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2011年7月16日 (土)

佐々木俊尚「キュレーションの時代─つながりの情報革命が始まる」(13)

第五章 私たちはグローバルな世界とつながっていく

我々は多様な文化圏域の中で暮らしている。勿論日本人としての性質と文化は日本人という民族が消え去らない限り無くならない。一方でインターネットというテクノロジーの普及は、別のレイヤーでの新たな変化を引き起こした。動画サイトで動画が自由に流通するように、他にも音楽も世界中でコンテンツを共有できるようになった結果として、コンテンツがアンビエント化してきている。ソーシャルメディアが国境を越えて接続されていくということは、そこで生まれる文化的な共有空間も国境を越えて浸透していく。コンテンツがアンビエント化して、国境を越えて浸透していくという状態になってきている。

しかし、その一方で、このようなアンビエント化の動きとはまるで矛盾するようにして、普遍主義の崩壊が言われ続けている。普遍主義とは、ヨーロッパで近代市民主義が成立してから、このヨーロッパ市民社会を「普遍的」であるとする、民主主義という政治体制、友愛や平等といった理念、これらは世界のすべてをおおいつくすことができる普遍的なシステムだという考え方のことをいう。文化でいえば、ヨーロッパの美術、クラシック音楽が理想的な藝術として世界文化の標準として君臨していた。しかし、よく考えてみれば、これはヨーロッパと言う一ローカルの考え方であるに過ぎない。さらにいえば、ヨーロッパの中でも、普遍として一概に言えなくなる事態が発生し、何が普遍か、ということがはっきりしなくなってきている。このように普遍主義が崩壊し、細分化した圏域で閉鎖的になっていく文化と、インターネットによってアンビエント化し、開放的になっていく文化、ひとつは断絶で一つは共有とは、文化のそれぞれ別のレイヤーのことを説明している。つまり、我々の文化は断絶し、共有されている。

ユーチューブやアイチューンなど、コンテンツを共有するためのプラットフォームがグローバル化していく中で、アメリカに住んでようが中国に住んでいようが、安価にコンテンツを発信し、楽しみ、共有することは世界中のだれもが可能になっていく。そのためのコストは低下し、国ごとの違いは関係ない。従来は発信力の強い国の文化が配給力を持っていた。それが、普遍文化の背景ともなっていたわけだ。ところが、インターネットのメディアが普及し、コストが低下していくと、情報発信パワーにはあまり意味がなくなってくる。そもそも情報発信がパワーたり得たのは、情報発信が絞られていたマスメディアの時代で、この時代までは、情報の供給に需要が追い付かなかったからなのだ。しかし、今や情報量は膨大な量となり、供給が需要を完全に上回った状態となった。このようなメディアの環境の中では情報発信のパワーは相対的に失われたようになる。もとろん良質なコンテンツが価値を失うということではない。しかし、情報の量が多くなるに従い、そういった良質のコンテンツも数が増える。今では、プロが作った少数のコンテンツを映画メジャーや出版、メジャーレコードが配信していただけだったのが、ソーシャルメディアを介して続々と配信されるようになった。これこそがインターネットのプラットフォームのパワーと言える。

このことは情報アクセスのパラダイム転換を促すだろう。メディアのコンテンツ発信のパワーは弱まり、その一方でコンテンツ共有のプラットフォームがグローバル化し、巨大な基盤となっていく。我々はその巨大なグローバル化したプラットフォームの上で、無数のビオトープを形成し、そこに無数間キュレーターを生み出し、いたるところに生息しているキュレーターに我々はチェックインし、その視座によって情報を縦横に得ていく。グローバルなプラットフォームの上で、コンテンツやキュレーター、それに影響を受けるフォロワー等が無数の小規模モジュールとなって存在するという生態系が生まれる。このようなグローバルなプラットフォームの上で、より細分化された文化圏域のコンテンツが縦横無尽に流通することが可能になる。また国ごとの垂直な情報圏域では、マスメディアは崩壊し、ミドルメディア化して細分化していく、その一方で、その細分化されたミドルメディアは、グローバルな方向へは水平に流動化していく。

それが進むと一つの国の国民が全員で同じ文化を共有するという考え方が幻想だったことが明らかになり、国内でも、都市と地方、富裕層と貧困層などで文化の分断が進み、それぞれが違う文化圏を形成するようになってきて、それぞれの細分化それた圏域によって必要とされる情報は異なり、そうした情報は同時にグローバル化される。そのような時代においては、プラットフォームという大きな船に乗ることによって、文化圏域も同じようにたやすく国境を越えていく。同じ国に住んでいる、でも異なる文化圏域の人よりも、国は異なるが同じ文化圏域に属している人の方が近いと思えるようになってきている。

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