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2011年6月21日 (火)

渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(2)

2.ハイデッガー研究の問題点─実存に基づく存在の哲学

では、ハイデッガー哲学を、生の内面に立ち返りながら破壊的に再構成し、それを理由づけてみようとするとき、どのような問題点が現れるだろうか。まず、彼の哲学の外観を見ていくと、登場の当初、1927年以後の数年は実存哲学と見られていたものが、1945年以降になると、実存哲学という人間的なものに認めず、存在そのものに注目するとなっている。彼の哲学は実存の哲学とも存在の哲学とも取れるような外観上の構成がある。問題は、このような外観の構成を破壊し、その背後に潜むものを取り出し、彼の思想を統一あるものとして理由づけ再構成してみると言うことだ。実際には、彼の初期に見られた実存への志向と、後年に見られる存在への志向との一見矛盾するかに見え、その実深く絡み合い、関係し合っている、この対立的相関の背後に潜むものこそ、ハイデッガー哲学における根本問題なのである。つまり、初期の実存哲学的な外観の底には存在への思索が潜み、また後期の存在の哲学という外観の底には実存の立場が相変わらず秘められ、ハイデッガー哲学は実は終始一貫、実存と存在をめぐって動いているのである。前期の思索は実存を正面に出しながら存在へ向かい、後期の思索は存在を前面に出しながら実存を秘めている。ということは、彼の哲学の根本において、実存と存在の両者が深い連関のうちに置かれて思索され続けてきているということである。我々は、彼の哲学を、単に実存の哲学でもなく、存在の哲学でもない、まさしく両者のかかわり合いを問うもの、言い換えれば、存在開示を実存の足場に求め、また実存の足場を存在開示のためにこそ設定する思想として、適切には、「実存に基づく存在の哲学」であるとして、言い当てざるを得ないと考える。それが一体どのような問題群を孕み、かついかなる射程において、どのように立体的にその構成を成り立たしめているか、かくして如何なる存在理由によって成立し、かつどこにその意義と限界を有するか、そうした問題を徹底的に究明することが、我々の論究の課題なのである。べつの言葉で言えば、ハイデッガー哲学は、ギリシャ以来哲学の根本問題であった存在の問題をその思索の中心に据える。しかもそれを、単に古代中世におけるような素朴な存在論的思索によって解こうとするのではなく、また近世哲学におれるような認識論の設定によって解明しようというのでもなく、そうした西欧哲学の伝統を踏まえ、それを乗り越えながら、新たに人間的現存在に定位し、その実存という端緒に基づいてこそ存在の真理は真に照明され、また実存という足場は存在の開示のためにこそ採られ、単に旧くからの存在の哲学であるのでなく、単に現代的な実存の哲学であるのではなく、まさしく「実存に基づく存在の哲学」であることによって、初めて彼の西欧思想における独特な史的意義も浮かび上がってくる。そしてこうした哲学として、ハイデッガー哲学は、人間的実存のあり方についても、また旧くからの存在の真理の問題についても、独自な解明を企て、かつは特異な結論を産み出しているのである。

このようにハイデッガー哲学の構成の核心がこのようにあるとするとき、我々は1.でも触れたように、我々自身の生の内面に立ち還って理由づけ、それにその存在理由を与え返すことも試みなくてはならない。そのとき一体、ハイデッガーの「実存に基づく存在の哲学」は、どう受け取られるべきであろうか。

ハイデッガー自身も、我々の解釈によれば、実存に基づく存在の哲学の試み、そこに終生の思索の課題をおいていた。しかし、ハイデッガーにおける実存と存在は、実は、極めて特異な結論へと最後的には到着している。彼においては、実存概念は極めて狭い独特の意義を帯び、存在概念も特殊な秘儀に化し、そうした秘儀としての存在の真理にかかわる地点でのみ実存が問われ、またそうした地点での実存的なあり方が哲学の出発点であり、こうした狭隘で深遠な両者が密接にかかわり連関する世界が、彼の哲学の核心なのである。ハイデッガーの哲学は、特殊な実存から発しつつ、秘儀としての存在の真理にのみかかわるという、その独自のかかわり合いの地点にのみ、生の裁断面を限定し、完結しすぎている。我々は確かにそうした局面を、我々の生の中に発見し得るであろう。だが、それのみを以て、我々の生のすべてが尽くされ得るかどうか、そこには、なお問わるべき多くのものが残っているように思われる。我々の生の内面に立ち還って、その中に見出される人間的実存の立場と現実的存在の全体をとを広く眺望し、そうした生の事実への還帰のうちで、ハイデッガー哲学の根本問題たる実存と存在の領野を批判的に見定め、以て彼の哲学に充分な存在理由を与え返しつつ、それを破壊的に再構成し、そして同時にその完結性と特殊性を突破って、我々自らのより豊饒な実存に基づく存在の哲学の理念へと出発していくことも、要言すれば、ハイデッガー哲学の見えざる中核である実存と存在のという問題をどう体系的に解釈するか、その深い意味を生の現実の只中で如何に捉えていくか、かくしてそこから哲学そのものの理念をどう樹立ててゆくべきか、それがハイデッガー研究の根本の問題点なのである。

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