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2011年8月28日 (日)

三品和弘「どうする?日本企業」(7)

第6章 本当に集団経営ですか? こうしたい!日本企業

最近の世界の動きというのは、富や技術や思想が拡散していく大きな流れが生じている。1989年のベルリンの壁の崩壊はその象徴といえる。このような変化の中で、アメリカは世界経済の根幹をなす資源(石油、トウモロコシ、大豆、知財)を押さえ、さらに世界最大の市場を提供していることから、そこに群がってくる世界各地のメーカーから流通段階で利益を吸い上げる構えを築いている。それでもメーカー側に残る利益は株主資本の提供者側に回って配当という形で吸い上げる。例えば日本企業の外国視線株主の比率はかつてに比べて大幅に高まった。日本企業に対して貿易摩擦のような正面切った戦いを止めて、株主重視の経営をさせることでリターンを稼ぐことにした、つまり、とことん働かせて貢がせ方向に転じた。

これに対して、日本は第二次産業で生きているので後続の国々がシェア争いに参加してくると防戦一方に追い込まれる図式に陥っている。

企業経営の面でも、例えばGEのジャック・ウェルチの戦略は、表向きは「選択と集中」で知られているが、実際にウェルとが残した事業と切り離した事業を分析してみると、彼が取捨選択の基準としては、日本勢を敵に回さないというポリシーで貫かれているのが分る。アメリカの量販店に並ぶ日本製のテレビを見て、ウェルチは時代の非可逆的な変化を冷静に嗅ぎ取った。日本製のテレビがアメリカの量販店に並ぶということは、その背後に海運や陸運の物流革命があり、アメリカ国内の流通革命がある。ということは、仮に日本を叩いても、次に韓国や中国が出てくるので、キリがない。ウェルチはそう達観した。

他方、主戦論に傾いた日本は苦境に立たされている。苦戦の原因については日本の特殊性が指摘されている。例えば、狭小住宅の屋根にソーラーパネルを乗せようとする日本は、単位面積当たりの発電効率を重視するが、砂漠を発電所に変えたいほかの国はキロワットあたりの発電単価を重視する。日本の技術は世界一というが、それは日本のモノサシで測った場合のことで、異なるモノサシの国では世界一でも何でもない。この特殊性を認識していない故に、世界で苦戦を続けている。しかし、本当にモノサシの問題なら取り換えれば済むことだ。それよりも拡散現象への対応を誤ったことにある。例えば、日本のメーカーが川上部門でイノベーションに遭遇した結果、カネさえ出せば韓国、台湾、中国勢にも、優れた機械・装置や部品・材料を買える時代になってしまったということだ。そこで正面からぶつかれば、価格競争となり人件費が相対的に高い日本は不利だ。新興国プレイヤーの成長から利するために、機械装置や部品、材料の供給に徹するという戦略もあったが、今や手遅れで、彼らが出てきたときに主戦論により正面から戦う道を選んだため、かれらも後に退けなくなり現在の状況を招く結果となった。

日本企業の得意戦法は、実行部隊を意思決定に関与させ、計画の推進力で勝負するというものだ。ブルーカラーのホワイトカラー化、遅い昇進、定期異動、全社的品質管理、改善活動、方針管理、事業計画といった日本企業に顕著な特徴は、実行部隊の技能形成を促して、現場で判断させるための工夫と解釈できる。この戦法は、異常対応能力の向上を通してコンフォーマンス・クオリティに結実した。ただし、この戦法が機能するためには、推進力を発揮する場を大局的見地に立って定める指揮官の存在がなくては生きてこない。しかし、今の日本企業から指揮官が消えうせる事態が発生している。それは、大物経営者の引退により集団経営に移行していったことに重なる。経営者に関しては、創業経営者(起業を得意とし、自らの手で巨大企業を創り上げた経営者)と操業経営者(組織の管理を得意とし、社内で昇進を重ね、巨大企業の経営を継承した経営者)に区分できるが、操業経営者では指揮官になれない。現在、韓国や台湾や中国の創業経営者が日本の操業経営者を駆逐するという構図が出現してきた。そしてまた、かつて日本に追い詰められたアメリカからも新たな創業経営者を輩出させてきた。

