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2011年7月17日 (日)

佐々木俊尚「キュレーションの時代─つながりの情報革命が始まる」(14)

グローバルなプラットフォームが普及していけば、民族性やそれぞれの国の独自性が失われるのではないか、という批判もある。例えばハリウッド映画やアメリカの音楽やマクドナルドやGAPのファッションが世界中を席巻したように。世界中の若者がアメリカ発の映画や音楽やファッションにどっぷりと浸かる。いわゆる文化帝国主義に浸食されてしまうという危険。しかし、そうした文化帝国主義が成立するためには、実はマスメディアによる情報の独占が絶対に必要だ。常和鵜の供給が絞られ、その細い情報流路に沿って、帝国主義的な文化が集中豪雨のように流し込まれるということが必要なのだ。

逆に、グローバル化したシステムでは、情報の伝達は今までよりずっと容易になり、だからこそローカルカルチャーの重要性がいつそう高まってくる。歴史や地理、文化の多様性を受け入れることによって、いくつものシステムやモデルが共存し、進化し、互いに影響し合って、そして分裂し、融合していくような、そういう新たな文化の世界。つまり、グローバルプラットフォームの上で情報が流れるということは、多様性がそこに内包され、自立・共存・発展するローカル文化の集合体を生み出していくことになる。

グローバリゼーションと画一化は、決してイコールではない。多様性を許容するプラットフォームが確立していけば、我々の文化は多様性を保ったまま、他の文化と融合して新たな文化を生み出すことができる。その世界で新たなまだ見ぬ文化は、キュレーションによって常に再発見されて続けていく。

この本は、著者が今、このような動きの真っただ中にいて、その渦中で書いているような本で、よく言えば、ビビッドに伝わるものです。その反面、考えが十分に整理されていないため、結構熱く読んでいても、結局何を言っているのかがよくわからなかったりする、ところがあります。全体の論旨というのも、可能性の議論に乗っかっているため、展開があるというよりは、例示が後から後から出てくるという感じで、興味が先へ先へと進むというのではないので、部分を拾い読みして、それぞれの事例というのかエピソードがそれぞれ面白く、それぞれが独立した内容として読めるので、ピンポイントで味わうくらいが程良い読み方ではないかと思います。なお、この本での議論は、このブログで同時並行のようにアップしてきたIR担当者の雑感の中で参考のネタとして使わせていただいています。

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