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2011年6月 5日 (日)

大塚英志「アトムの命題 手塚治虫と戦後マンガの主題」(9)

昭和26年『アトム大使』の連載が始まる。この時代は、戦後の単独講和から日米同盟と進んでいく、一方で、朝鮮戦争に象徴的な東西対立が進む時代である。アトムはそのような歴史下で五百万ダインの力を持ちながら敵とその力で戦うので゛はなく平和の使節としての役割を担わされる。正義のヒーローとして悪と戦うアトムという後年のパブリックイメージ゛とは異質のアトムがそこにいる。手塚は、敵を悪人ではなく登場人物たちの鏡像として描いている。それは、アトムが敵を倒す正義のヒーローではないことと正確に対応している。宇宙人には宇宙人の事情があり、そして、何よりも彼らは自分たちと全く同じなのだ。正義は決して絶対化されていない。アトムは天馬博士の死んだ息子の身代わりとして作られた。しかし、ロボットという無機質の身体、人工の身体であるが故に成長できないのである。人間と同じ魂を持ちながら、アトムは成長できない。それがアトムの背負う運命なのだ。このようなアトムのキャラクターのあり方は人工的で非リアリズム的な記号をまといながら、その内面には心があるという手塚まんがの方法に対する極めて批評的な自己言及である。その自己言及がアトムというキャラクターを生んだと言ってもいい。手塚は記号をもって生命を描こうとした。しかし、ぬいぐるみ的キャラクターを描くために本来、考案されたディズニー的記号は、生身の肉体、成長する身体を描くのに不向きである。手塚まんがは戦時下、占領下のまんが表現においてその矛盾と格闘してきたのだが、記号=人工の身体であるが故に成長できないというアトムのキャラクター造形は、手塚が自覚した記号によるまんが表現方法の限界への自己言及であり、同時に戦後まんが史を通底する主題の成立を意味する。

それが著者のいうアトムの命題である。それは、成熟の不可能性を与えられたキャラクターは、しかし、いかにして成長しうるかという問いとして集約できる。

この問いに対し『アトム大使』はこう結論する。平和の使節として宇宙人の許を訪れたアトムは誠意の証しとして自分の首を差し出す。いささか奇妙な展開だが、これには理由がある。アトムの願いを宇宙人は聞き入れ、和平は成立する。そして去っていく宇宙人は、アトムに顔を返す。しかしそこにはもう一つ変な顔が入っている。それに添えられた手紙には「アトムくん 君の顔を参考にして大人の顔を作りました。君もいつまでも少年ではいけない。今度会うときは大人の顔で会おう」と書かれていた。つまり、平和大使としての役割を全うすることで、アトムは成長した、という結末である。

このようなアトムが自身の力で平和を達成し大人になるという『アトム大使』の結末を、著者は、当時の占領軍司令長官であるマッカーサーから12歳の子供だと言われた日本がアメリカとの単独講和によらない、もう一つの成長の寓話として読むこともできるとしている。

しかし、『アトム大使』は『鉄腕アトム』とタイトルを変え、アトムは少年のまま生きることになる。そして、アトムは成長できないまま、繰り返し死による結末を迎えることになるのである。このようなアトムの命題を手塚は様々な形で変奏し、時にはアトム自身をパロディー化さえしていく、成熟することを阻止され、あるいは受容できないキャラクターたちが手塚作品の中で異彩を放ち、そして我々の心を捉えるのは、彼らが「アトムの主題」を背負っているからである。

この「アトムの命題」は戦後まんが史の中で様々に変奏される。例えば、梶原一騎のキャラクターは、星飛雄馬、力石徹、矢吹丈たちは成長することを禁じられ悲劇的結末を招く。戦後まんが史における名作の多くが、自身の身体性への違和感を抱え、その上に彼らの心を萌芽し、そして、それがまんがという本来、非リアリズム的表現である手法によって描かれなければならなかったのは手塚の中で成立した「アトムの命題」故である。まんがが記号でありながら、しかしリアルな人間を表現しようとした時、否応なく成立した問いは映像的手法以上に戦後まんが史を本質から規定していると著者は指摘する。それか゜手塚の手を離れ、それぞれの描き手にいかに意識され、あるいはいかに無自覚に受容されていったかは、一つ一つの作品に当たって確かめてみればいい。

しかし忘れてならないのは、この戦後まんが史の基調を成す「アトムの命題」が、手塚の戦前、戦時下、占領下、そして戦後という歴史体験の中で蓄積され、変容し、そして主題化していったという事実である。しかもそれは、記号的表現というまんが表現を本質的に規定する方法論との格闘の過程としてあった。手塚の提唱した「まんが記号説」という言説は、まんがを、歴史や政治の文脈から切り離して解釈する手法として、まんが評論の一つの方向の主流を成すが、しかし、記号としてのまんがは、手塚を介して徹底して歴史や政治との軋轢の中にあったことを著者は指摘する。その軋轢こそ手塚の中に戦後まんがの方法と主題を発生せしめたと著者は言う。

最後の結論で、戦後日本の歴史がでてくるところは、面食らうというところで、飛躍しすぎの感はある。これは、この著者の戦後民主主義に対するこだわりという点から、差し引いて読む必要はあるとおもう。しかし、戦時下や占領下で手塚のまんがが具体的にその時代状況と密接なかかわりをもちながら形成されていったということは、説得力があった。しかし、アトムの命題と本書のタイトルとは裏腹に、アトムが題材として取り上げられた以降は駆け足になってしまったのは残念。もっと、この部分でキャラクターとしてのアトムの表現について、もっと突っ込んでほしかった。例えば、大人になることのできた『アトム大使』と成熟することを許されない『鉄腕アトム』が、記号的な身体としての違いはないのか、専ら筋立てだけで語られてしまっていて、それまで、手塚の絵が記号的表現とリアルな写生の間の微妙な兼ね合いで、生身の肉体や自我を獲得していった、結論として語られるほどアトムは完成し、成熟していたとは思えない。『アトム大使』から『鉄腕アトム』そしてアニメーションへと、その間、何度も書き換えられ、アトム像も変容して来ている。アトムを中心とした手塚のキャラクターは、成熟しないまま、変容していきます。これをどう捉えるか、位置づけるか。多分、「アトムという命題」は続いていたといえる。

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