池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(17)
これに対してTwitterはむしろ媒介=メディアに徹しているといっていいだろう。Twitterにおいては、匿名性=アノニマスが許容されているからだ。フォローと呼ばれる関係性のあり方はフォローされた側がブロックしない限り一方的な関係であるが瞬時に成立する。Facebookが基本的に相互承認による、つまり、相互にリンクが貼られた双方向の関係性から成り立っているのに対して、Twitterの基本は一方的なリンクで、それ故、極めて流動的な関係性が築かれていく。Twitterにおける匿名性には、社会で通用している特定の個人名を明かさず偽名を使う場合もあれば、実質的に集団行為であるがゆえに個人を特定できずに集団名を使う場合もある。匿名性は、カウンターカルチャーの文脈では、意識の解放による精神の一体化の一つとして解釈できる。だから匿名性を操れるTwitterの方が、カウンターカルチャー的であるともいえる。そして、匿名性による流動性、遊戯性ゆえに、Twitterは戯れが感じられる場だからこそ、逆にあるtweetが、ある特定の個人のものとして同定できるほどの発言と行動が一致するような人物が、発言力や影響力を持ちやすくなる。玉石混交の情報や解釈の言説が飛び交う一方で、時にその情報が一つの集団的行動を促してしまうこともある。ソーシャル・メディアがそう呼ばれる所以は、単なる情報掲示板ではなく解釈を促すことで行動に繋がる要素が強調されるからだ。アメリカにはfacebookやTwitterを社会を変えるメディアとして位置付けようとする言説の磁場が強く働いている。
ここで、facebookとTwitterの対比からソーシャル・メディアについての考え方を紹介したのは、「メディア」には社会的価値が想定しやすく、そのような存在は、何らかの形で贈与性のあるファイナンスを提供するものが現われることで支えられていくということだ。Facebookが未上場でいられるのも、いわばスポンサーとしての投資家が続けて登場してきているからだ。単純にはお金に換算できないと市場の関係者が思った時点で、その取引価格は各人の思惑だけを反映して吊り上っていく。もちろんこうしたビジネスの展開が可能なのはベンチャーキャピタルという存在と彼らの思考フレームが定着したからだ。
アメリカのウェブ企業、とりわけソーシャル・ネットワークが早期に国外に進出するのは、あるいは、利用者を自国の人間に限らないのは、企業の成長上どうしても必要になるからだと思っていいだろう。国境を越えて人々を結集させることができる潜在的な回路は、国際関係上も重要なものになるからだ。アメリカ国務省は「インターネットの自由」や人々の「接続する自由」を外交方針の一つとして強調するようになった。このことは、国境を越えて人々を組織化するポテンシャルをウェブが持つことを、国際政治の最前線に立つ人たちが公式に認めたことを意味している。このようにして、複数国にわたる人的ネットワークを維持し拡大するための回路がウェブを通じて創り上げられていく。ソーシャル・メディアが現実として力を持つ文脈とはそのようなものだ。
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