池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(2)
第1章 ウェブの現在
2010年に入り、アップルとグーグルとの競争が激しくなった。大まかな構図としては、グーグルがウェブを舞台に、そのフリー(無料=自由)な利用を可能とする手法として検索広告を発明したことで、ウェブ上の多くの企業活動の経済的成否の鍵を握ることとなった。そうしたウェブ上のほぼすべてを掌中に納めかけたかのように見えたところで、アップルがiPhoneの投入によってグーグルのゲームのルールを破ろうとしてきた。
“Free”の著者であるクリス・アンダーソンは、この時のスマートウォンなどの登場によって、インターネットの中に、クローズな世界が作られ、その帰結としてのウェブの細分化・断片化が進んでしまい、自由なアクセスが担保されたウェブが死んでしまうと主張している。これはつまり、オープンアクセスと、それに基づくリンク構造の増殖を消滅させる。ウェブの自己成長の可能性を減じ、その結果、目新しいことが起こらなくなる。つまり、イノベーションが起こりにくくなるのではないか、ということである。
グーグルの登場により、我々はウェブの「全体」を俯瞰した結果が示されるという考え方に慣れ、ウェブを一望する感覚を持つことができた。そこではグーグルがウェブの中心であるような感じになるのだが、グーグルが圧倒的優位を持つ事業はウェブの検索とその結果に付随する広告にすぎない。一方、グーグルの側では、ウェブをフリーでオープンな場として堅持することに力を入れてきた。すなわち、誰もが利用できるためにはウェブは可能な限りFreeであるべきであり、だれもが制作に参加できるように、ウェブは可能な限りオープンであるべきだ、としている。
しかし、グーグルが全体感を醸し出し得たのは、人々が汎用性のあるブラウザに基づき、基本的には相互リンクを受け入れ、アクセスが自由なサイトが大半であればこそのことだった。それが変わったのは、スマートフォンの登場によりスマートフォン上のアプリが一般化し、アプリごとにカスタマイズされたインターフェイス、つまり独自ブラウザが溢れることにより、さっきのオープン性は損なわれてしまう。このことは、ウェブが持っていたリンク可能性がもたらす、相互参照性や間テキスト性といった特性は薄れていく。ウェブという言葉から想起される水平的な網目構造は、相互に行き来が可能で、相互に参照可能だからこそ維持される。だが、その相互参照性が損なわれるとツリー的な構造に戻ってしまい、自由度は減じてしまう。
このあと本書では90年代からのネットの動きを概観する、それは興味のある方は、直接本書に当たってもらいたい。
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