三品和弘「どうする?日本企業」(2)
第1章 本当に成長戦略ですか? 日本が歩んだ衰退の道
経営計画と現実の齟齬について、問題の所在を、著者は次のような要約する。日本企業は管理職の延長線上に経営職を置いてしまったため、管理一辺倒に陥り、寿命を迎えた事業の立地にしがみついたまま、利益が伴わない不毛な努力を続けている。
これはデータに明らかであり、メーカーでは1960年以降一貫して下降トレンドを辿っている。問題の根は深く、少なくとも第一次オイルショックの時期に端を発していると指摘する。二度にわたるオイルショックやバブル崩壊などの大事件に際して一時的に利益率は急降下するが、直後には必ず急上昇している。このような場合、多くの人が痛みを感じるため、政府が対策を打つなど、実は恐れるに足らない。我々が本当に脅威と受け止めねばならないのは慢性病、すなわち誰も気が付かないほどゆっくり起こる変化のほうだと著者はいう。
これに対して、売上高は21世紀に入っても増え続けている。データを取った企業は1960年以前より上場している古参の企業だが、未だに売上を伸ばし続けているのは驚くべきことだ。反面、実質利益に目を向ければ1970年前後から停滞期に入っているため、利益率はどんどん小さくなってきている。これらの結果から、日本企業が「成長の奴隷」になってしまったのではないかと思える。まるで強迫観念に取り憑かれたように成長、成長とまくし立て、売上高は伸ばし続けて来たものの、その陰で利益を度外視したツケがたまりにたまって、閉塞感を打破できない状況に追い込まれてしまったのではないか。著者は、これを「豊作貧乏」と呼ぶ。
では、日本企業の利益が頭打ちとなった1970年に何があったのか、著者は戦後復興の終焉があったと指摘する。第二次大戦後の焦土と化した日本の再建とその派生需要が未曽有の経済成長を牽引したが、1970年代に焦土の再建は一段落し、住宅や主要な耐久消費財は行き渡った。戦後復興には確かに緊急性があった。極端なモノ不足を背景とした需要も際限なく見えた。そういった環境下では、いかに工場を拡張し、フル稼働させるかが全てだ。ところが、そのような非常事態モードを脱してしまえば、内需の性格が変わるのは当然だ。国際社会も日本を保護対象から外して、自立を求めてくる。腰を据えて新たな行き方を定めるべき節目がここにあったことは間違いない。しかし、日本は、結局のところ舵を切らず、折よく吹いてきた神風をとらえ、安易に便乗する道を選んでしまった。神風は遠くアメリカから吹いてきた。
しかし、日本の突然の変わり身に、アメリカは烈火のごとく怒り、日本企業の節度なき輸出攻勢を「失業の輸出」と非難する一方で、日本対策を練り始めた。そうした流れの中で台頭したのが、アメリカ企業の製造下請けを買って出た台湾勢であり、韓国勢だった。一方、ここまでして成長を追い求めた日本は何を得ただろうか。利益という点では何のゲインもない。そもそも日本製品がアメリカ市場を短時間で攻略できたのは、アメリカに簡便な販路が出来上がりつつあったからだ。そして、日本企業が量販に打って出れば出るほど、アメリカの販路側に利益が落ちる構図があった。その上、円高傾向に逆らって輸出を増やしたわけだから、利益が犠牲になるのは道理としか言いようがない。さらに悪いことに、火のついた貿易摩擦を鎮める過程で、日本企業は不利な譲歩を何度も迫られ、重荷を背負わされ、疲弊していった。いまや電機メーカーは、台湾勢や韓国勢が仕掛けてくる設備投資競争に敗退してしまい、半導体メモリー、液晶パネルと敗戦を繰り返している。疲弊したところを付け込まれてしまった。これだけ痛い目に遭いながら、驚くべきことに日本は未だに起動を修正していない。
そこで著者は、こう主張する。いまだ日本は「無理やり成長」のツケに苦しんでいるのに、相変わらず「成長戦略」の大合唱でよいのか。成長を目標に掲げると、優秀な社員ほど逆算を働かせ、数字を積み上げる方策に、つまり。結果の読める世界の勝負に、走る。そこには、結果の読めない未知の世界に挑戦しようとする道は閉ざされてしまう。本来の仕事の醍醐味は、仕事を通して世界を変えるところにあるはず。企業利益は、そういう目標に挑戦する意欲をかき立てるための報酬と考えられないか。それにもかかわらず世界を変える努力を放棄して、既知の世界で数字の積み上げに走っている限りは、日本企業が衰退の道を歩むのは自業自得といってもしょうがない。
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