池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(7)
第4章 東海岸と西海岸
前章ではWECの紹介のため西海岸のベイエリアをとりあげたが、コンピュータの開発は東海岸から始まったと言ってよい。その中心はMITであった。そもそもサイバネティックス理論を考案したノーバート・ウィーナーがMITの教授であった。ほかにもジョン・フォン・ノイマンのいたプリンストン高等研究所など東海岸に開発拠点があったのは、五大湖周辺のオハイオやミシガンが19世紀の後半から工業州としてアメリカの工業の中心だったためだ。この地区の企業の多くは巨大企業として独占ないしは寡占的な地位を築いていた。それゆえ、実質的に当該産業の行方を左右する地位を占めていた。つまり、企業と産業を同一視して構わないような状況があった。情報産業であれはIBM、AT&T、等が、自動車産業であればビッグ3がそうだった。カウンターカルチャーが対抗しようとした官僚体質の企業とは、まさにこうした東海岸に本社を持つ大企業だった。そのためか、西海岸にスタータップ(起業したての企業)のアタッカー気質が多いのに対して、東海岸の企業の場合、産業全体の秩序を考える既存大企業の気質が強いということだ。
90年代のインターネットブームは多分に東海岸主導で演出され進められたところがある。新しいサービスを創り出したのはシリコンバレーやベイエリアの企業が多いものの、それらを生み出す仕組みや環境を用意したのは東海岸の組織だった。中でもMITのメディアラボが情報発信の役を務めた。これは、ニコラス・ネグロポンテによって始められた。これはもともとは、建築設計へのコンピュータ利用から始まったものだ。具体的には、設計支援のためのCG利用や、建築模型に相当するプレゼンテーション方法としてのコンピュータ利用、あるいは、モデルルームに代わる擬似的空間体験としてのバーチャル・リアリティなど、いずれも広い意味で、人間と機械の間の適切な協働形態の開発という主題に連なっていた。つまりは、インターフェイスの開発であり、メディア=媒介技術の開発であった。ここで付言すべきことは、建築という分野は、アメリカでは工学とは独立した分野として扱われる。設計や施工、構造計画のような工学的要素、建築様式から部屋の意匠のような造形的要素、都市計画から不動産開発までの経営学的要素等が混在した領域として独立している。コンピュータの登場(デジタル化)によって、建築に関わる行為の多くの部分が物理的なもの(アナログなもの)から切り離された。その分、一見すると表層的な意匠の組み換えや、計画・設計の要素が目立つようになり、広い意味でデザインの問題に帰着する部分が増えた。実際、そうした意匠の新しさが建築や造形物の新しさに繋がったところもある。デジタルによって形状は機能に従うというインダストリアル・デザインのルールに縛られる必要はなくなった。デジタルによっていとうのは、設計がCGで柔軟になったということだけでなく、多くの製品がデジタル化によって極小のチップで制御可能になり、デザインによって見た目を誤魔化す必要のあった機械部分が減ったということもある。また、材料科学の開発が進み、想像したイメージを自在に実現できる表面加工技術の開発も進んでいる。裏を返すと、見た目の形状からは内部機構のからくりが想像できないような製品が増えていることでもある。
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