宮川敬之「和辻哲郎─人格から間柄へ」(1)
Ⅰ.あらかじめ喪われたこどもに
著者は、和辻の第2子を大正8年に喪ったことを、ひとつの糸口にする。このことを和辻自身は「或子供の死」に書いているが、子供の最期の様子を感情を交えず、その事象のみを淡々と語っている。とりわけ、子供の死の周辺を描くことには優れているが、子供が死んでいく姿自体は描くことができない。人が死ぬとは、ひとつの「もの」となってしまうことを指す。まさに和辻は人が「もの」となってしまう部分を描けない。和辻は「もの」となる子供の死のありようを描かず、むしろそれを様々の予兆へとつなげてしまったが、それは「もの」の忌避であり、敢えて言えば「もの」性を排除した、事象の叙述、つまり「こと」によっての死の叙述であった。
ここで著者は、大正11年の「日本精神史研究」の中の「仏像の相好についての一考察」に注目する。和辻は、白鳳・天平期の仏像に強く見える特徴、すなわち「眉と目の異様な長さ、頬の空虚な豊かさ、二重顋、頸のくくれ、胴体の不自然な釣り合い」という仏像の特徴が、嬰児の人体の美しさを捉えたものであることを発見する。ここでの嬰児とは喪った第2子のことではないが、同じ論考の中で次のように述べる。「ところで我々は、仏像や菩薩像において嬰児の再現を見るのではない。作家が捕えたのは、嬰児そのものの美しさではなくして、嬰児に現われた人体の美しさである。」著者は、和辻が、この「嬰児そのものの美しさ」と「嬰児に現われた人体の美しさ」を引き離し、それぞれを別々の何かとして扱うと指摘する。それは、いわば、表現された「もの」としての嬰児(嬰児そのもの)と表現された「こと」としての嬰児(嬰児に現われた人体)とを引きはがすことで、現実には不可分であるはずの「もの」と「こと」とを和辻は区別し、引きはがしてしまう。このことについて著者は、「こと」と「もの」との区分は、単純に考えると、物理的現実についての、その表面性=意味性と、実在性との弁別に沿った現実的な区分であるように見えるが、実はそうではないという。「もの」と「こと」とを区別すること自体が、表面=意味と実在というような次元の異なった対立なのではなく、最初から、ことばの問題、あるいは表現の問題の範疇にあると認識していた点で収容なのだ。「もの」と「こと」とを分裂させ引きはがすそのことが、ことば、表現の問題領域のことがらなのだ。
では、和辻は表現についてどのように考えていたか。青年期の和辻は「偶像再興」において、表現とは生きることそのもの、活動するそのものであるとされていた。この生きることそのものである表現において、われわれは自己の内生を表現しなければならない、そのことが人格価値を高めるのであると、青年和辻は単純に宣言していた。この表現についての考え方は、「仏像の相好についての一考察」になると、ことがらだけを表現するような表現を考え、表現される「もの」、たとえば内生などという「もの」を表現するということがらを無視し抑圧していくのだ。「表現」において「もの」は抑圧され、忌避されて、「こと」だけが独立しようとしはじめるのである。この論考の中で、「もの」と「こと」の引きはがしという表現形態が、ギリシャ美術との対抗関係において見出されている。嬰児において発見された仏像独特の美しさとは、ギリシャの流れを汲んだ西洋美術の写実的な美しさに親しんだ者には、多くの不自然と空虚の感じを与えるものでしかなかった。だが、そうした不自然と空虚に却って美しさを見出そうという視点、つまりギリシャ美術とは別様の表現を見ようとする視点こそが、「もの」と「こと」とのひきはがしということがらを見出させることになる。つまり、表現の変容とは、ギリシャ美術の様式から、それとは別様な様式への重点の移動としてあり、それを明確な差異として結晶化された核が第2子の喪失であったのだ。
それならば、「もの」と「こと」の引きはがしを見出させる原因となったギリシャ美術との対抗とは、そもそもどんなものものであったのか。和辻し大正14年の「推古天平美術の様式」のなかで、ギリシャの神像を人体を紙の姿に高める過程、天平の仏菩薩像を神を人の姿に表現する過程と対照させて呼んだ。つまり、ギリシャ神像の作者は、現実的な女体において彼が直視した理想の姿から取捨選択をして神像を造り出す。どれだけ取捨選択しようと、そのもとになるのは一つの現実の姿である。その一つ現実の姿を取捨するときに、取捨選択の基準そのものとしてイデアが自覚されるという。これらのことがらを和辻は、人体を神の姿に高めると呼んだ。れは、表現された「こと」と表現された「もの」という点でみるならば、ギリシャ神像における表現された「こと」は、どれだけ取捨され、どれだけ神々しくあろうとも、、その表現された「もの」と乖離しないということである。だが、一方の推古天平期の仏菩薩像は、具体的な一つの現実の姿からではなく多くの現実的の姿から択び出され構成された嬰児の肉体によって作り出された。仏菩薩像を構成する嬰児の肉体という表現は、表現されたものとしての嬰児そのものとは連結しない。つまり表現された「こと」である嬰児の肉体は仏菩薩像をかたちづくるが、それは表現された「もの」である嬰児そのものとは乖離しているというのである。このことを和辻は神を人の姿に表現すると呼んだ。
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