池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(5)
第3章 Whole Earth CatalogはなぜWeole Earthと冠したのか
スティーブ・ジョブズもエリック・シュミットもカウンターカルチャーの影響を受けていた。当時のWECとその創刊者であるスチュワート・ブランドの影響だ。
カウンターカルチャーとは、アメリカで主に1960年代に起こった若者の一連の運動の総称で、ヒッピー、ドラッグ、ビートニク、コミューン運動、公民権運動、ベトナム反戦等の様々な活動だ。これらの動きを大まかに二分すると、公民権運動のように直接的に政治的運動に連なるものと、ヒッピーやコミューン運動のような新たな文化や社会を生み出そうとした社会的運動に連なるものにとだ。そして、ブランドやWECがかかわったのは後者の方だった。当時のアメリカは、第二次世界大戦の好景気で国が湧き返り、モノが溢れ、今日に繋がる大衆消費社会の雛形を用意したころだった。その一方で新興の大国として、新たに登場したソ連との間で本格的に冷戦の時代に突入した時代でもあった。シリコンバレーの誕生に大きな影響を与えた航空宇宙産業の興隆も冷戦によるものであった。当時の若者の典型的な不安は、大量生産/大量消費を支える大企業という官僚制の中で一つの部品として生きることに対する不安であり、冷戦の進行の中で徐々に現実味を帯びてきた核戦争による人類の破滅への不安であった。このような不安が十分な現実性帯びるほど、アメリカにいる若者たちを巡る環境が激変していた。そうした社会環境の中で、具体的に不安の源泉に抵抗し、その原因を排除するために、公民権運動やベトナム反戦という行動に移る人たちもいれば、それとは別に、不安の源泉からの脱却を精神面から試みる人もいた。しかし、両者を峻別することできない。カウンターカルチャーという運動は、中心と言えるものがなく、同時多発的に生じたものが連鎖を繰り返すうちに全体として一つの動きとなるものだったからだ。このような中で、ブランドがWECを通じて関わったのは意識の拡大やコミューンの方向性だった。
この時、1938年生まれのブランドは30歳を越えており、カウンターカルチャーの中心世代より上の世代に属していた。ブランドが在学中のスタンフォード大学は、1950年代後半から、連邦政府の研究予算の獲得に奔走し研究型大学へと脱皮しようとしていた。当時は、第二次世界大戦からソ連との冷戦時代を迎え、太平洋岸の地政学的意義が増し、新たに設立された空軍を中心に基地が増設され、航空宇宙産業の主要企業や研究機関が続々と太平洋岸地域に設立されていた。NASAの研究機関であるエイムズ研究所もあり、大量の軍事予算が西部に投下され、その一部が研究開発予算として、政府機関、企業、大学の研究所に流れ込んでいた。ちなみに、シリコンバレーも当初は連邦政府の研究予算に支えられていた。コンピュータの開発も、勃興する航空宇宙産業の一分野として始まったと言っていい。そこで、カウンターカルチャーの側からみればシリコンバレーは連邦政府の出張所のようなところであり、このように異なった立ち位置にある人々を繋ぐハブとしてブランドやWECが大きな役割を果たしていくことになる。
ブランド自身はコミューンを築くような運動の渦中にいることはなかったが、コミューンを支援する活動として68年にWECを創刊したのだ。雑誌はカタログ誌であり、その意図はWhole Earth Catalogという名前に全てプログラムされていた。このWhole Earthという世界の見方は、バックミンスター・フラーの影響を強く受けたものだ。ちょうど船に乗った搭乗者が呉越同舟、一蓮托生の立場にあるように、地球という船をどう切り盛りするかという問題意識がフラーの宇宙船地球号にはあった。大学時代に生物学・生態学を学び、軍に入隊するほど世界を憂い、マルチメディアアートやLSDの体験を通じて人間の意識の拡大の可能性に触れ、さらにはアメリカ先住民という異なる社会の存在をその目で確認してきたブランドからすれば、Whole Earthという言葉、それまでの彼の体験を纏め上げるには十分な広大さを持っていたと言える。地球を一つのシステムとして考えることで異なる世界の有り様を想像させるものであったからだ。地球を一つのシステムとして考えることで異なる世界の有り様を想像させるものであったからだ。ただし、ブランドは単なる夢想家ではなく、科学を信じる現実主義者であり、現実的な問題解決への接近を優先させるプラグマティストであった。
この点で、限られた資源をいかにして有効に活用することができるかという問題意識がブランドの心を捉えた。例えば、デザイン=設計の際には全体を見渡したうえで、最小資源で最大効果を得るものが最良のデザインであるとする見方を提唱した。つまり、デザインを単なる意匠と捉えるのではなく、最終的な制作物が利用者に与える効果まで見越したうえで行う行為と捉える包括的な考え方だ。このような有限資源の最適化こそがデザインの本質であるとする見方は、ウェブ時代になって、モジュール化と言われる方法で、デザイン概念の主流の一つになる考え方と言える。全体を見渡し最適の解決方法を得るためには一度外部へと離脱し、その外部から全体像を眺めたうえで検討することが不可欠であり適切な対処方法と言える。これは、コミューンを年から離れた自然の中に創設する考え方を正当化するものであった。
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