであった。とくに少年和辻に決定的な印象を残したのは、夜に建物の輪郭に飾られた電球が一斉に光り輝くイルミネーションであった。当時の家々の照明はランプが普通で、都会でも街路照明はガス燈が始まった頃であり、夜は暗く、月夜と闇夜との違いが歴然としていた。西洋の進んだ文化の普及は、日常生活においてはまず、夜の闇に対抗する光の明るさとして感得され、闇を追放してくれる人工の光へと人々は引き寄せられていた。夜闇に煌々と輝くイルミネーションは、まさしく文明の象徴であった。人々はそれに続々と群がって、光を見つめ、照らされることを通じて生きたる証拠を実感していたのである。それは、この時に「初めて生きて居るなと気がつく」ほどに鮮烈な体験であった。和辻は「イルミネーションはまったく驚異で、天国とはこれか、と思った」と回想している。青年期以来の和辻のテクストには<>への言及が数多く見られる。それは、物理現象としての光の描写にとどまらず、生命を表わす愛の光、人格の光、永遠のイデアの光などさまざまな形で登場することになる。以上のような博覧会体験の回想の結びに、和辻は「わたくしは博覧会見物によって都会に憧れる気持ちをひどく煽られたように思う」と付け加えている。生活風俗の近代化の進む都会と、それに取り残された農村との違いは大きかったのである。この落差への嘆きの言葉は回想記の全編を通じてきわめて多い。しかし、和辻は、村と都会の文化的差異を感じてはいても、いわゆる農本主義者とは全く異なった道を歩むことになる。その志向は、農村の因習的な生活習俗をそのまま賛美する傾向とは終生無縁である。

しかし、この光の世界を脅かすものとして、死をめぐる問題が登場する人が死ぬということを否応なく思い知らされるいくつかの出来事が、少年和辻を襲っていたこの時代の和辻にとって死は文化の<>への憧れを絶対的に脅かすものとして立ち現われた。確かにこれまでも村の子に生まれたという現実が、彼の憧憬を常に挫いてきたが、その不満は自分の内面生活を工夫すればいくぶん慰められる。周囲の村の現実は無視して内面で文化的教養に努めていれば、都会と共通の精神共同体に生きていると信じられるものだから。しかし死については条件がまったく異なる。死はすべてを空無に帰し、文化の<>を浴びて精神共同体に生きる内面生活もその可能性を絶対的に奪われる。イルミネーションの背後に広がる夜間のように、死の黒々とした領域が<>を常に取り巻いているのである。それは<>にのみ目をやっている限りは実感せずともすむ。だがいくつかの死は、和辻に闇の領域の存在をまざまざと見せつけたのであった。こうした経験は、往々にして人を宗教に向かわせるものであろう。しかし和辻はすでに<>の希求者である。超越的なものを指し示す宗教は、人間の世界を越えた領域を感得させることはあっても、真に人間のものである<>をさらに輝かせることはない。いかにすれば、この闇を封じ込め、<>に満ちた人間の生の領域を確かなものにできるか。もちろん少年時代から突き詰めて問題化していたわけではなく、当初は朧げな不安の形をしか取らせないにせよ。これが和辻の生涯を通じて思想の根底に横たわる主題となっていく。

2011年6月10日 (金)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(1)

序章「土下座」をめぐって

本書の課題を著者は、次の点として挙げている。第一の課題として、その原点の一つである和辻哲郎に即して、<日本的なるもの>の生成過程を跡づけようとする。従来の<日本的なるもの>を語る言説が時々の状況で行ってきた問題提起も、それなりの意義を持つはもちろんだが、それが自明視してきた思考枠組みをいったん離れて歴史に切り込むことを通じて、見過ごされてきた様々な問題を星起こしてゆこうというのである。次の課題の台には、和辻哲郎の思想を同時代の思想状況・政治状況の文脈に置いてとらえながら、それが抱えていた問題を再考察することにある。

