佐々木俊尚「キュレーションの時代─つながりの情報革命が始まる」(3)
情報の流れは、いまや劇的にこのような方向に流れている。大衆と呼ばれるような膨大な数の人に対してまとめて情報を投げ込み、皆それに釣られてモノを買ったり映画を見たり音楽を聴いたり、というような消費行動は2000年代以降、もう成り立たなくなってきている。
このプロモーターが採ったのは、新聞やテレビ、雑誌を介して情報をただ流すのではない。目を皿のようにして、その情報を求めている人たちの特質をつかみ、そのような人たちがどのようにして情報を得ているのかということを調べ上げ、その小さな支流のような情報の流れを特定していく。それは自然の中にある本物のビオトープのように、小さな水たまりに細い細い水流が流れ込んでいるような世界。どこが上流なのか、どこが下流なのかも判然としていません。水はゆるやかにたゆって集まり、分かれ、再び集まって複雑な水域を形成していく。その網の目のように張り巡らされた水流のあちこちに生まれる水たまりには、エビやカニや小魚や虫たちがひっそりと生息し、小さな生態系を形成している。それぞれの水たまりは沼や川にも繋がり、ある場所では森の中にひっそりと隠れ、別の場所では広い草地に埋もれるようにして夏の強い日差しを受けている。この多様で複雑な生態系の全体像を見渡すのは、容易なことではない。
今、我々の情報社会も、このように小さなビオトープが無数に集まって生態系をかたちづくり、それが連結を繰り返しながら全体を構成させている。それを、ソーシャルメディアの普及がさらに促し、一層の拡大と進化を続けている。この広大な情報の森の中へ、このプロモーターは足を踏み入れ、優れた狩猟者よろしく、あちこちに罠を仕掛け、川の一部をせき止めて簗をつくり、ピンポイントでそこに生息するジスモンチの音楽の消費者たちを探し出した。
このジスモンチの公演の例に象徴的なように、情報のビオトープ化はマスの衰退とともに劇的に進行している。そして、このような混沌とした状況には、ひとつの大きな難題が横たわっている。それは、ビオトープのありかを特定していくのが容易ではないということだ。まず、情報を受ける消費者の側から言うと、自分が求めている情報がどこに行けば得られるかが明確ではなくなってきている。ネット時代に入り情報の量は指数関数的に増え、情報の質も以前より濃く深くなってきている、だからピンポイントで探し出すことができれば、そこに必ず有用な情報がある。しかし、それを探し出すのが容易ではない。
これは情報を送り出す側に言える。この例のプロモーターのようにビオトープを的確に探し当てれば、的確な情報を的確な場所に流し込むことができる。しかし、これこそ天賦の才能とスキルとノウハウの世界であって、だれにでもできるというものではない。
しかし、このような混沌にも、様々な法則が見出されようとしている。どんな混沌にも必ず法則はあり、その法則に基づいて情報は流れていくはずだ。しかし、それらの法則は未だ断片的でしかない。これを解き明かすのが本書のゴールというわけだ。
« あるIR担当者の雑感(29)~ IRのニッチ戦略(9) | トップページ | 佐々木俊尚「キュレーションの時代─つながりの情報革命が始まる」(4) »
「ビジネス関係読書メモ」カテゴリの記事
- 琴坂将広「経営戦略原論」の感想(2019.06.28)
- 水口剛「ESG投資 新しい資本主義のかたち」(2018.05.25)
- 宮川壽夫「企業価値の神秘」(2018.05.13)
- 野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(10)(2015.09.16)
- 野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(9)(2015.09.16)
« あるIR担当者の雑感(29)~ IRのニッチ戦略(9) | トップページ | 佐々木俊尚「キュレーションの時代─つながりの情報革命が始まる」(4) »
コメント