三品和弘「どうする?日本企業」(5)
第4章 本当に滲み出しですか? 鉄が踏んだ多角化の轍
主力事業が変調の兆しを見せると、企業は総じて多角化を志向する。「多角化」する先を地縁で選ぶのが日本企業の特徴といえる。ここでいう「地縁」とは、企業が手掛ける多角化事業が既存の事業領域と近いことを指している。日本企業は、とかく滲み出すように地続きで事業領域を拡大していくパターンを好むが、それは「裸一貫では戦えない。多角化先で有利に戦いを進めるようと思えば、多角化元の技術力や販売力を活かすに限る」と考えるからだろう。技術力や販売力は使ってすり減るものではないから、複数の事業で多重利用する発想は理に適っている。そう考えると。総合電機、総合化学などの総合がつく企業が溢れかえる事情も理解できる。
これに対して、アメリカの企業は専業に徹し、隣接領域に事業を拡大しようと思えばできるのに、据え膳には手を付けない。自分たちのアイデンティティが不鮮明になるのをよしとしない。その代わり、独立した事業を買い集め、事業ポートフォリオを組む企業がアメリカでは幅を利かせている。こう考えると、滲み出し型が日本企業、狙い打ち型がアメリカ企業のイメージとなる。
マイケル・ポーターは一貫して狙い打ち支持派で、多角化を試みる際は、多角化先事業の利益ポテンシャルを見て是非を判断すべきで、「どこから」など関係ない、「どこへ」多角化するかが肝心だという。競争優位は地縁に頼って得るものではなく、他社に先駆けて有望な事業を見出すところから生まれるという。さらに、これに従わない日本企業を見て、ヒトの限界を指摘する。地縁に固執するのは、自分が知らない事業に尻込みする経営者の偏好であるとして、未知の世界に挑む心労から自分を守ろうとする私心が働いていると指摘する。たしかに、社内の人間だけで多角化に挑もうとするから隣接以外の領域が恐ろしく見える側面もある。閉じた会社組織内で積む経験を重んじてきた日本企業の限界が、こういう時に現われるとも言える。
ここで、ケースとして鉄鋼業の事例を取り扱っています。具体的なケースで興味深く、とても参考になる分析を行っていますが、興味のある方は、実際に本書を手に取ることを、お勧めします。
日本の鉄鋼は1980年代に世界一の座に登り詰めた。しかし、出荷量は1973年のピーク以降増えていない。そこまで伸びていった高度成長という時期が定常状態とは違う異常な時期といえる。瓦礫の山と化した国土を再建するプロセスで高度成長は実現したが、いったん再建が完了してしまえば、あとは消費分・摩耗分を補うだけの仕事しかない。その転換点が1973年ごろではなかったか。この点は、鉄鋼メーカーの幹部も心得ていた。1970年の八幡製鉄と富士製鉄が合併して新日本製鉄となったのは、需要の伸びの鈍化に対処する、高炉の整理再編のためだった。
しかし、これ以降も高炉は逆に増えていった。この時期、設備の世代交代の時期にあり、業界全体に「囚人のジレンマ」が働いてしまった。つまり、成熟化時代を乗り切るにはコスト競争力のある高炉を持つに限る。だから需要の減退に直面しても設備投資の手を緩めるわけにはいかない、という論理が企業レベルで働いて、業界全体で供給過剰を助長してしまった。その結果は悲惨で、1970年代に停止した高炉23基のうち、12基は20年も使っていない現役の高炉、うち5基にいたっては1960年代後半に立ちあがったばかりの新鋭炉だった。現在の国内の高炉は23期でその状態は1990年から続いている。ということは1970年から20年間は生産能力の調整に費やされたことになる。いつまでも高度成長は続かないと認識していても、新世代の製鉄所建設計画に固執した結果、鉄鋼メーカーはあたかも成長が続くことを前提としたかのごとく、高炉建設に邁進してしまった。その結果、稼働している高炉のスクラップを余儀なくされる事態に陥った。その結果、鉄鋼メーカーは後始末に追われ成長戦略のツケとして多額のリストラ費用を計上することになった。
さらに、日本企業は、良好な労使関係を維持する代価として人件費を固定費化した。これは余剰人員が出る局面で大きな支出を強要する。リストラ費用は巨額になるが、高炉は損金処理をした上で解体すれば終わりだ。しかし、終身雇用という形で雇用を保障した手前、社員を何が何でも守らなければならなくなる。
そして、鉄鋼会社は雇用を守るために事業を営む、そこために新規事業を手掛けることを余儀なくされた。しかし、悉く失敗してしまうという惨憺たる結果となった。
そこで取られていた戦略は、次のようなものだったのではないか。まず、何はともあれ鉄鋼事業の国際競争力を円高基調の下で回復させたい。これを優先課題と位置付けると、やるべきことは二つ。一つは、高張力鋼やシームレスパイプなど、他国にない技術を伸ばすこと。もう一つは、最先端製品だけで製鉄所は持たないで、設備の近代化と人件費の削減を図り、コスト競争力を上げること。そうなると、資金は鉄鋼事業に集中投下したいが、余剰人員を鉄鋼事業から外すための策も欠かせない。投資金額が少なくて済む多角化事業を起こして、そこに社員が退職するまで収容しようと考えた。
しかし、そこで誤算が生じる。本業で技術が救世主とならなかったのだ。高付加価値鋼板の行方が怪しいことが判明したことで、多角化事業の目的に迷いが生じ、利益面で本体の足を引っ張りながら生き残ってしまう結果となっている。経営陣は、自社技術を過信して判断を間違えてしまった。自社技術への強い思い込みが誤りを招いたと著者は指摘している。
ではどうすればよかったのか。鉄鋼業界で多角化による複合経営を成功されたのは神戸製鋼だが、これは鉄鋼事業全盛期に打ち出された路線で一朝一夕の善後策ではなかった。それ以外の鉄鋼メーカーは全盛期に鉄鋼事業に私有中投資をかけることにより、規模や効率において神戸製鋼を寄せ付けない地位を築いた。ここに善後策を論じる余地はない。だから、専業で行くと決めた以上は、鉄の浮沈と運命を共にする以外に道はない。それを前提とするなら、そもそも余剰人員を抱えないように細心の注意を払って採用を進めるべきだった。実際になされた善後策で最も有効だったのは出向だった。これは製鉄所内の遊休地に他社の工場を誘致し、そこに社員を送り込むという施策だ。社員の席は残したまま、先方の支払う給与が足りない分は補填するというものだった。この補てん分は持ち出しになったが、代わりに巨額の投資を要しなかった。
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