では、どうすればいいのか。著者は、もはや量産品には見込みが薄いという。現時点では、未だ日本企業に相対的な優位がある。しかし、いつまで持続するか分らない。中国やインドが大規模な国内市場に向けて量産に乗り出せば、工程からのフィードバックが頻繁にかかり、学習効果を活かす投資機会も多い、そのプロセスから、コンフォーマンス・クオリティの向上や、原価の低減も生まれる。また、量産のコストは装置レベルの規模によるが日本の企業は一般的に生産施設が分散化し規模を活かせない体制になっている。大規模集中的な設備投資により韓国勢に押されていった日本の半導体産業などは、まさにあてはまる。こう考えると、規模の経済がモノを言うビジネスは避けて通るに限る。

そこで著者が狙うのは、さらなる拡散傾向の先取り路線だ。拡散傾向が進むにつれて、従来の垂直セグメンテーションは効力を失いつつある。拡散の進行は、所得階層や性別や国籍の境界から意味を奪い去り、「ユニ」市場を生みでしている。

著者が望みを託す活路は「リ・インベンション」であるという。簡単に言うと、歴史に残る発明を取り上げて、一からやり直そうというものだ。技術的なイノベーションは、最初の着想も大切ながら、それに続く実作業の割合が高いため、どうしても組織戦や持久戦の様相をまとう。それゆえ、ハングリー精神に満ち溢れた人々の集う国が有利になる傾向が強く出る。これまではアメリカ発の着想が日本で利用サン化された事例は枚挙にいとまがないが、今後は、日本発の着想が韓国や中国で量産化される時代に入ることは覚悟すべきだ。その点で、リ・インベンションは、最初の着想が圧倒的に重要で、それに続くステージにおいても実作業の比重がさほど大きくない。リ・インベンションが社会に受容されるまでの道筋をつける仕事は技術力以上に構想力を要求する。また、技術力は組織に宿るが、構想力は秀でた個人に宿る。日本に勝ち目があるのはその点だ。その点では若い世代に期待できる。例えば、スマートフォンの事例は、従来の携帯電話の発展形として様々な機能を付加していったフィーチャーフォンがインサイダーの通信業者がつくったものだ。これに対してスマートフォンは、フィーチャーフォントの境目は必ずしも明瞭ではないものの、アップルという電話とは無関係の特定の企業が前面に出た点で様相が異なる。そして、この製品はPCとの連携を前提にし、ポケットに入るところまで小型化したうえで通信機能を付加したPCという位置づけで、ユーザーと事業者との力関係を根底から変えてしまった。フィーチャーフォンは提示されたメニューの中からユーザーが受動的にサービスを受けるというものだったのに対して、スマートフォンはPCと接続することでスマートフォンに持たせる機能をユーザーが選択できるようになっている点が大きく違う。このようなユーザー主導のオープンプラットフォームとなれば、通信業者は既得権を失い、フィーチャーフォンのメーカーかせ通信業者の下僕の身分であったのに比べて、アップルは通信業者から独立できる。

いまや世の中はレベルの高いモノで埋め尽くされている。多様なモデルが市場にひしめき、どの製品も性能は均質化してきている。そこで価格競争が激化するのは当然と言える。すでにあるものに満足している顧客を驚かす。そういう高い次元に躍り出た企業だけが圧倒的な支持を集める時代になってきている。その中では、常識を身につけた人ではなく、常識を創りにいく人が経営に当たらない限り、企業は凡庸に埋没し、価格競争を耐え忍ぶために粛々と身を削る日々を余儀なくされる。しかも、クリエイティブは専門家に任せて、経営者は利益管理に専念するという安易な図式は通用しない。これからの時代を支配するのはカネではなくアイディアだからだ。

最後の著者の考える処方箋は学者さんらしく、具体性に欠けますが、言いたいことは分かります。そして、前半の現状に到った事情の分析の切り口はとても説得力があり、今後に向けてどうしようかと考えるための示唆に富んでいると言えます。その意味で実践的で、実務家の向けの分析といえると思います。コンサルタントと呼ばれる人たちも実務の専門家として、このくらいの視点と分析はしてほしいと思いました。この程度のベースがあって、はじめて経営者に対して助言を加えられるのではないかと思います。

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