池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(10)
第6章 アメリカのプログラム
この章では、概ね19世紀のアメリカで起こったことを取り上げる。その頃のアメリカは独立した後、北米で西方に領土を拡大していた新興国だった。同時に、独立を契機にしてヨーロッパとは異なるアメリカ独自の文化が模索されていた時代で、今日のアメリカを形成するための事件が立て続けに起こった時代だ。このようなアメリカの特徴の一つとして、確実に建国の起源に戻れることがあげられる。他国ならば民族や国の発祥の神話があるものだが、アメリカの場合は史実として記録されている。そのためか、その記録をあえて記憶に転じさせ神話化しようとする動きが随所に確認できる。その最たるものが大統領選挙の度に、建国の父祖たちにかかわる歴史書が多数出版され、新たな史実や解釈が提出されることだ。このような、歴史解釈の想像力、あるいは、別解釈を生み出そうとする点で物語的想像力といってもいい想像力はアメリカでは何度も反復される。そして、その物語や想像力がまた新たな歴史を創り出していくことになる。さらに、過去への想像力は容易に反転して未来への想像力に繋がっていく。このようなアメリカの想像力の源泉をアメリカのプログラムと呼び、考えてみる。
今日のアメリカ大衆文化の源泉として19世紀半ばの「アメリカン・ルネサンス」の作家たちを取り上げてみる。エマソン、ソロー、ホイットマン、メイヴィル、ポー等の作家たちだ。特にラルフ・W・エマソンは中心的人物でトランセンデンタリズムと呼ばれる思潮の考案者でありけん引役であった。このトランセンデンタリズムやアメリカン・ルネサンスはアメリカ独立後に初めて大々的に記録された文化思潮であり、エマソン等の市井の人々による言葉で綴られることにより、民衆の思想とでもいうべきものが創り出されたことだ。こうしてエマソン等はアメリカ人という自意識を生み出すことに貢献した。彼らの作品は、多分に当時の主流の文化や風潮に対して異を唱えるものだった。いわば19世紀のカウンターカルチャーであった。その異を唱えられた主流なるものが、欧州伝来の文化的伝統であったため、結果的にアメリカにオリジナルなものとして広く理解されることに繋がり、アメリカの人々の心の糧となっていった。彼らの残したものは、その後のアメリカ史の中で、折に触れ参照され、その時々の運動や表現の成就の上で精神的支柱として取り上げられ、国民的な文化的源流となっていった。
そしてカウンターカルチャーの運動にも繋がっている。具体的には次の諸点を指摘できる。第一に、自然との神秘的一体感の強調をしていることだ。これは19世紀の西部へのフロンティア拡大の動きとも呼応したものだが、アメリカには手つかずの大自然が多かった。従って、自然といかに対峙するかは、実際に開拓の現場にいるアメリカ人が抱える現実的課題でもあった。そこからDIYの姿勢が生まれ、西部的なリバタリアン=個人志向の心性を生み出した。これに対して、カウンターカルチャー運動ではコミューン活動が「バック・トゥ・ザ・ランド」運動と呼ばれたことに典型的に現われているが、文明の象徴である都市に対立するものとして「自然」が取り上げられた。そこから、自然との神秘的一体感の追求は、反文明、反文化の運動の精神的支柱となった。第二に、ソローに典型的に見られる市民的不服従の姿勢だ。アメリカのデモクラシーの理想に回帰し、承服できない社会状況に対してはそれを態度で示すことをよしとする。賛同者数が一定の閾値を超えれば単なる不平ではなく社会的運動に転じる。アメリカで様々な社会運動が継続し、時に新たな運動が起きるのは、こうした伝統があればこそだ。第三に自然の賛美がある。これは第一と第二の点とも関わる。しかし、さらにエマソンは自然との一体感の果てに来る透明な眼球という自己イメージと、その一体化した自然の中で感得する大霊という表現をしている。このような意識の拡大、世界の認識の仕方を表す言葉がアメリカオリジナルな言葉として、カウンターカルチャーの一つの重要なゴールとなる。意識の拡大のために自然への撤退が重視されたのもエマソン以来の伝統があったからだ。そして、自然を経ないで意識の拡大を目指すものとしてLSDが開発され、ブランドはネットワークされたコンピュータのSpacewarに見たのだった。第四に、東洋思想の影響である。この東洋文化の要素は、西洋文化の継承者であるアメリカの主流文化に対抗する拠点として何度も参照されることになる。さらにアメリカ先住民の文化と東洋文化との近接性も指摘される。第五に、独立歩行、自己信頼と訳されるSelf-Relianceだ。これら五点はいずれもがカウンターカルチャー運動と関係している。カウンターカルチャーの動きが全米的な運動にまで転じたのはアメリカ・ルネサンスに代表されるアメリカ独自の思潮の素地があったからだと言える。
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