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2011年7月31日 (日)

池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(8)

90年代以降のインターネットの商用化の中で浮上したのは、「広場」よりも「市場=マーケットプレイス」の構想力だった。ウェブ自体は、技術と経済やビジネス、そして政治や社会が複雑に絡み合った中で日々開発されていることが、すでに周知のものとなっている。そのいずれもが人間自身が作り出した広義の「人工物」であり、それぞれに関わる人たちの想像力が投影されたものだ。電子の「広場」が重視した、意識拡大やコミュニティづくりとは別種の想像力がマーケットプレイスの開発に動員された。

例えば。ジョン・フォン・ノイマンによって発案された「ゲーム理論」がそうだ。ゲーム理論は、もともとはチェスのような「ゲーム」の背後にある数理を取り出すものとして考案されていたが、これを経済行動に応用した場合に、市場における売り手と買い手の交換行為を一種のゲームと見立てることで、その交換が実際にどのようなメカニズムで、その交換が実際にどのようなメカニズムで起こるのか、また、どのような条件下であれば交換が成立するのか、あるいはそうした交換行為が長期にわたって安定化し「取引」や「市場」へと変貌していくための要件はなんなのか。そのような問題意識へり展開していった。それまでの経済学が市場をひとつの抽象的な存在として捉えていたのに対して、ゲーム理論は市場で取引する個々人のやり取りから出発している。この具体的な交換行為を出発点とするところから、必然的にコンピュータの利用を呼び込むことになる。個々の交換活動を何らかの形で集計する手続きが必要になるからだ。

このゲーム理論は軍事行為のシミュレーションと計量経済の研究という二つの大きな動機付けの下で研究が進められた。とくに後者はシカゴ大学を中心にして金融工学の理論的な基礎づけを作っていった。その中にいたのかせ、ハーバート・サイモンであった。サイモンは、前に出たフラーとは違った文脈で、最適化過程としてのデザイン、システム設計としてのデザイン、という見方を明確にした。彼らのデザイン発想は、個別具体的な意匠の制作、というデザイン対象に接近した視点だけでなく、その制作物がどのような文脈でどのように利用されるかを全体を俯瞰して考えることを優先する。サイモンのデザイン発想は、人間が考案したものは、すべて一律に「人工物=the artificial」と呼び、その設計=デザインを重視したところに端的に現われている。ここにおいて、建築家とデザイナーが等置される。今日のウェブの文脈でサイモンが重要なのは、彼が従来の経済学が想定していた「合理的個人」がいかに空想的なものであったかを明らかにしたことだ。人間の判断は、どれだけの知的訓練を受けた人であっても、彼・彼女が持ちうる知恵に基づいてしか判断できない。その点で「限定合理的」なものに過ぎない。ましてや市場のすべての商品を探索して自分の価格選好にあった商品を見出すことなどは全くの不可能なことであり、いくつか探索したところで納得して(あきらめて)判断するような「満足化原理」による他ない。サイモンは、限定合理性と満足化原理をあわせて「ヒューリスティック」と呼ばれる判断方法を見出し、そのような個人が市場の売り手と買い手として参加するのが現実の市場であることを明らかにした。

電子の市場は、ノイマンとサイモンが交差するところで開発された。つまり、一方に、ノイマンに端を発するゲーム理論の適用による経済学の構造化があり、もう一方に、サイモンに端を発する人間のもつ限定合理性を前提にした人工物としてのデザインの工学化がある。その交差点で具体的な仕様の開発が進められた。ウェブ時代にアーキテクチャが重要概念として取り上げられる理由はここにある。世界が電子の市場となっていった。

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