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2011年6月 2日 (木)

大塚英志「アトムの命題 手塚治虫と戦後マンガの主題」(8)

第5章 日米講和と大人になれないアトムたち

手塚治虫の記号的表現は本来が非リアリズム的な表現手段であったディズニー的まんが表現の枠組みを大きく逸脱し、キャラクターたちに死にゆく身体、そして性的な身体を与えた。それはデッサンを基本とするリアリズム表現とは全く異質のリアリズム表現を手塚まんがの中に発生させることになる。著者は、『新宝島』において手塚の描くターザンを酒井七馬が書き直したエピソードについて、手塚が再構築しようとしていたまんが的な記号にリアルな裸体を描く記号がなかったからであって、手塚自身のデッサン力の問題とは必ずしも一致しないという。

手塚もまた『勝利の日まで』でほとんど奇跡のように萌芽した、記号的表現によるリアリズムという手法を意図的に用いだす『地底国の怪人』などの作品以前には、リアリズム的手法で身体性を表現しようと試行錯誤していた時期がある、例えば『幽霊男』などに手塚の写実的リアリズムキャラクターが見出される。『幽霊男』では人造人間という手塚が生涯追いかけることになるモチーフが現れる。手塚は『勝利の日まで』で、まんが的記号からなる人工的表現のキャラクターに死にゆく身体や心といった人間性を与えてしまっていた。そういった方法上の発見と生命の領域に科学が介入することの是非という手塚によって生涯意識された主題が発生している。手塚的主題は常に方法の進化と対になって発生している。人工的なキャラクターに声明を吹き込みたいという衝動は、記号的表現のキャラクターに身体や心を与える手塚まんがの方法、人工物に生命を与えよえとする科学者の欲望という手塚まんがの根幹を貫くモチーフとして多方面から手塚治虫の表現を規定している。『幽霊男』に出て来る人造人間は、ただ人造物が物理的に動き出すだけではなく、生命を得たということはモノゴコロがつくことに繋がる。モノゴコロのついた人造人間は生みの親である学者の行動を懐疑し、そこに自我の芽生えが見られる。つまり、生命を吹き込まれることはモノゴコロつまり自我を獲得することに繋がる。もう一人、学者の愛妾として作られたコプラ姫という人造人間には絵におけるリアリズム的表現が見られる。人工的な身体、記号的な身体が生命を与えられ、心を持つことは性を持つことでもある。手塚は自身の欲望として人工的身体・記号的身体に性を与えようとした学者の欲望を初期作品で繰り返し描いている。自身の肉体をミッキーに銃撃される少年を記号的キャラクターとして描くことで発見した手塚少年は、しかし、女性の身体性をこの時点では記号の中に落とし込めていないのである。手塚は自身が用いる記号は表現される対象を写実するものではないと主張してきたが、しかし少女のキャラクターに関して言えば、記号的な少女の起源にこの写実的に描かれたコプラ姫が存在するのである。とは言え、コプラ姫の性は無論、直接的に描かれるのではない。そして、何より彼女もまた心を持った存在であるという点で、手塚的主題に忠実である。『幽霊男』では、心がキーワードになっていて、心が自我である以上、そこには互いに理解し得ない他者が成立する。ここでは心があるから故のディスコミュニケーションという大きな葛藤が潜んでいる。

手塚は、この後、数度書き直される『ロストワールド』や『メトロポリス』、『ジャングル大帝』と書き進めて行くうちに、ディズニー的な外観のキャラクターであっても、死を意識した主体を持ち、血を肉といった生身を備えた人物たちというミッキーマウスから遠く離れたところに来しまったのだ。

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