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2011年7月11日 (月)

佐々木俊尚「キュレーションの時代─つながりの情報革命が始まる」(8)

フォースクエアの第3の仕掛けは、この「行い」に関連する。フォースクエアは、「場所」と「情報」を結び付け、その結び付けによって、企業や個人の間に新たに回路が開き、そこにエンゲージメントが形成されていく。そして、その場所と情報が結びついたポイントに消費者がたどり着くため、フォースクエアが用意したのは、「チェックイン」というコンセプトだ。どこかの場所に到着して、どこかでチェックインすることによって、様々な情報をそこで得て、誰かと繋がることができる。このチェックインこそが第3の仕掛けというわけだ。「チェックイン」とは、この場所にいるという通知手続をユーザーが行うことによって、その情報を友人に通知したり、その場所の情報を得ることになる。類似のグーグル・ラチチュードには、このような機能はなく、自動的に自分の居場所を友人に通知するように設定されていたことから、プライバシーの問題を引き起こしてしまった。実は、このプライバシー問題はインターネット広告にとって非常に重要な懸念となっている。というのも、多くのネット広告が勝手に客の情報を収集し、勝手に客に情報を送りつけるという仕組みを取っているからだ。ライフログという手法で、例えばアマゾンは客が購入したデータやページを閲覧した履歴から関連商品のおすすめのような機能を付けている。このような動きが全般にある。しかし、自分のあずかり知らないところで自分の情報を奪われているというプライバシー不安をどうしても呼び起こしてしまう。そこで、自分の行動をきちんと自分が意識したうえで、他者に教えることを同意していれば、そのような問題の起こることはない。そのカギとなるのが、フォースクエアの「チェックイン」と言うことができる。フォースクエアでは、自分がいる場所は暗黙的には配信されず、チェックインという行為を通して初めて配信される。これにより、「自分が今いる場所」言う考えようによっては非常に危険な情報を、ユーザーの側が不安に感じることなく安心して友人たちに送信できるようになっている。類似のグーグル・ラチチュードが居場所情報を自動配信する、つまり暗黙の裡にやってしまうことに比べると、両者の違いは明白になる。そして、このチェックインは、明治的であることにより、プライバシー不安を解消してくけると同時に、もう一つの重要な意味として、「自分がどのように情報を得るのか」という立ち位置を、ユーザーの側が自分自身で選べるようにしていることである。つまり、自主性を情報取集に持ち込んでいるということだ。そして、このチェックインという機能はほかの分野への広がりの可能性がある。例えば、フェイスブックの「いいね!」ボタンもそうだろう。このように考えると、チェックインは、場所以外にも情報を集めるためのブイのようなものをネットの海に差し込む行為ということも可能だ。膨大な情報ノイズの海から、何の手懸りもなく情報を拾い集めてくることはとても難しい。しかし、「今自分が居る場所」「面白そうなブログ」といった手懸りがあれば、それを軸にして情報を的確に拾い集めることができる。それは、検索エンジンのキーワードに似ている。言うなれば、情報を集めるための「視点」のようなものだ。この「視点」によってインターネットの情報をフィルタリングすることができる。しかし、この方法には「視点」ということで視野角や立ち位置や方角が固定化され、「タコツボ化」する危険性が潜んでいる。視点の固定化とタコツボ化は表裏一体で、視点を固定しないと情報はうまく得られないが、視点を固定した瞬間に情報はタコツボ化してしまうというジレンマがある。

しかし、これは一人の人間に限ったことで、二人の人物がまったく同じ価値観、同じ世界観を持つということはあり得ない。どんなに近しい人でも、そこには微妙な差異があって、その差異が情報の集め方の揺らぎを生じさせる契機となる。そのことがタコツボ化を乗り越えるための突破口となっている。検索キーワードや場所、ブログは人格のない無機物であり、そうした無機物に依拠する限り視点は固定されてしまい、タコツボ化に進んでしまう。しかし、人が一人ひとり別の価値観、世界観を持っていて、その人間を視点とすると、揺らぎがうまれタコツボ化を使用時させない可能性がある。これは日常生活でも、他人との出会いによって、今まで思いもしなかった視野が開けるという経験は誰でもあるはずだ。ブログの場合なら、キーワードで検索してたどり着いたブログのエントリーには、自分が探したキーワードに関わる話しか書かれていないかもしれない。しかし、そのブログが気に入って、ブロガーのファンになり、毎日読んでみると、日ごろは絶対に興味を持たなそうな分野の話をそのブロガーが書いていて、急に自分も好奇心を掻き立てられることもあるだろう。さらに、ブログならトラックバック、ツイッターならツイートしている人を関連して新たにフォローしてみれば、情報はさらに広がり、情報をフォローしていることを宣言することにもなる。これは、ソーシャルメディアですでに行われている。

これをまとめてみると、つぎのようになる。視座にチェックインし、視座を得るという行為るこれは自分自身の視座とは常にずれ、小さな差異を生じつつけている。「自分が求める情報」と「チェックインされた視座」は微妙に異なっていて、そのズレは収集された情報に常にノイズを齎すことになる。そして、このノイズこそが、セレンディピティを生み出すものとなる。期待していなかった情報が、その「ズレ」の中に宝物のように埋まっている可能性があるということだ。第二に、視座にチェックインするという行為では、情報そのものを取得するのではなく、その情報を得るための視座を得るだけでよく、だからフィルタリングのハードルが大幅に下がる。情報のノイズの海から一かけらの情報を掬い上げるのは、干し藁の中から一本の針を探すような作業であって、非常に困難を伴い高い技量が求められる。でもその海の中に点在している視座は、情報全体の量と比べればごくわずかであって、それを探す作業は比較すればかなり容易になる。第三に、この明示的で自主的な「視座へのチェックイン」という行為はプライバシー不安を回避している。自らの手で誰かの視座を選択し、その人の目で世界を見るという行為は、自分自身をさらけ出す必要は全くない。視座にチェックインすることで、我々は広大な情報のノイズの海をわたり、圏域が細分化された湿地帯のビオトープの中へと歩みを進め、そこに生息するカニやエビや小魚たちと共鳴しあい、その小さく豊かな空間の中で生きていくことができる。

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