本田雅一「これからスマートフォンが起こすこと」(1)
序章 スマートネイティブたちの世紀
スマートフォンはユーザーが自由を求めた結果として、台頭して来たものだと筆者は言う。これに対して、携帯電話は限られた条件の中で、どんな機能を盛り込めるかを携帯電話事業者が考え、混乱が起きないよう、端末や対応するサービスを設計、構築していく。いわば携帯電話事業者が絶対君主のような強権の下で複雑な進化の過程をとげ、これ以上成長することが難しくなっている。これに対してスマートフォンは、誰もが自由に振る舞うことができ、自由競争の下で淘汰され、優れたアプリケーションが生き残っていく。携帯電話のネットワークが有する限られた通信帯域をどのように使い、共有していくかは、ユーザー自身がアプリケーションを選択することで、決められていく。このようなアプリケーションの
自然淘汰の中で、存在感を強めているのがソーシャルメディアである。スマートネイティブたちは、常にスマートフォンを携帯し、ソーシャルメディアの中にあらゆる情報を放り込み、そのままソーシャルメディアを通じて自分たちの情報をやり取りする。このようなスマートフォンとソーシャルメディアの組み合わせを中心にデジタル世界に接続しているユーザーたちは、すでにインターネットの存在を無視し始めるという、大きな世代的変化が起こり始めている。
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