無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 宮川敬之「和辻哲郎─人格から間柄へ」(1) | トップページ | 宮川敬之「和辻哲郎─人格から間柄へ」(3) »

2011年8月17日 (水)

宮川敬之「和辻哲郎─人格から間柄へ」(2)

ギリシャ神像と古仏像との間に差異を見出すことをもとにして、和辻はさらにこれを東洋美術の特徴として捉え直していた。大正12年ごろの「日本美術史ノート」では。ヴェルフリンの『美術史の基礎概念』を取り上げ、そこで示された五対の美術概念について詳細に検討がなされている。ヴェルフリンは、視覚作用それ自身に歴史的変遷があり得ると考え、視覚の諸層を明らかにすることが美術史の基本的な課題であるとする。ヴェルフリンによればこの視覚の諸層は五つの対をなしている。それは、線的/絵画的、平面/奥行、完結形式/解放形式、多様性/統一、明白/不明白、という対であり、これらの前者から後者へと変遷することにヴェルフリンはルネサンスからバロックへの様式的変遷を見る。和辻はこの美術概念の対を逐一検討し、それらが東洋美術には適用できないことを示そうとしていた。東洋美術における描線は、ヴェルフリンの言うような線的か絵画的かを区別できるものではく、線的でありながら同時に絵画的であるようなことがらとしてあった。このような描線を、和辻は「リズムを現わす線と物の明確な形を現わす画き方とが結合し、いずれにもなり切らず中間に於いて新しき意味の線となっている」と解説する。この描線のありようは東洋美術の特性に結び付けられる。それは、「形自身に於ける美よりも、形を通じて現わされる意味を重んずる」ということだった。東洋美術とは、形自身ではなく形によって示される「意味」、形そのものではなくそれが織りなす「リズム」の主張である。このような東洋美術は西洋的な美術様式とは別の「様式」であるとされた。注しておきたいのは、この別の「様式」は、通常の意味の、あるいは絵画的様式などと同格に並べられるような様式のひとつではなかったということである。東洋美術の「様式」は、絵画的様式というような様式の区別そのものを横断し解体するものとして、ヴェルフリンが考える様式の外部にあるような事柄であった。それはヴェルフリンの様式の区分そのものとその根幹的な前提とを問う「様式」であった。

これはつまり、視覚作用が歴史的に発展するということがらのさらなる根底である。視覚作用自身が歴史的に発展することなどはあり得ない。歴史的発展をするという自体が人の営為に属するからである。つまり、視覚作用の歴史的発展とは、単独であり得るのではなく、その背後の人格的生の歴史的発展に寄り添うものでしかない。だから、より根底的な問題とすべきなのは、むしろ人格的生がどのように視覚作用へと結合するのかということなのだ。ヴェルフリンに即して言えば、なぜヴェルフリンは視覚作用そのものがあたかも歴史的に発展できるものであるかのように、人格的生と視覚作用とをぴったり貼り合せられているのかが問題とされなければならない。ヴェルフリンが視覚作用にのみ着目するのは、もともとギリシャ的な視覚作用のありようを無意識に前提にしていたからである。ギリシャ的であるとは、視覚作用が人格作用とぴったりと重ねられ結合することをいう。そうした根底的な、視覚作用と人格作用との結合のしかたこそが、対象物のかたちをその内容と乖離させずに見る視線を保証し、自然に忠実に描写することを欲するような美術家を、あるいは、視覚作用そのものが独立的に展開できるような思惟を支えると和辻は考える。これに対して東洋美術は、自然な忠実な描写は必ずしも欲せられない「様式」として、ヴェルフリンのいう様式の外部に立つ。それは、対象物のかたちと描かれる内容とが乖離しても頓着せずに、描かれる重点を対象物そのものにではなく、なんらかのリズムや意味に置く「様式」であるという。こうした東洋美術の特徴が、「もの」と「こと」の引きはがしであるということは容易に確認できる。つまり、東洋美術の特徴とは、対象物その「もの」が描かれるのではなく、リズムや意味といった、「もの」性を剥がされた純粋な「こと」こそが重点的に描かれることなのである。

しかし、ギリシャ美術は人格的作用が直ちに視覚作用になり切ろうとする、形象を感情によって精神化するといわれる。一方、東洋美術は、人格作用は視覚作用になり切ろうとはせずに、視覚作用を単なる通路としてまっしぐらに現われようとする、感覚が形象によって感覚化されると言われる。だが、すぐ分ることだが、こうした概念による差異の把捉は成功していない。両者の概念がどのように違うのか十分為し得ていないのである。

« 宮川敬之「和辻哲郎─人格から間柄へ」(1) | トップページ | 宮川敬之「和辻哲郎─人格から間柄へ」(3) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 宮川敬之「和辻哲郎─人格から間柄へ」(2):

« 宮川敬之「和辻哲郎─人格から間柄へ」(1) | トップページ | 宮川敬之「和辻哲郎─人格から間柄へ」(3) »