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2011年6月19日 (日)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(8)

3.文明を超えて

1921年の『原始基督教の文化史的意義』で、和辻は視線を当時の世界全体に向け、現代文明批判を展開している。当時の、電信、飛行機、ラジオなどのコミュニケーションの革命により、世界中の人々が同じ情報を同時に共有するようになる現象それ自体は、世界の優れた文化産物を享受しようする教養主義者和辻にとって歓迎すべき事態のはずである。しかし、和辻は否定的見解を述べる。当時の世界を支配する潮流が、古代ギリシャのような高度な精神性を備えた文化とし程遠いものと考えたからであった、投資背の支配的潮流であるアメリカ風俗対して、和辻は文化ではなく、その堕落形態としての文明でしかないという。和辻によれば、文化と文明の対比の基準は、ギリシャ的なたましいとローマ的な知力との区別である。前者が高度な精神性と道徳性を備えたものであるのに対し、後者は物質的享楽を貪欲に求め、その享受を簡便にする手段を次々に開発する実際的実用主義的な知性のみを肥大化させている。その上に立って現代の英米人は、古代ローマ人と同様に、実用的技術を発展させ、富を蓄積し、飽くなき征服欲から世界征服を成し遂げたのであった。その文明が浸透したところでは、金がすべての価値を決定する。政治から学問・藝術まで、すべての人間活動が金儲けを目的として営まれる。人々は富の集中する都市に集まり、大都会の出現を見る。そこに群れ集う大衆は道徳的自制心を投げ捨て、ひたすら奢侈に身を投げかけて、肉欲の満足に没頭するのである。人格主義・教養主義の立場をとった和辻にとって、都市の理想像は、人々が高尚な文化を共有する空間である。それは、人々が文化を身に着けることを通じて人格を高め、互いに調和して生きる道徳的な世界である。しかし、眼前の拡大しつつある都会は、反対に、肉体的・金銭的欲望の追求と生存競争が横行し、低俗な娯楽文化ばかりが繁栄している。日本もこうした文明化を急速に進行させていたことに対して、和辻は英米文化のもたらした世界的動向の一環ととらえ、警告を発していた。このように文化と文明の対比は、シュペングラーの『西洋の没落』から引いている。

個人も国家も利欲と享楽に走り、自己拡大欲に支配されて闘争しあい、国内では貧富の差が拡大し、国際世界では弱小なアジア諸国がヨーロッパ列強の餌食となっている。現代の世界をおおっているこうした文明をいかにして超え、理想的な文化に裏付けされた世界を築いてゆくか。これが1920年代の和辻の課題となる。

その対象は国際政治から、植民地の独立と国際平和の確保を主張する。その中で欧米諸国のアジア支配を批判し、このような白禍に対抗できるのは日本しかいないと主張するに至る。ここでの和辻には台湾や朝鮮の事態が眼中に入っていない。これは日露戦争の勝利によって日本が白禍を初めて食い止めた事実に対する賞賛の念からである。しかも、これはアナトール・フランスの『白き石の上にて』に触発されたもので、西欧人自身の自己批判と日本評価に出会ったのだった。日本人としてのりナショナリズムの心情から出発して日露戦争を評価しているのではなく、人類の立場からして、植民地支配を撃退した日露戦争は重大な意義を持つ、しかもそのことが西欧人自身の自己批判によって論証されていた。これは、後年支配勢力である英米への不信と、日本の任務に対する自負とが、日中戦争や太平洋戦争に対する支持への和辻を導くことになる。

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