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2011年8月 7日 (日)

池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(15)

デザインを取り巻く環境も変わってきて、「意識的な問題解決」を意味することになる。意匠=表層のコントロールであったはずのデザインが、逆に使途を誘導するものとなり、デザインの概念が更新される。20世紀に流布したデザイン発想の出発点は、バウハウスによる「形状は機能に従う」というものだった。機能を体現するようなデザインが優れたデザインだという発想だ。それが、材料工学の進歩と、機械的な制御も半導体チップのように極小化されるに従い、形状は機能から解放され、自由なものとなり、さらにバウハウスの頃とは主客が逆転し、デザインそのものが使用価値を決定する事態も現れた。現在は、それがさらに進み、むしろデザインがより広く問題解決の樽の方法論として捉えられるようになったことだ。そこでは、事実上、デザインは設計と同義だ、その反面、単なる意匠としてのデザインは後退する。少なくとも世界商品を前提として時代では、設計=問題解決としてのデザインが前景化する。

実際に、こうした製造工程の変化は「ファストX」と呼ばれる、世界中に広がる流通販売では既に起こっている。一般にファブレスと呼ばれる、製造を外部に委託する企業の場合、その存在意義は商品の企画力と販売力に集中する。そのためファスト企業群では、従来は市場調査と言われたものが、企業の将来を左右する研究開発の地位を占める。顧客の意向をいかにして汲み取り、顧客の嗜好をいかに現実的な範囲で水路付けるかが研究課題となる。実現可能な(製造や販売)技術を活用しながら、いかに顧客を魅了するかということだ。このように世界商品を生み出す過程もデザイン=設計の視点からの変容をすでに開始している。

ウェブはワールドワイドウェブであるため、ウェブ企業は必然的に起業と同時に世界的な広がりをもつ。ウェブビジネスの多くは、利用されることで初めて価値が生まれるビジネスだ。とりわけ、アプリケーションの提供に特化したWeb2.0以降ではその傾向が顕著だ。YouTubeではユーザーの投稿がなければただの空っぽのビデオの棚でしかない。企業の多くはユーザーのボランタリーな活動によって現実化されている。このようにユーザーの関与があればこそ、ウェブサービスは場として実体性を帯びることができる。ここから、ユーザーの賛同や共感をいかに得るかが今日のウェブ企業には不可欠の戦略になることが分る。ポピュラリティの確保が経営戦略上の最優先事項になる。

一方、グーグルによる本のデジタル化プロジェクトの動きの中から、インターネットの世界で中楽当たり前になっていた「インターネットはメタネットワークだから世界中で普遍で一つ」という観念が通用しなくなったことが明らかになった。これはインターネットで起こったことは世界中で起こるという自明性が崩れることでもある。ウェブでよく使われる言葉として、オプトイン、オプトアウトという対の言葉がある。オプトインとはユーザーが利用するという参加意識を示さない限り利用できないもの、オプトアウトはユーザーが利用しないという意思を示さない限り利用できてしまうものだ。ウェブのサービスではシステムについてデフォルトの設定を行う必要があり、主にはユーザーのプライバシーの扱いなどを提供者側で勝手に設定できなくなったため、オプトイン、オプトアウトという形でユーザーの形でユーザーの意思を先ず聞くという手続きを取るようになった。一つのインターネットの自明性が崩れてきたということは、今後は、様々な場面で、ユーザーの側の意思表示が求められる場面が増えていくことを意味する。

2000年代に入って、アメリカと日本の経営方向性に乖離が生じた。ITバブルが弾けて経済が低迷したアメリカでは、「起業」から「グローバル・ビジネス」へと、ただ今あるビジネスを回すだけではなく、国外にいかにビジネス機会を見出すかが主要な課題となった。一方、日本では「失われた10年」の言葉に象徴されるように国内に目を向けるようになり、これが後日ガラパゴス化に向かう。国内市場での経済やビジネスを考える場合には、社会や政治、文化が主題になることは殆どない。しかし、複数の国にわたる行動の場合には、そうしたことが表に出てこざるを得ない。インターネットの登場によって、より規模の小さな企業でもこうした国際展開に関わるようになる。むしろ、中小企業に特徴的な部品=中間財を提供している企業の方が国外企業とのやりとりを進めることになる。消費財と違って、中間財は端的に言って圧倒的な質やコストパフォーマンスで判断されることが多いからだ。そこでは様々な意味で技術水準そのものが試されてしまう。

90年代以降、企業財務ではDCF法による企業価値算定が常識になった。将来にわたり企業に流れ込むキャッシュを予測し、それを一定の割引率で現在価値に変換し、その総和が理論上の企業価値と見なされる。こうした企業評価の考え方は、二つの点で、企業行動を短期的なことに集中させるようになった。一つは営業戦略としてPDCAというサイクルを確認する発想が中心になり、四半期単位の業績を確認し修正することが目標となった。これにより、企業を収益に関するフィードバックシステムと見る視点が定着した。もう一つは、仮に長期のことを考えようにも、DCF法の仕組みでは5~10年ぐらい先のことしか視野に入ってきにくくなったことだ。10年以上先の収益は現在価値に割り引いたところで企業価値への貢献は微々たるものになってしまうからだ。こうしたことから。10年以上先のことは考えても現実的には意味のないことなり、勢い予想の精度があがる5年くらいが標準的視野となる。5年先が現実的な未来となってしまう。一方、シリコンバレーでは、ツートップの経営が選択され、実務家の経営者は5年先を照準し、その一方でビジョンを担当する経営者はその先を構想する。その際に、ジェネレーションという言葉がよく使われるようになった。概ね30年の幅で考えようというものだ。

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