本書が最終的に目指すのは、和辻哲郎の仕事をたどり、どこに問題があったのか、同時代の言説状況と対比してどういう意義かあったのかを具体的に解き明かすことである。人間の視点から政治の本質を考え、その向かうべきありようを指定することが極めて困難になった現代社会においても、政治活動の公共性や正当性をめぐる問いかけが消え去るわけではない。むしろさまざまな社会運動や制度改革論議の形を取って生き続けていると言える。現代的な諸条件を踏まえたうえで、人間生活の全体に政治をどう新たに位置づけ、政治の意味とその限界をいかに確定するかを考えることは、依然として課題であり続けよう。本書は<人間と政治>をめぐる和辻の思考の跡を、その矛盾や欠落を含めて検証しようとする。これは同時に、和辻が身を置いていた問題圏から、現代人がまだ脱け出していないことの確認作業なのである。

2011年6月 5日 (日)

大塚英志「アトムの命題 手塚治虫と戦後マンガの主題」(9)

昭和26年『アトム大使』の連載が始まる。この時代は、戦後の単独講和から日米同盟と進んでいく、一方で、朝鮮戦争に象徴的な東西対立が進む時代である。アトムはそのような歴史下で五百万ダインの力を持ちながら敵とその力で戦うので゛はなく平和の使節としての役割を担わされる。正義のヒーローとして悪と戦うアトムという後年のパブリックイメージ゛とは異質のアトムがそこにいる。手塚は、敵を悪人ではなく登場人物たちの鏡像として描いている。それは、アトムが敵を倒す正義のヒーローではないことと正確に対応している。宇宙人には宇宙人の事情があり、そして、何よりも彼らは自分たちと全く同じなのだ。正義は決して絶対化されていない。アトムは天馬博士の死んだ息子の身代わりとして作られた。しかし、ロボットという無機質の身体、人工の身体であるが故に成長できないのである。人間と同じ魂を持ちながら、アトムは成長できない。それがアトムの背負う運命なのだ。このようなアトムのキャラクターのあり方は人工的で非リアリズム的な記号をまといながら、その内面には心があるという手塚まんがの方法に対する極めて批評的な自己言及である。その自己言及がアトムというキャラクターを生んだと言ってもいい。手塚は記号をもって生命を描こうとした。しかし、ぬいぐるみ的キャラクターを描くために本来、考案されたディズニー的記号は、生身の肉体、成長する身体を描くのに不向きである。手塚まんがは戦時下、占領下のまんが表現においてその矛盾と格闘してきたのだが、記号=人工の身体であるが故に成長できないというアトムのキャラクター造形は、手塚が自覚した記号によるまんが表現方法の限界への自己言及であり、同時に戦後まんが史を通底する主題の成立を意味する。

それが著者のいうアトムの命題である。それは、成熟の不可能性を与えられたキャラクターは、しかし、いかにして成長しうるかという問いとして集約できる。

この問いに対し『アトム大使』はこう結論する。平和の使節として宇宙人の許を訪れたアトムは誠意の証しとして自分の首を差し出す。いささか奇妙な展開だが、これには理由がある。アトムの願いを宇宙人は聞き入れ、和平は成立する。そして去っていく宇宙人は、アトムに顔を返す。しかしそこにはもう一つ変な顔が入っている。それに添えられた手紙には「アトムくん 君の顔を参考にして大人の顔を作りました。君もいつまでも少年ではいけない。今度会うときは大人の顔で会おう」と書かれていた。つまり、平和大使としての役割を全うすることで、アトムは成長した、という結末である。

このようなアトムが自身の力で平和を達成し大人になるという『アトム大使』の結末を、著者は、当時の占領軍司令長官であるマッカーサーから12歳の子供だと言われた日本がアメリカとの単独講和によらない、もう一つの成長の寓話として読むこともできるとしている。

しかし、『アトム大使』は『鉄腕アトム』とタイトルを変え、アトムは少年のまま生きることになる。そして、アトムは成長できないまま、繰り返し死による結末を迎えることになるのである。このようなアトムの命題を手塚は様々な形で変奏し、時にはアトム自身をパロディー化さえしていく、成熟することを阻止され、あるいは受容できないキャラクターたちが手塚作品の中で異彩を放ち、そして我々の心を捉えるのは、彼らが「アトムの主題」を背負っているからである。

