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2011年7月 5日 (火)

佐々木俊尚「キュレーションの時代─つながりの情報革命が始まる」(2)

第一章 無数のビオトープが生まれている

かつて情報はマスコミに集中し、誰もがマスコミから情報を得ていた。しかし、今やマスコミに流れる情報は、人々から見向きもされなくなってきている。情報の圏域が細分化され、ブログやツイッターなどの様々な方法で情報を自分なりの方法で集めるようになってきている。これは、逆の方法、つまり広告や記者のような情報の発信する側は、どこに発信すれば情報が届くかという問題に直面している。

ここで、著者はエグベルト・ジスモンチというブラジル出身のミュージシャンと、彼の来日コンサートを開催した女性プロモーターの話をする。ジスモンチの音楽はブラジルの音楽をベースにワールドワイドな広がりをもったものだったが、日本では一部のコアな音楽マニアを除いて無名に近かった。この人の来日公演を考えた女性プロモーターがいた。しかし、新譜も出ていなければ、来日もずっとしていない、さらにジャンルもハッキリしないようなジスモンチの公演を、日本でやって成功できるのか。彼女は、まずチラシを作った。それは、ジスモンチの簡単な紹介とウェブサイトのURLのみが記されたシンプルなものだった。ウェブサイトには、メーリングリストの登録フォームが用意されていた。これらは情報を絞り込み、受け手の飢餓感を煽ることを意図してつくられていた。そして、この情報の告知が最も重要な問題。テレビや新聞に公告を出す予算はなく、チラシをバラまいてもジスモンチのファンに情報が届くわけではない。では、どこに情報を投げるか。とくに音楽のような言語の違いを超えてしまう文化は、いまや国ごと民族ごとの違いよりも、文化圏域ごとの違いの方がずっと大きくなってしまっている。ジスモンチの音楽はアマゾンの奥深くに分け入った民族的根源性を秘めながらも、しかしそこには日本人にも欧州人にも、そしてアフリカ人にも生理的に理解できるグローバル性を内包していると言える。しかし、そのグローバル性とは決して全世界のすべての開かれているものではなく、クラシック・ジャズ。ワールドミュージックの境界的な領域に生息する特異なサウンドを、皮膚感覚的に認知できるような、ある特定の文化圏域の人たちに対してのみ開け放たれていると言える。つまり、今や国ごとの垂直統合は解かれ、グローバルな音楽市場の中で再結合されているのだ。

となると、なおさら、次にあげる3点が情報の流れの究極の課題として浮き上がってくる。

・ある情報を求める人が、いったいどの場所に存在しているのか。

・そこにどうやって情報を放り込むのか。

・そして、その情報にどうやって感銘をもらうのか。

情報を共有する圏域のサイズが国ごとにはどんどん小さくなっている。今、その場所を押さえるのは、とても困難になってきている。そして、この情報を求める人が存在している場所を、ビオトープと呼ぶ。

かつては、国ごとに音楽が垂直統合され、音楽プロモーターがビオトープを容易に見つけることができた。マスである多くの国民に向けてであればテレビや全国紙。特定の地域に情報を送り込みたい時は地方紙や全国紙の地方版、折込広告。そして、趣味や業界の各分野に対しては雑誌や業界紙。それは人々のビオトープが整然と切り分けられて、可視化され、整頓されたメディア空間であり、どこに情報を投げれば誰に届くのかを、ある程度推し量ることができた。ところがインターネットの出現によって、この巨大で大雑把なビオトープは拡散してしまう。最初はウェブサイトから、検索エンジンの普及がこれを加速し、ブログやツイッター等の膨大なソーシャルメディアが参入した。これにより、ビオトープは、デジタル空間の内外で無限大の広がりを持ち、さらにはあふれた情報がビオトープの再生産を促し、あるいはソーシャルメディアの中でアドホックに生滅を繰り返すようになる。それは、一見捉えどころのないかのようだ。音楽の世界においても、ビオトープはグローバル市場の中でうたかたのようにあちこちに生まれ、時には消え、そして再生成されている。ある時にはコンサート会場に突然生まれるときもあり、永続的に固定されたコミュニティもどこかに存在するかもしれない。

ここで、プロモーターは、マリーザ・モンチというブラジルの女性シンガーのコンサートでチラシを配布した。いわば狙い撃ちである。彼女は、音楽性の深さや方向性は似通っていて、彼女のコンサートに集まるコアなファンをターゲットとしたところ、手応えはあった。さらに、「現代ギター」という雑誌に着目する。これはクラシックギターの専門誌で、ギターを軸とした情報が詰め込まれている。この雑誌の読者であるギターの愛好者には特徴的な傾向として、ギターを聴く人が、同時に弾く人である場合が多く、年齢的には40~60代の男性で比較的収入は高い。だから、ビオトープとしては圏域が小さいが、ファン同士の情報流通は非常に濃い。このような関係性は、実は、インターネットと高い親和性がある。実際、クラシックギターファンの多くはミクシィにかなりの数が集まって、コミュを形成していた。だから、ギターファンというのは、一般的な音楽ファンとは異質なビオトープを形成していた。そして、プロモーターはこのようなコミュに情報を投げ込んでいった。結局は、まず、狭いクラシックギターファンの間で話題となり、次第にレア感となってマスメディア業界のアンテナを刺戟し取材申し込みが舞い込むほどになり、結果は、チケット完売、このライブについては、かなりの人がブログで感想を書いている。

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