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2011年6月25日 (土)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(14)

2.和辻倫理学の構造

和辻倫理学の体系は、デカルト的なコギトの実体性を前提に個体的な自我が人間の本質であるとして倫理も個人意識の持ち方の問題として取り扱う学的常識、つまりは17世紀以来の西洋哲学を支えてきた個人主義的人間観を批判するところから出発する。和辻の考えでは、人間の本質をなすのは個々人に内在する意識ではなく、実践の上で人と人との間柄なのである。個人が何かを考え、また考える自己を意識する以前に、その個人は他者との実践的連関の内にすでにある。つまり実践的な行為の連関としての間柄が、個体的なあり方に先立つ。そして間柄においては、個人が社会から分離し、社会が個人を束縛する相互の否定運動が常に渦巻いている。個人も社会も、この弁証法的な構造によって存立しているのであり、人間は個人性と社会性の二重性格を持つといえる。この否定運動を、和辻は空と規定する。つまり、間柄に内在する個人と社会の相互否定運動を根拠づける原理として持ち出したわけである。したがって、人間が既存の間柄に基づいて行動し、また新たな間柄を形成しようとする時には、この空の否定運動が動いていることになる。つまり、人間は常に無数の間柄の中にいるのであり、間柄から切り離された人間の行為はあり得ないのである。

和辻の中観哲学理解によれば、空を実現することは、すなわち道徳的当為としての慈悲の実行なのであった。ナーガジュルナの理論を和辻は次のように解説する。存在のかたである様々なダルマは、それぞれ個別にアイデンティティを持つのではなく、互いの関係(縁起)に依存して存立する。したがって相互関係において働く否定(差異化)の運動としての空がダルマを根拠づけることになる。人間主体が事物や他者を把握し、それに働きかける作用は、根源的には空によって支えられるのである。人間の行為においては、この空を体現し、空に帰ろうとする働きが、即ち道徳的行為なのであり、それは一切の生きとし生けるものに対する慈悲を本質とする。

和辻の体系はこうした空を前提とする。従って、間柄において個人と社会の相互否定運動を続けることは、空の実現としてすべてを生き生きと生かしめることで、そのことが和辻倫理学における善なのである。そして反対に否定運動を停滞させて、社会全体を顧みない利己的個人主義に走ったり、逆に個人性を抑圧して有機体に近似する社会を作ったりすることが、悪と規定される。青年時代以来の生命の主題の変奏をここに読み取ることもできよう。だが今度は、生命の光が偉大な文化作品や人格から輝きだすというのではない。光は、主体から切り離された対象の輝きとして看取されるのでなく、主体が自ら行為する働きの内に埋め込められたものとなる。

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