この「アトムの命題」は戦後まんが史の中で様々に変奏される。例えば、梶原一騎のキャラクターは、星飛雄馬、力石徹、矢吹丈たちは成長することを禁じられ悲劇的結末を招く。戦後まんが史における名作の多くが、自身の身体性への違和感を抱え、その上に彼らの心を萌芽し、そして、それがまんがという本来、非リアリズム的表現である手法によって描かれなければならなかったのは手塚の中で成立した「アトムの命題」故である。まんがが記号でありながら、しかしリアルな人間を表現しようとした時、否応なく成立した問いは映像的手法以上に戦後まんが史を本質から規定していると著者は指摘する。それか゜手塚の手を離れ、それぞれの描き手にいかに意識され、あるいはいかに無自覚に受容されていったかは、一つ一つの作品に当たって確かめてみればいい。

しかし忘れてならないのは、この戦後まんが史の基調を成す「アトムの命題」が、手塚の戦前、戦時下、占領下、そして戦後という歴史体験の中で蓄積され、変容し、そして主題化していったという事実である。しかもそれは、記号的表現というまんが表現を本質的に規定する方法論との格闘の過程としてあった。手塚の提唱した「まんが記号説」という言説は、まんがを、歴史や政治の文脈から切り離して解釈する手法として、まんが評論の一つの方向の主流を成すが、しかし、記号としてのまんがは、手塚を介して徹底して歴史や政治との軋轢の中にあったことを著者は指摘する。その軋轢こそ手塚の中に戦後まんがの方法と主題を発生せしめたと著者は言う。

最後の結論で、戦後日本の歴史がでてくるところは、面食らうというところで、飛躍しすぎの感はある。これは、この著者の戦後民主主義に対するこだわりという点から、差し引いて読む必要はあるとおもう。しかし、戦時下や占領下で手塚のまんがが具体的にその時代状況と密接なかかわりをもちながら形成されていったということは、説得力があった。しかし、アトムの命題と本書のタイトルとは裏腹に、アトムが題材として取り上げられた以降は駆け足になってしまったのは残念。もっと、この部分でキャラクターとしてのアトムの表現について、もっと突っ込んでほしかった。例えば、大人になることのできた『アトム大使』と成熟することを許されない『鉄腕アトム』が、記号的な身体としての違いはないのか、専ら筋立てだけで語られてしまっていて、それまで、手塚の絵が記号的表現とリアルな写生の間の微妙な兼ね合いで、生身の肉体や自我を獲得していった、結論として語られるほどアトムは完成し、成熟していたとは思えない。『アトム大使』から『鉄腕アトム』そしてアニメーションへと、その間、何度も書き換えられ、アトム像も変容して来ている。アトムを中心とした手塚のキャラクターは、成熟しないまま、変容していきます。これをどう捉えるか、位置づけるか。多分、「アトムという命題」は続いていたといえる。

2011年6月 2日 (木)

大塚英志「アトムの命題 手塚治虫と戦後マンガの主題」(8)

第5章 日米講和と大人になれないアトムたち

手塚治虫の記号的表現は本来が非リアリズム的な表現手段であったディズニー的まんが表現の枠組みを大きく逸脱し、キャラクターたちに死にゆく身体、そして性的な身体を与えた。それはデッサンを基本とするリアリズム表現とは全く異質のリアリズム表現を手塚まんがの中に発生させることになる。著者は、『新宝島』において手塚の描くターザンを酒井七馬が書き直したエピソードについて、手塚が再構築しようとしていたまんが的な記号にリアルな裸体を描く記号がなかったからであって、手塚自身のデッサン力の問題とは必ずしも一致しないという。

