池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(11)
ジル・ドゥルーズは、アメリカは兄弟、姉妹の関係からなる連合社会だと言っている。兄弟、姉妹とは、ヨーロッパが父子の関係からなる社会だということに対比しての表現で、ヨーロッパは垂直的な権威の階層が基本であり、つまり父と子の、導くもの/導かれるものの関係で占められた社会であるのに対して、アメリカは上下の関係ではなくて水平的な、兄弟姉妹のように互いに支え合い導き合う関係が埋め込まれた社会であることを指している。連合主義とは、同志からなる人々が状況に応じて可変的に組み合わさり、ことにあたることで、多様な人々が多様なまま結集できるとしている。連合主義も同志もホイットマンの言葉だ。ドゥルーズによれば、アメリカは多様性と可変性からなる集団で、裏返せば集団として固定されないところにその特徴がある。集団を作り替えていく力学を内部に抱えているということだが、それはカウンターカルチャーやソーシャル・ネットワークで見た世界に即している。実際、アメリカでは内部に新たな集団をつくる傾向を持っている。さらに、コミュニティ、コミューン、アソシエーション等の集団の区分はあまり意味がなく、程度問題に過ぎなくなっている。通常、コミュニティ(共同体)は地縁を前提に伝統的に形成された集団とされ、その地縁から解放され個人の自由な意思によって特定の区域に作られた相互扶助的な集団がコミューンとされる。しかし、アメリカの街は、基本的に移民の入植によって作られたもので、コミュニティといっても必然的にコミューンの性格を帯びる。また、アソシエーションとは、ある目的を叶えるための結社を意味することが多いが、開墾地ではコミューンはアソシエーションでもあった。このような事情から、これらの区分を厳密に行うことは生産的とは言えない。これらの区分は、むしろ欧州のものだ。実際、ヨーロッパの人間こそがアメリカにユートピア建設の夢を描いた。ユートピアは未だ存在しない集団をつくるために理想を重ねるという点で、文学的な想像力の世界と親和性が高い。一方、ユートピアは社会を構成する方法に変容が見られるからこそ構想されるわけだが、その構成方法の変容は、新たなテクノロジーの登場によって刺激されることが多い。その点で、ユートピアの多くは技術が開くと言っていい。そして、アメリカの場合はDIYの文化を通じて、一般の人々の行動にも働きかけることになる。ソーシャル・ネットワークが開く世界も、その意味でユートピア的想像力と関わると言っていい。
トクヴィルは19世紀前半にアメリカを訪れ『アメリカのデモクラシー』という著作にまとめた。トクヴィルが特に関心を示したのは、アメリカでは人々の平等が理念だけでなく実際に、社会の初期条件としてかなりの程度実現してしまっていることだった。そして、このような平等社会のことをデモクラシーと名付けた。これは一般的な民主的な政治体制のことではなくて、民主的な手続きが広くいきわたった結果実現されてしまった平等な社会のあり方を指す。加えて、そのデモクラシーとしての社会を支えるものとして、社会問題の解決のために自発的にアソシエーションを作る技術を評価した。また、平等という条件が個人の内面を襲うときの一種の心の防波堤として機能するものとして宗教を肯定的に位置付けた。
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