本田雅一「これからスマートフォンが起こすこと」(6)
第5章 コンテンツビジネスの流通革命
スマートフォンの普及は、コンテンツビジネスの流通革命も生み出そうとしている。従来の映像コンテンツを流通させる手段は「一対多」が主流だった。テレビ放送はその中で最も一般的なものと言える。このような映像コンテンツの特徴は、大型のテレビ画面により、みんなで見るというスタイルを取っているということだ。自然と受け身で楽しむコンテンツになっており、インターネットとの親和性は低い。しかし、動画を扱うソーシャルメディアの発展は、コンテンツのパーソナル化を促す。そこにはインターラクティブな相互発信が行われ、他人が作った動画を楽しむ場合でも、その動画に直接アクションを起こせるようになっている。それはコンテンツのパーソナル化といっていい。
さらにDVD等の光ディスクの流通にも変化が生じている。つまり、ディスク自体の売上が漸減傾向にあるがインターネットを通じた通信販売の割合が高くなってきている。そして、デジタル配信の時代となった場合には、ユーザーが作品を購入したという意識いわゆるオーナーシップが低下していくようだ。そうなったら、作品をレンタルするというスタイルは後退する一方で、ユーザーの手元には何らかのコンテンツが残るわけではない、ID取得による期間内見放題というような購読型のサービスに取って代わられる可能性が高い。このような事態が進むと、例えば音楽では、「誰のどのアルバムを買うか」という意識が弱くなり、「聴いていて心地よい新しい流行曲を聴ければいい」といったようにアーティストや作品が透明化し始めている。こうした傾向は作品そのものを楽しむということではなく、暇つぶしのためにコンテンツを消費することに変化してきている。
第6章 昨日の覇者が今日の敗者!いったい誰が勝ち残るのが?
個々の紹介で、グーグルとかフェイスブックとかが紹介されています。それだけです。
最初の方のスマートフォン自体の分析は興味深く読みましたが、著者はスマートフォンについては詳しいようですが、それ以外のもの、さらに鳥瞰的に全体を眺めるにたいしては切り口が甘いため浅く表面を嘗めただけという感じでした。だから第2章以降は、単に事物を列記したというだけで、どうして、このようなことを書かねばならないかということが、読んでいても分らない。その意味で、著者も事態を自分なりに理解できていないのではないかと思います。だから、一冊を読み通しても、一体何が起こっているのかは分らない。ここの事象の位置づけとか意味づけ、おそらく、それぞれの動きは相互に連携しあっているはずですが、あたかも単発に別個に起こっているようにしか読めない。そういう意味では、この本を読んで役に立ったと思うような人とは例えば、タブレットというのが何だかわからないような人だと思います。そういう人には、それぞれの製品がカタログのように親切に説明されています。私には、この著者は単なる紹介屋にしか見えません。それよりも、日本には未だに、こういう昔ながらの紹介屋が生息しているのを発見した驚きがありました。
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