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2011年6月 1日 (水)

大塚英志「アトムの命題 手塚治虫と戦後マンガの主題」(7)

第4章 占領下のまんがと肉体を持った記号たち

手塚は昭和21年1月から73回にわたって連載された新聞四コマ『マアチャンの日記帳』でデビューする。手塚は、この作品の中で何度かタッチを変化させている。この時期の手塚が、映像的手法よりも絵そのものに試行錯誤の強い意志を持っていた。この時期の意識は、画風に向けられていた。戦後は手塚の持っていたディズニー的素養が一気に解放され、それが新しさとして受け入れられる基調になった。では、手塚はディズニーをどのように受容していったのか。戦後という時代は手塚がディズニーを受容する時期としてひとまず理解していい。しかし、その受容もまた屈託に満ちたものであった。何故なら手塚にとってディズニーの受容とはアメリカニズムの受容であり、占領軍文化の受容であったからだ。手塚は戦後のディズニーマンガの洪水をアメリカン・デモクラシーの先例と表裏一体の現象として受け止める。そして、アメリカ国民としてのディズニーを発見せざるを得なくなる。ディズニー的表現とは占領軍的な視線と表裏一体であることを手塚は感じ取っていた。こういったディズニーてきなものへの飢えと、まんがが否応なくプロパガンダのメディアであることの双方の葛藤の中で、手塚はディズニーを受容していったのである。

『マアチャンの日記帳』のキャラクターはそれ以前の手塚の習作と比して、等身が短くなり、タッチにも試行錯誤が為されている。すると、当時の手塚がノートに記した新しい画風への自負とは、実はディズニー的なアメリカまんがの記号の導入ということを結果として意味することになる。ディズニーにおける占領軍的なものへの反発とは裏腹に絵におけるディズニー的なものの受容が徹底していたことが『マアチャンの日記帳』からは窺える。このように『勝利の日まで』でディズニー的ぬいぐるみ表現から一歩逸脱した手塚は、商業的まんが家としてデビューする際に、ディズニー的なものを再度、意図的に受容した印象があると著者は言う。その後の『新宝島』冒頭のピートくんは、『マアチャンの日記帳』によって手塚が受容し直したディズニー的な記号が集約されたと言っていい。これは手塚の急速なディズニー的なものの受容の産物であると言え、冒頭のピート君の等身は動きを表現するのに都合のいいフォルムになっている。ここで、手塚は『新宝島』の定説である映像的手法について、映画から受容したことを自ら語っている。それによれば、映画から自身が映画からまんが表現に取り込んだものの一つには、俯瞰で群衆が配置されたスペクタル的な画面、もう一つは喜劇映画の人物の動きとリズムである、ということだ。『新宝島』では『勝利の日まで』で、一瞬表現された生身の身体性は、一度忘れ去られたように、過度にディズニー的、アメリカ的に揺れ戻しが起こる。手塚まんがとしては、このようなディスニー的なものの直接的な受容がキャラクターのあまりも身もふたもない類型性を含めて全体を規定してしまっている。

このようなディズニー的なものの受容が手塚の中で再構築されていくのが『魔法屋敷』という作品であると著者は指摘する。ヒゲオヤジ演じるゲタ博士の許に魔法屋敷なる魔王率いる魔物たちから魔法と科学ではどちらが優れているかの勝負をいどまれるという作品である。魔法の側のキャラクターはアメリカンコミック風の魔王で、魔物たちは「タマシーゲン破壊液」を浴びると死んでしまう。それは、相手が魔物ながらキャラクターに致命的に死を与える点で興味深い。象徴的なのは、魔女の火責めにあって魔法サイドのタヌキ火傷を負い、治療を受ける件で、ここで描かれるのは記号としての包帯ではなく、そこには肉体があることが窺える。キャラクターこそ記号的な約束事に従っているが、主人公の以下のようなセリフはこの死体のあるリアリズム的な世界像であることを示している。このような死体のある風景はディズニー的な非リアリズムでは不可能な表現である。物語は、最終的に科学の勝利の終わり、この物語そのものが実は、まんがの中の話であったという夢オチに似たオチで終わる。しかし、科学とファンタジーの直接的なぶつかりあいと軋轢が何より作品そのものの主題となっている点でユニークな作品になっている。このように、『魔法屋敷』は、手塚まんがが戦時下的ファンタジーとディズニー的ファンタジーの双方と決別し、新しい領域に踏み出していく意思表示ともとれる作品になっている。

この『魔法屋敷』と同日に刊行された『地底国の怪人』では、うさぎの耳男が登場する。まるでディズニーのアニメの動物のように人間臭い動きをするが、このディズニー的な二本足で人の言葉を話すキャラクターを手塚は科学によって作品世界に誕生させる。戦時下のまんがに求められた科学的リアリズムが写生的な精密画としてでなく、まんが的虚構が科学主義的に再定義していく形で手塚まんがが勝利したといえる。しかも、手塚はウサギの耳男に内面を与えている。つまり傷つく心が芽生えているのである。それが、耳男の犠牲的な献身にドラマとしてつながっていく。『勝利の日まで』で手塚が描いた、記号的表現によって描かれながら死にゆく身体を持ったキャラクターはこのように耳男として手塚まんがの中に明確な輪郭を結ぶのである。この耳男は『ロストワールド』のミイちゃんとして再登場する。ミイちゃんは心を与えられたが故に、ミッキーたちには決して訪れない死を繰り返し体験しなくてはならない。

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