手塚もまた『勝利の日まで』でほとんど奇跡のように萌芽した、記号的表現によるリアリズムという手法を意図的に用いだす『地底国の怪人』などの作品以前には、リアリズム的手法で身体性を表現しようと試行錯誤していた時期がある、例えば『幽霊男』などに手塚の写実的リアリズムキャラクターが見出される。『幽霊男』では人造人間という手塚が生涯追いかけることになるモチーフが現れる。手塚は『勝利の日まで』で、まんが的記号からなる人工的表現のキャラクターに死にゆく身体や心といった人間性を与えてしまっていた。そういった方法上の発見と生命の領域に科学が介入することの是非という手塚によって生涯意識された主題が発生している。手塚的主題は常に方法の進化と対になって発生している。人工的なキャラクターに声明を吹き込みたいという衝動は、記号的表現のキャラクターに身体や心を与える手塚まんがの方法、人工物に生命を与えよえとする科学者の欲望という手塚まんがの根幹を貫くモチーフとして多方面から手塚治虫の表現を規定している。『幽霊男』に出て来る人造人間は、ただ人造物が物理的に動き出すだけではなく、生命を得たということはモノゴコロがつくことに繋がる。モノゴコロのついた人造人間は生みの親である学者の行動を懐疑し、そこに自我の芽生えが見られる。つまり、生命を吹き込まれることはモノゴコロつまり自我を獲得することに繋がる。もう一人、学者の愛妾として作られたコプラ姫という人造人間には絵におけるリアリズム的表現が見られる。人工的な身体、記号的な身体が生命を与えられ、心を持つことは性を持つことでもある。手塚は自身の欲望として人工的身体・記号的身体に性を与えようとした学者の欲望を初期作品で繰り返し描いている。自身の肉体をミッキーに銃撃される少年を記号的キャラクターとして描くことで発見した手塚少年は、しかし、女性の身体性をこの時点では記号の中に落とし込めていないのである。手塚は自身が用いる記号は表現される対象を写実するものではないと主張してきたが、しかし少女のキャラクターに関して言えば、記号的な少女の起源にこの写実的に描かれたコプラ姫が存在するのである。とは言え、コプラ姫の性は無論、直接的に描かれるのではない。そして、何より彼女もまた心を持った存在であるという点で、手塚的主題に忠実である。『幽霊男』では、心がキーワードになっていて、心が自我である以上、そこには互いに理解し得ない他者が成立する。ここでは心があるから故のディスコミュニケーションという大きな葛藤が潜んでいる。

手塚は、この後、数度書き直される『ロストワールド』や『メトロポリス』、『ジャングル大帝』と書き進めて行くうちに、ディズニー的な外観のキャラクターであっても、死を意識した主体を持ち、血を肉といった生身を備えた人物たちというミッキーマウスから遠く離れたところに来しまったのだ。

2011年6月 1日 (水)

大塚英志「アトムの命題 手塚治虫と戦後マンガの主題」(7)

第4章 占領下のまんがと肉体を持った記号たち

手塚は昭和21年1月から73回にわたって連載された新聞四コマ『マアチャンの日記帳』でデビューする。手塚は、この作品の中で何度かタッチを変化させている。この時期の手塚が、映像的手法よりも絵そのものに試行錯誤の強い意志を持っていた。この時期の意識は、画風に向けられていた。戦後は手塚の持っていたディズニー的素養が一気に解放され、それが新しさとして受け入れられる基調になった。では、手塚はディズニーをどのように受容していったのか。戦後という時代は手塚がディズニーを受容する時期としてひとまず理解していい。しかし、その受容もまた屈託に満ちたものであった。何故なら手塚にとってディズニーの受容とはアメリカニズムの受容であり、占領軍文化の受容であったからだ。手塚は戦後のディズニーマンガの洪水をアメリカン・デモクラシーの先例と表裏一体の現象として受け止める。そして、アメリカ国民としてのディズニーを発見せざるを得なくなる。ディズニー的表現とは占領軍的な視線と表裏一体であることを手塚は感じ取っていた。こういったディズニーてきなものへの飢えと、まんがが否応なくプロパガンダのメディアであることの双方の葛藤の中で、手塚はディズニーを受容していったのである。

