無料ブログはココログ

« 苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(2) | トップページ | 苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(4) »

2011年6月14日 (火)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(3)

2.「煩悶」青年の精神世界

1908年一高在学中の和辻は戯曲「復活」を校友会雑誌に発表した。この作品、当時19歳の和辻の処女作品であり、徹底した懐疑、神経衰弱から確信に満ちた自己の主張への展開が唐突で、戯曲そのものの出来としては未熟であるが、そのことがかえって、当時の青年知識人たちの精神状況の二つの側面を端的に反映している。第一は、国家・社会に反抗し、ひたすら自己のために生きることを追求する傾向で、当時の言葉でいう個人主義である。それを晩年の和辻は“立身出世のことなどよりも信仰の問題や人生の意義の問題の方がはるかに重大であるという意識”と回想する。当時、青年たちは、家名を上げ、国家機構や実業界で有力な地位を占める立身出世ではなく、自分一人の人生の意義を求めることに価値を見出していた。ここで言われている立身出世は、その目標が国家の官僚機構や政界における栄達だけでなく、実業界における成功に向けられたことに特徴があった。それはまったくの私的活動としてのみ考えられたわけではない。あくまでも、個人の富の蓄積がひいては国家の富強につながり、国家のためになると見なされていた。実業界における生存競争が国家の生存競争を支える。しかし、和辻を含めた世代は、こうした型の立身出世志向を抱かない。日露戦争に勝利し、国家の独立確保という従来の国民的課題を達成したことにより、国家のために悪戦苦闘して出世競争に励むという目標は失われていく。そのような中で、和辻のような青年たちは、国家への無関心の傾向を強め、社会秩序から独立した個の意識を強烈に成長させるようになる。そして、彼らは自己の解放と拡充を目指して、哲学や宗教に没頭し、あるいは享楽生活に向かった。しかし、その向かう哲学や藝術は日本古来のものではありえない。和辻の場合はヨーロッパの同時代文化であった。旧来の国家・社会のあり方に対する拒否と連関して、新しい文化を求める趣味的生活がかれらの精神生活の基調だった。いわゆる教養派世代の登場である。この世代は親の世代が作り上げた<肥私報国>の体制に対して偽善の言葉で否定を突きつけた。従来の社会で是とされた立身出世主義が、実は私利追求を忠君愛国の美名で粉飾した偽善であると感じるようになっていた。さらに和辻は、当時の教育体制を機械的として嫌悪していた。機械的は、当時の和辻が教育に限らず、心理的なものであれ物理的なものであれ、自由な生の活動を束縛するものを批判する際によく用いる言葉である。このように、和辻は国家・社会が強制してくる「型」に対して「自己」の伸長や「個性」の発展を唱えていた。旧世代のような偽善を廃し、人格の修養に基づいた理想的自己の確立を意味した。

そして、第二の傾向として、理想を追求する自己の確実性すらをも懐疑の対象とせずにはやまないような煩悶・虚無の傾向が、彼らを根強く支配していた。社会に対して自己の確立や解放を主張するだけでは満足できず、その自我すらも不確実であることに気付いた以上、懐疑と煩悶に陥らざるを得ない。もはや立身出世を保証する国家秩序と自己を同一化することはおろか、秩序に反抗する自己の確実性に頼ることもできない。青年達は統一的なアイデンティティの喪失と自己分裂に悩むようになる。それがかれらの煩悶である。したがって深刻な神経衰弱が根強い持病となった。そういった不安を振り払うべく、教養を通じての内面向上というスローガンに自らを辛うじて繋ぎ止めていた。しかし、統一した目標を欠く以上、そこで求められる教養の内容も分裂したものとならざるを得ない。当時、美的趣味に関して彼ら青年たちを魅了し、その感性に深く刻印を残したのは、神秘的題材や官能的モチーフに美を見出すヨーロッパの世紀末の美術・文芸であった。デカダンスの頽廃的・享楽的傾向とその美意識が、遠く日本まで同時代に影響を及ぼしていたのである。

« 苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(2) | トップページ | 苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(4) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(3):

« 苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(2) | トップページ | 苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(4) »