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2011年7月11日 (月)

佐々木俊尚「キュレーションの時代─つながりの情報革命が始まる」(9)

第四章 キュレーションの時代

情報のノイズの海は、そのままではただ茫漠と広がっているだけで、いったいどこに自分にとって良い情報が溜まっているのかはさっぱり分らない。何の羅針盤もないままその海に漕ぎ出しても、あまり広さに途方に暮れてしまう。でも、その遠浅の海にあちこちに杭が差し込まれ、その杭の周囲には情報がゆるやかに集まってよどみを作っている。自らは情報そのものを探す必要はなく、どの杭がどういう情報のたまり場なのかを判断して、それらの杭に近寄っていって、その杭の周囲の水流に手を伸ばせばいい。冷たく澄んだ水がその手の周りでやさしく戯れ、そこに渦巻いている情報が見えている。誰かの視座にチェックインすることによって、我々は情報のノイズの海から的確に情報を拾い上げることができる。そして、第2章の背景放射と大きく重なってくる。

人のつながりによってこそ、我々は情報を的確に受け取ることができる。そしていま我々は、モノの消費よりも人のつながりを求めている。これは消費社会と情報社会を大統合させる大きな流れの可能性もある。ソーシャルメディアによって細分化されたコンテキストが絶え間なく生成され、そのコンテキストが絶え間なく生成され、そのコンテクストという物語を通じて我々は共鳴し、共感し、そして接続してお互いの承認を受けることができる。そういう時代の中に足を踏み入れつつある。例えば眼鏡を買うという行為は、即物的には単に「見えないものを見えやすくする」という機能を購入するだけだが、しかしそこには「眼鏡を売ってくれた田中さんの笑顔を思い出す」というつながりをも差し挟まれていく。つまり2010年代の消費の本質は

商品の機能+人と人とのつながり

と言うことができる。それと同様に情報が流れているということは、情報を得るという即物的な機能だけではなく、そこに「情報をやりとりすることで人と人がつながる」という共鳴が同時に成り立つような時代になってきている。

情報収集+人と人とのつながり

ということになれば、そこには共鳴と共感を生み出すためのコンテキストの空間が絶対不可欠であって、そしてそのコンテキストを生み出すためには、検索キーワードや場所や番組といった「視点」の杭だけでは成り立たず、だからこそそこに「人」が介在する必要がある。人が介在することによって、「杭」は立ち位置や見る角度といった「視点」だけではなく、世界をどう見るのか、どう評価するのかという世界観や価値観という「視座」に進化する。そして、人格をもった人間という視座につながることによって、我々は情報を得るのと同時に、視座=人とつながることができる。言い換えれば、視座とはすなわち、コンテキストを付与する人々の行為に他ならない。そして我々はその視座=人にチェックインすることによって、その人のコンテキストという窓から世界を見る。

そもそも、我々は情報のノイズの海に真っ向から向き合うことはできない。インターネットが社会に普及し始めると、マスメディアが情報を絞っていた時代に比べれば、情報の量は数百倍か数千倍、それ以上になっている。その膨大な情報のノイズの海の中には、正しい情報も間違った情報も混在している。これまでは新聞やテレビがある程度はフィルタリングしていたので、それを概ね信じていればよかった。ところがネットにはフィルタリングシステムがないので、自分で真贋を見極めなければならなくなった。ところが、それは不可能なのだ。一時情報の真贋を自分では判断できず、その情報を利用しているブログでも事実であることを前提に議論していれば、それを読む人は真贋の判断はさらにできない。一方で、田原総一朗の著名記事に書かれていれば多くの人は信頼するに違いない。その理由は、これまで田原氏の書いてきた記事が信頼に足る記事が多かったからだ。つまり、事実の真贋を見極めることは難しいが、それに比べれば、人の信頼度を見極めることの方が容易であるということだ。さらに、人の信頼を得るということは、ソーシャルメディアの時代になって依然と比べものにならないほど容易になっている。それは、過去の投稿や記事が検索によって容易に過去にどのようなことを書き、どんな発言をしていたかをわかってしまうからだ。ネットで活動するということは、つねに自分の行動が過去の行動履歴も含めてすべて透明化され、検索することで容易に読まれてしまう。そういう自分をとりまくコンテキストがつねに自分についてまわってしまう世界なのだ。それは、きちんと真っ当なことを言って世界観を一貫させて語っていれば、つねに自分の信頼をバックグラウンドで保持できる安定感のある世界であると言える。くだらないパッケージを被せたりしなくても、ちゃんと語っていれば、ちゃんと信頼される世界といえる。このようにしてソーシャルメディア上では、「人の信頼」というものが可視化され、すぐに確認できるような構想になっている。我々は情報そのものの真贋を見極めることはほとんど不可能だけれども、その情報を流している人の信頼はある程度推し量ることができるようになってきている。だからこそ、「人」を視座とする情報流通は、いまや圧倒的な有用性を持つようになり、我々の前に現れてきている。

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