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2011年6月15日 (水)

苅部直「光の帝国 和辻哲郎」(4)

3.Formの神秘

和辻は東京帝国大学哲学科に入学する。1911年『新思潮』に「エレオノラ・デュウゼ」を発表する。イプセンやメーテルリンクの舞台で活躍したイタリア出身の女優エレオノラ・デュウゼへのオマージュである。彼女は最小限に切り詰めた動作によって情熱を表現する。これを和辻は、暗示的な演技によってFormの神秘が実現されるといい、象徴による表現への指示を明言する。これを機に、和辻は享楽的傾向から離れていく。

象徴は、これ以降、和辻の青年期テクストでよく使用される。和辻は機械的と生命を二項対立的に捉え、物象の背後にある生命、もしくは作者の内面に潜む生命を表現するとき、その現象形態たる現実を微細に分析し部分部分を逐一写し取るやり方では、生命の生き生きとした全一性を破壊してしまい、機械的な死んだ造形しか作れない。これに対して、象徴による表現は、ある一つの物象を選び、それにより生命の有機的の全体を暗示する。一方、リアリズムを批判し、生命を十全に輝かせることを目指すとはいっても、生の根源的な力にひたすら耽溺し、その情調を自由奔放に表現するのではない。その意味でのロマン主義もまた否定対象である。ここでは感情の無形式な表出は排除され、形式を意識的に彫琢すること、すなわちFormの洗練が求められる。和辻のドゥーゼ論はそれをよく示している。このような象徴主義の潮流において、形式の厳密さは、美的価値のみならず一種の倫理的価値も付与される、作品制作にあたってFormを磨き上げることは、自己の霊魂を支配することと等しいからである。こうした象徴主義との出会いが、美的享楽から人格主義への和辻の転回の発端を成したと言える。

もともと、和辻が耽美派に近づいたのは、生の意義を追い求める青年の焦燥をともにし得ると思ったからであった。煩悶から享楽へという道筋がよく現われている。そして、彼らに共犯者の愛着を抱き、親しく交わるようになったが、やがて生の冒険のごとく見えたのは、遊蕩者の気ままな無責任な移り気にすぎなかった。と気づく。そして自らの内にあるSollenを再発見して彼らと決別し、自己を高めることに努めるようになったのである。それは心の内の欲望を抑制し、生まれつき潜在的に備わっている真の自己を発現させること、すなわち人格を高めることと同義である。そして人格が十全に向上したとき、人は利己的に生きることを止め、他者との調和の内に暮らすことができるはずだと和辻は説くようになっていく。

人格主義への転向の後、1913年『ニイチェ研究』を世に問う。ここには人格主義のマニュフェストという側面をもつものであった。それは「権力意志」を中心にニーチェの哲学を体系的に叙述しようとするもので、特徴的なのは、ニーチェとベルグソンの類似が随所で強調され、さらにはニーチェが人格主義・象徴主義者として描かれている点である。和辻はニーチェの「権力意志」を、人間の意識の深層の「根本生命」と説明する。そしてそれは客観。主観の区別を超えた「永久の生成」であり、表象された世界の根底の神秘な現実をなすと説く。藝術家の創作活動は、この流動的な生命を象徴たる作品に結晶させることに他ならない。こうした点でニーチェはベルグソンの先駆者とされ、さらに科学的客観主義を越え内生活を深めた思想家としてメーテルリンクになぞらえられるのである。

つまり、ニーチェによればあらゆる人間の内に宇宙の生命が潜在的に備わっていて、彼の説く貴族と平民、少数者と群衆の違いは、その生命が自由に発現しているかの違い、すなわち権力意志の強度による段階の差にすぎない。和辻はこうまとめた上で、その段階を人格の段階、人格の強弱、霊性の質と言い換えるのである。したがって、ニーチェは人間の内面的生活における価値の尊重を説いた人格主義者ということになる。この人格の向上に努めることによって、利己主義と利他主義をともに超えた、生活の本質の上に立つ新しい道徳が可能になる。ニーチェが旧来の利他主義の道徳を攻撃するのは、決して道徳一般の拒否ではなく、むしろ新たな道徳の提唱であると和辻は考える。優れた少数者や超人として描かれる人間像は、理性的人格ではなくても、生の向上の理想に基づいた道徳的人格なのである。したがって利己主義や快楽主義の主張と重なるものではない。

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