『マアチャンの日記帳』のキャラクターはそれ以前の手塚の習作と比して、等身が短くなり、タッチにも試行錯誤が為されている。すると、当時の手塚がノートに記した新しい画風への自負とは、実はディズニー的なアメリカまんがの記号の導入ということを結果として意味することになる。ディズニーにおける占領軍的なものへの反発とは裏腹に絵におけるディズニー的なものの受容が徹底していたことが『マアチャンの日記帳』からは窺える。このように『勝利の日まで』でディズニー的ぬいぐるみ表現から一歩逸脱した手塚は、商業的まんが家としてデビューする際に、ディズニー的なものを再度、意図的に受容した印象があると著者は言う。その後の『新宝島』冒頭のピートくんは、『マアチャンの日記帳』によって手塚が受容し直したディズニー的な記号が集約されたと言っていい。これは手塚の急速なディズニー的なものの受容の産物であると言え、冒頭のピート君の等身は動きを表現するのに都合のいいフォルムになっている。ここで、手塚は『新宝島』の定説である映像的手法について、映画から受容したことを自ら語っている。それによれば、映画から自身が映画からまんが表現に取り込んだものの一つには、俯瞰で群衆が配置されたスペクタル的な画面、もう一つは喜劇映画の人物の動きとリズムである、ということだ。『新宝島』では『勝利の日まで』で、一瞬表現された生身の身体性は、一度忘れ去られたように、過度にディズニー的、アメリカ的に揺れ戻しが起こる。手塚まんがとしては、このようなディスニー的なものの直接的な受容がキャラクターのあまりも身もふたもない類型性を含めて全体を規定してしまっている。

このようなディズニー的なものの受容が手塚の中で再構築されていくのが『魔法屋敷』という作品であると著者は指摘する。ヒゲオヤジ演じるゲタ博士の許に魔法屋敷なる魔王率いる魔物たちから魔法と科学ではどちらが優れているかの勝負をいどまれるという作品である。魔法の側のキャラクターはアメリカンコミック風の魔王で、魔物たちは「タマシーゲン破壊液」を浴びると死んでしまう。それは、相手が魔物ながらキャラクターに致命的に死を与える点で興味深い。象徴的なのは、魔女の火責めにあって魔法サイドのタヌキ火傷を負い、治療を受ける件で、ここで描かれるのは記号としての包帯ではなく、そこには肉体があることが窺える。キャラクターこそ記号的な約束事に従っているが、主人公の以下のようなセリフはこの死体のあるリアリズム的な世界像であることを示している。このような死体のある風景はディズニー的な非リアリズムでは不可能な表現である。物語は、最終的に科学の勝利の終わり、この物語そのものが実は、まんがの中の話であったという夢オチに似たオチで終わる。しかし、科学とファンタジーの直接的なぶつかりあいと軋轢が何より作品そのものの主題となっている点でユニークな作品になっている。このように、『魔法屋敷』は、手塚まんがが戦時下的ファンタジーとディズニー的ファンタジーの双方と決別し、新しい領域に踏み出していく意思表示ともとれる作品になっている。

この『魔法屋敷』と同日に刊行された『地底国の怪人』では、うさぎの耳男が登場する。まるでディズニーのアニメの動物のように人間臭い動きをするが、このディズニー的な二本足で人の言葉を話すキャラクターを手塚は科学によって作品世界に誕生させる。戦時下のまんがに求められた科学的リアリズムが写生的な精密画としてでなく、まんが的虚構が科学主義的に再定義していく形で手塚まんがが勝利したといえる。しかも、手塚はウサギの耳男に内面を与えている。つまり傷つく心が芽生えているのである。それが、耳男の犠牲的な献身にドラマとしてつながっていく。『勝利の日まで』で手塚が描いた、記号的表現によって描かれながら死にゆく身体を持ったキャラクターはこのように耳男として手塚まんがの中に明確な輪郭を結ぶのである。この耳男は『ロストワールド』のミイちゃんとして再登場する。ミイちゃんは心を与えられたが故に、ミッキーたちには決して訪れない死を繰り返し体験しなくてはならない。

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