無料ブログはココログ

« 渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(7) | トップページ | あるIR担当者の雑感(25)~ 期末説明会を終えて »

2011年6月27日 (月)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(16)

3.戦時体制と「思慮の政治」

和辻は1937年6月に発足した第一次近衛内閣に西田からの誘いにより教学局参与として参加する。陸軍や文部省が皇国史観・日本主義教学のイデオローグを重用するのに対して、伝統尊重と西洋文化の合理性導入の両立を唱え、思想統制の緩和を図ろうとした。その後、陸軍・東条英機内閣に対抗する海軍穏健派の勢力の末端に参加していく。和辻が、戦後、自らに対する戦争責任追及の声を拒否し続けたのは、一種の反対勢力と自らを規定していた戦時中の立場のとり方に由来する。この時の和辻の立場は、西洋諸国による植民地支配からのアジア諸国の解放という大東亜戦争の名目を積極的に支持する。同時代の多くの論者と同様に和辻もまた、日本自らが台湾・朝鮮を領有していることや中国権益を固守することには批判の矛先を向けない。そのうえで、陸軍が皇道哲学・皇国史観の論客を使い、非合理で日本至上主義的な教説をふりかざして勢力をふるうのを憂慮して、思想統制に反対し、自ら考える合理的な戦争指導を身と備考としたのである。

和辻は、政治体制についての見解と並行する形で、『倫理学』における秩序構想や日本倫理思想史研究の歴史的叙述が生まれている。まず、『尊皇思想とその伝統』は尊皇思想、つまり日本のナショナリズム思想の系譜を古代から徳川時代までたどったなかで、大和王権による祭祀的統一以来、日本人の国民的統一感が尊皇心として存続したという歴史叙述が繰り返されるが、ここで重要なのは、和辻が国民国家日本の原型をなすとして古代国家に関し、その祭祀=政治手続きについての言及が補足されていることである。つまり、律令体制成立以前の大和王権では、天皇は神意を占う太占によって政治決定を下した。それは記紀の記述に見る限り、八百万神や諸豪族が集まった前で行われる公の祭儀であった。そこで鹿の骨を炙って現われるヒビの形を解釈するのは祭司=天皇に任務であるが、恣意的解釈は許されない。人々の注視が外からの威圧を加え、その団体の解釈、その団体の意志によって天皇は束縛され、それを天皇より上位の「神の意志」として宣言するのである。つまり、神意とは人々の団体的意志に他ならない。こうした形で天皇が国民の全体性を表現することで、権力の支配と区別された権威による統率が可能となる。天皇の役割のこうした性格が、古代人が天皇を現人神と呼ぶ場合の神聖性の内容だったのである。ここに天皇機関説の論理の持続を見ることができる。天皇の位は国民の一般意志を表現すべきものであり、一般意志の具体的発見には議会による衆議が不可欠である。ちょうど、軍人・官僚による一元的支配に対抗して議会勢力を復権させようとする姿勢と重なっている。これと共に、古代王権における祭祀のイメージも修正されてくる。崇神天皇や垂仁天皇かアマテラス以外の神を祭った様子を記紀は語っている。これを和辻は、大和王権による祭祀の統一が、地方の神々の信仰を排除するのではなく、それを寛大に包容する形で行われたことを示すものとして重視する。日本の神道を一神教のように考え、他の宗教・信条を一切排除しようとする動向に対する批判がここに見える。和辻によれば、天皇=国家に対する宗教的帰依を国民の絶対的義務と説くのは日本の伝統に反する。尊皇の道は信仰の多元性を前提とし、あらゆる世界宗教に対する自由寛容な受容性を保障するものでなくてはならない。ここには日本文化の重層性の議論との関連もうかがえるだろう。

« 渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(7) | トップページ | あるIR担当者の雑感(25)~ 期末説明会を終えて »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(16):

« 渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(7) | トップページ | あるIR担当者の雑感(25)~ 期末説明会を終えて »