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2011年6月28日 (火)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(17)

さらに『倫理学』中巻では、「経済的組織」の節を設け経済社会を人倫的組織の一つとして取り扱っている。それは、同時代の戦時体制をめぐる論争と関連する議論であった。1938年の日中戦争とそれに続く国家総動員法の成立によって戦時体制確立が合意事項となり、政府の計画・統制が資源配分を大幅に制御するシステムが現実化したのである。和辻の経済的組織論は、統制経済をめぐる問題にかかわっていた。『倫理学』中巻では、無秩序な営利の競争という経済社会像は、経済活動の本質を逆倒した見方だと主張する。つまり、マリノフスキーの未開社会研究を根拠に、物の生産・流通は、部族の紐帯や部族間交流など人倫的組織を形成する媒介として始まったと説く。従って経済活動は本来的には人倫的意義を持つとされる。ただ、現代経済における営利競争に対しては、人倫的意義を忘却し自己利益拡大の欲求におおわれたものとして、否定的な姿勢を維持してはいる。しかし他方、経済活動が否定的傾向を克服して人倫的意義を自ら回復する能力を、現代産業社会においても一定程度認めるのである。そして、統制経済については、政府による指令が自由競争を全面的に排する単なる外的強制を批判し、経済祖組織の本来の面目が人倫域組織にあることを自覚するが統制の前提として必要だと述べる。経済社会自身の自浄能力を尊重しなくては統制経済の実行は覚束ないという。これは同時代の統制経済を巡る論争の文脈から言えば、統制の実行に当たり、国家による一元的統制を廃し、経済界自身の自主統制を重視する構想と言える。

さらに『倫理学』中巻では、ヘーゲルが『法哲学要綱』で分化した多元的な秩序として市民社会─国家を描いたのと同様に、単純なポリス=国民国家の一体性イメージから離れ、多様な間柄が織りなす複雑に分化した秩序像を提起するに至る。ここでは、民族すわなち言語の共同を基盤として、家族・村・町・私企業・労働組合など多種多様な社会集団が折り重なって全体秩序を作り上げる。国家は、こり諸々の社会集団の集合に対し、外側からその全体を保護する役割を担うとされる。ほかの社会集団が個人を束ねたものであるのとは異なり、国家は諸々の集団を統合する機能を担う。そうした人倫的組織の人倫的組織として国家は唯一の存在であり、この意味でおおやけと見なされる。従って、国家が法を通じて強制力を発動する対象は、諸集団の活動に対する輪郭的・形式的な領域にすぎない。各集団のふるまいに関しては国家は介入せず、全集団の存続を外護することがその存在理由である。そして、国家において、国民個々人の政府に対するふるまいの型が法律の遵守と防衛戦争への従軍であるのに対して、政府の側は正義の実現に努める義務があると和辻は説くが、その正義の内容は、諸集団を維持・発展させ、全体の調和と存続を図ることなのであった。そして。和辻によれば、こうした正義を具体的状況において実現するための思慮である。それでは、和辻は思慮の政治をいかなるものと考えているのか。1933年のインタビューの中で政治を造園術のようなものだと説明する。つまり、政治とは、多様な人々を多様なままに統一して生かす技術なのである。個々の人間の多様性は、様々な草木に喩えられる。それらを巧みに配置し、全体の美観を作り出す営みが、造園術としての政治である。自ら運動する意志を持たない植物群の上に秩序を打ち立てる、一方向的な統御のイメージがここにある。したがって、この発想は庭園の作者ため政治家=指導者の力量へと収斂することになる。政治家の施す造園術とは、多くの人々を一つの気合いに合わせることである。気合いの統一とは『風土』で日本の造園藝術の特徴として述べたところであった。それは、植物の形状も気候変化も穏やかで規則正しい自然を相手にするヨーロッパ人とは対照的に、不規則で予測しがたい日本の自然の変化に適用しつつ人工の秩序を作り上げる方法である。そこでは自然の微妙な起伏を生かしつつ、それを一つの美しい全体に、しかも人工的の印象を与えない全体にまとめ上げることが重視される。気合いの統一とは、予断の許されない、非合理的な、従って運に支配された統一であり、柔らかな統一なのである。ここに見えるキウイの統一の観念は、和辻が政治の本質として説いた思慮のあり方に重なってくる。思慮もまた不断に変動し予断を許さない個別状況において統一を実現する知の働きであった。そして、すべてを一元的に統制する強権的秩序ではなく、個々人の信条や諸集団の活動の多様性を認めつつ、それらを柔らかく統合して生かしめることを目指すのである。しかし、この思慮は人々すべてが共有する能力ではなく、庭園作者たる指導者のみに期待され、指導者が全体を上からまとめる能力と考えられている。

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