池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(1)
著者は“構想力”という概念をキーとしてウェブと社会のあり方について、現在そして今後について考えようとしている。ここで著者のいう“構想力”とは、開発者も利用者も含めて共有されている理想像、未来像、を描くための構想力のことで、夢といってもいい。例えばPCの開発については、その開発初期である1950年代から60年代にかけて基本的な構想が、しばしばカウンターカルチャーの影響下で構想=ビジョンが描かれていた。本書では、その象徴的な人物としてスティーブ・ジョブズとエリック・シュミットを取り上げているが、彼らの指し示すビジネスの方向=戦略にはほかの多くの企業も乗ってきている。企業だけでなく、エヴァンジェリカルなユーザーを中心にユーザー自身もそうした理想の実現に熱くなっている。つまり、おおよそ50年前に構想された理想が、50年の時を経て、ようやく最終形態として実現されようとしている。
そして、そのビジョンは、商品やサービスの供給者である企業だけでなく、消費者であるユーザーも共有していた。そうした集団による夢の共有を可能にしたのが、スチュアート・ブランドが始めたWECという雑誌やコミュニティの存在だった。夢の商品、夢の世界を実現させてくれたからこそ、PCやウェブの新商品は公表されるたびに熱狂をもって迎えられてきた。その熱狂があればこそ、単なる消費対象・購買対象物を超えた「文化」として受け止められてきた。自分たちの夢を叶えてくれる存在として、多くのユーザーが、シリコンバレーを中心に登場するコンピュータやネットワークの企業を歓迎してきた。
構想力が大事になるというのは、このような文脈においてのことである。本書では、この構想力及び構想力の手前にある想像力に関心を寄せる。想像力はニーズ志向でもなく、シーズ志向でもなく、両者の中間的存在=媒介としてあり、両者を牽引して構想に繋げていく。そして、ソフトウェア中心の時代にはプログラム=書かれたものの「実装」として構想は具現化されていく。
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