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2011年6月17日 (金)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(6)

第2章 古代日本とデモクラシーの発見

1.古代日本との出会い

和辻は1920年に『日本古代文化』を刊行する。そこには、藝術作品の美を作者の人格の象徴と見なす藝術観が、遠い古代の文化産物との出会いを経て、歴史的興味へと発展したものが現れたといえる。そして『古寺巡礼』を生むわけだが、ここでは仏像もまた愛の光、生命の光を放つ偉大な芸術作品として考えられている。美しい仏像を目の当たりにして光に身をさらすとき、人は激しい衝撃を受け、驚嘆の感情にうちふるえ、心の奥底から湧き上がる歓喜のうちに、偶像に帰依するのである。そして、和辻は、古代人もまた同じ驚嘆を体験していたと想像する。偶像は、根本的な生命の流動を具体的な形で象徴し、それに統一ある力強さを与えるものである。古代人は、仏像の美しい姿に打たれることを通じて、人智では測りがたい神秘的な生命に初めて触れることができた。それは同時に、鑑賞する古代人が自らの生命、真の自己の姿に出会うことでもある。理想的人格の象徴という藝術観が、ここでは過去の時代の人間精神に適用されている。古代の仏師たちは当時の人間の精神の本質を仏像という象徴に具体化し、それを見た古代人の驚嘆は、単なる美的感動ではなく、彼らの自己発見の喜びでもあった。このように、自分の感動は同時に古代人の心情の追体験でもあると和辻は考えたのである。

さらに、和辻の想像は、古代人の仏像体験から演劇体験に向かう。このように古代文化にじかに触れた体験が、古い日本についてのイメージを一新させた。無味乾燥なものに見えた古代史は、実は華やかな色彩に満ち、生命感あふれるエキゾティックな世界なのであった。これが和辻の古代日本の発見であった。和辻をまず魅了したのは、古代の仏教信仰が美術・演劇・舞踏を多く手段とし、人を感覚的陶酔に巻き込む点だった。感覚の放埓な開放は、人格主義への展開を経た和辻にとっては否定的対象であったが、古代日本に潜んでいた「ディオニゾス的」性格の発見は、従来抱いていた日本歴史像との違いの大きさのせいもあって、心の奥に抑圧していたかつての耽美的傾向を刺戟し、和辻を魅惑の虜としたのである。しかし、ここで和辻が最も評価するのは、単なる写実を超えて「宇宙人生の間に体得した神秘を、人間の体に具体化」した薬師寺聖観音像の理想美ということになる。すでに確立した人格主義の藝術観が、ここでも貫かれるのである。

和辻の議論は古代藝術の特徴を論ずるだけにとどまらず、このような文化の光こそが大和王権による統一国家成立を可能にしたと説明することになる。和辻にとっては、地方征服に向かう天皇と軍将の甲冑は鮮やかな黄金の光を放つものであった。中国の高度な文化を手にし「金人の如く美しい」輝きを放つ天皇の姿を目にした時、未開人たる地方豪族は驚嘆して畏れおののき、その光にひれふす。和辻の描く古代国家統一の原初的イメージはこのようなものであった。そして、全国統一以前、地方王権の段階でも、邪馬台国や大和王権の王権自がそもそも光を放つ儀式によって成立したと和辻は考える。それが、占い・神がかり・厄除けといった儀式によって、神の命令を伝え、あるいは神の祟りを防ぐ祭司の姿が、その神秘感によって人々を圧倒し、尊敬を集める。これかせ王権の始まりである。このような経過を通じて生まれた祭政一致が政治的支配の原初的形態だと和辻は考える。決して赤裸々な暴力による征服や威嚇が最初にあるのではない。

日本に限らず原始社会では一般に、神を祭る祭司が統治者の役割を兼ねるようになって王権と国家が発生したという考えは、当時にあっては西欧の社会学・人類学からの流れとして、日本史研究において珍しい説ではなくなっていった。しかし和辻の場合は、同じ祭政一致でも、君主が儀式を主宰し、そのきらびやかさで人心を惹きつける側面を強調するのである。儀式における祭器の輝き、進んだ文化の光を通じた国民的信仰の成立によって国民が誕生したと主張する。このようなイメージは、和辻自らがかつて文化の光を渇望しイルミネーションや演劇に陶酔した体験と重なっている。そして仏像や伎楽面を目にした瞬間、古代人も同じ感動を味わったものと直感したのである。

かつては西洋文化一辺倒で日本の古い文化など顧みなかった和辻は、ここで古代日本を賛美するようになったのである。これは、理想的な文化が、実は自らの足元で、祖先たちの手によってかつて開花していたと考えるようになった点のみに着目すれば、日本への回帰とひとまず呼ぶこともできよう。だが、この時期の和辻には、俗に日本回帰と呼ばれるような、時代を超えて持続する日本人の民族的特殊性といったものの存在を認め、それを称揚する姿勢は皆無である。和辻が強調するのは、連綿たる伝統の確認の喜びでなく、むしろ古代人との不連続感なのである。

そして、古代日本文化の性格についても、和辻が指摘するのはその日本的特殊性ではなく、コスモポリタンな色彩なのである。とりわけ、和辻が強調するのは古代の日本とギリシャの共通性である。古代日本にギリシャの影響を見ることから、それだけにとどまらず、そもそも両者は自然環境や心性の点で似ている

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