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2011年7月29日 (金)

池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(6)

Catalogという言葉、WECがツールを紹介する場としてあることを強く意識したものだった。さらに、そうしたツールに対するレビューも多数掲載された。レビューは当初は専門家が中心だったが、徐々に読者からの投稿が重視された。つまり、ブランドの編集方針として寄稿者や読者を含めてWECを一つのシステムと見なそうとしていた。これはWECを生きた場に変えるものといえる。フィードバックを重視し、情報をプロセスとみなし、WECを動態的な場として位置付けた。情報とはプロセスであり、そのため動態感の確保と維持が大切だと考えていた。そのため、レビューに対しては、単なる批評をするのではなく、肯定的にレビューの対象から炙りだされる洞察を更に引き伸ばすことを重視した。要するにレビューする何かについて、その内容から刺戟を受けた部分を肯定的に解釈し、さらにその考え方の可能性を追求するスタイルを奨励した。そうすることで、レビューは原作者に対するフィードバックとして機能することができる。そのようなフィードバックを促すためには、ピアという水平な関係を重視した。こうした特徴が、WECを紙のグーグルと言われ、今日のウェブにおける情報交換のあり方を予見させるものだった。

さらにWECがベイエリアにおいて創造性を刺戟するユニークな装置となるには、ブランドの交友関係の広さが重要な役割を果たした。誌面にはジャンルの垣根を超えた情報が詰め込まれていた。WECの紙面構成では幅広い対象の選択とそれらの併置が重視された。一見関係のないものどうしの併置は、それらを見るものに一種の換喩的想像を促し、新たな解釈につながる文脈をおのずから生み出させてしまう。要するに、今日のハイパーリンク的読解が可能となるような構成が目指された。

1970年代に入りカウンターカルチャー運動は失速してしまう。それは、コミューン自体の自壊もあったが、それ以上に、アメリカ社会が置かれている状態が激変したことが大きな理由だった。ブランドは、こうした中でWECの読者であるカウンターカルチャー世代の人々が社会に復帰するための言説、つまり考え方の枠組みを、グレゴリー・ベイトソンを参照することで用意した。ベイトソンによれば、世界は生態系として一つである。この考えから、ブランドは、コミューンに退却せずとも社会を変えることは可能だ。むしろ、社会変革は企業や日常生活の場でこそ実践することができる、という考え方を読み取った。60年代のフラーの考える外部から全体を考えるのではなく、閉と損の見方は、都市から離れることなく、世界は生態系として一つなのだから、外部に抜け出すということはできなくなる、そこでどこであろうと今ある場所が変革を実践する場となる。こう考えることで、WECが重視したDIYの姿勢はそのままに都会の日常生活で実践に取り組むことが可能となった。実際に、カウンターカルチャーの世代はアメリカ社会に戻り、中には一定の社会的成功を収める人たちも出てきた。企業人やインテリとして成功者の中で、ライフスタイルとしてカウンターカルチャー時代に重視された、自然や相互扶助を尊ぶスタイルを選択した人たちのことだ。ここから例えば、社会的大義を消費行動の一つするマーケティングがアメリカで生まれてくることになる。このようにカウンターカルチャー的な文化的意匠は、アメリカのメインストリームである大企業の商品によってアイコンとして利用されるようになった。これはカウンターカルチャーの保守化と言われる事態だ。ブランドはこのように、カウンターカルチャー世代が一度は退却した社会と折り合いをつけるために、彼らの考え方の調律に役立つ言説を用意したのだった。

ブランドはこの後、80年代後半のWELLGBNの設立、「メディアラボ」の執筆を経て、コンピュータに関わる世界では後景化した。コンピュータ分野におけるブランドの最大の功績は、カウンターカルチャーに出会う前の、スタンフォード時代に学んだシステム論的発想を、カウンターカルチャーに接木したところにこそある。興味の赴くまま、科学と文化の最先端に同時に触れる場所に居続けたことが最大の貢献だった。その意味でブランドは最高なカタリストであった。

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