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2011年8月 1日 (月)

池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(9)

第5章 facebookとソーシャル・ネットワーク

Facebookはもともと創立者であるマーク・ザッカーバーグが在籍したハーバード大学のオンライン学生名簿としてスタートした。しかも登録にはハーバードの在籍者であることを確認するために、ハーバードのメールアドレス保有者に限られた、という排他的でスノッブなサービスとしてスタートしている。

この排他性は、実はソーシャル・ネットワークという言葉のある側面をよく表している。言葉の意味からしてソーシャル・ネットワークとは端的に社交関係のことだ。社交デビューすることで社会化が完成するというアメリカ社会の慣習と深く関わっている。だから、ソーシャル・ネットワークのソーシャルとは「社交」と考えるべきだ。その後、facebookは積極的に登録者数を増やす方向に舵を切った。ザッカーバーグがfacebookで試みようとしているのは、オープンとトランスペアレンシー(透明性)が人々の大切な価値として尊ばれる世界だ。グーグルのようにウェブ上のすべてのデータを機械的に、つまり人間の判断を一切かませずデータ処理をしていくようにことには興味を示さず、あくまでもそのネットワークのノードにあるのは感情と理性を持った人間であることに拘る。そのため、彼は、折に触れfacebookのユーザーに対して理性的にオープンであること、トランスペアレント(透明)であることの意義を主張している。一種の普遍主義、コスモポリタンな志向がザッカーバーグにはある。

このようなザッカーバーグの開発思想、その根底にある構想力や思潮は、カウンターカルチ『アエネーイス』はローマ建国の神話であり、パックス・ロマーナを支える、多民族融和の原理を示した物語だ。これにより今日に至る「ヨーロッパ」という概念が生まれたといわれる。つまり、多数の人々や文化が共存共栄する方向性が示され、それがヨーロッパの精神を育んだのだという。アエネーアスはトロイ戦争でギリシャから敗走し、父と息子とともに地中海世界を東から西へと渡り、最終的に約束の地として啓示を受けたイタリア半島のローマにたどり着く。先住民であるイタリア人との抗争を経て、二つの民族を統合し「ローマ人」という民族を新たに創設する。それが後のローマ帝国の礎になった。新たな融合民族としてのローマ人は、平等の法の下に、二つの異なる民族から創造された。この融合の契機は多民族融和の原理として解釈される。逆に、この多民族融和の原理を遵守することで、戦争ではなく平和を志向することを内面化した人々こそローマ人であり、そのような人々の集合体が新たに建国されたローマであった。このローマは「永遠のローマ」といわれ、時間的に無限に存在し空間的にも果てを知らない人類の共同体と想定される。ローマの永遠性は、ローマの外部からやってきたトロイアの英雄であるアエネーアスがその基礎を築いた時から神々の意志で保証され、運命になったとされる。「永遠のローマ」という見方は、古代ギリシャにあった循環的な歴史観(万物は巡る)に代わり、単線的な成長という進歩的な歴史観を生み出した。「永遠のローマ」が理想型とされることで人類普遍の共同体の完成がローマ人の歴史観とされた。これにより、ある不動の価値の実現に突き動かされて常に外部へ拡大・膨張・増殖を繰り返すような運動が肯定された。

この永遠のローマのイメージを、どうやらザッカーバーグはfacebookの成長に重ねているようだ。というのも、facebookはもともと排他的な社交サイトとしてスタートしたものが、途中から一般ユーザー獲得を目指す拡大路線へと変更された。その過程で、排他的なイメージから開放的なイメージへと組織のあり方や考え方を変えなければならない時があったはずだからだ。その転換点で参照されたものの一つが、例えば拡大を肯定的にとらえる『アエネーイス』だったのではあるまいか。

『アエネーイス』に加えて、ザッカーバーグはマクルーハンのグローバル・ビレッジにも関心を寄せている。グローバル・ビレッジとは、電子メディアによって世界中の人々が結び付けられ、そこで部族的な紐帯関係としてのコミョニティが築かれるとする考え方だ。マクルーハンはカソリックであり、カソリック的世界観の影響下でグローバル・ビレッジを構想したとされる。つまり、キリスト教はローマが国教に定めることによって普及を進め、またその過程でギリシャ文化と共にヨーロッパを支える精神的支柱となった。カソリックは中世においては世俗的な領土的境界を越えて、ヨーロッパに広く浸透した。むしろ、カソリックの精神があればこそ、ローマから遠く離れた中央ヨーロッパに位置する神聖ローマ帝国がローマ帝国の継承として存続しえた。カソリック教会は当時から精神的な共同体と移転でバーチャルな共同体としてあった。そうであれば、物理的空間をやすやすと飛び越える電子的な媒介=メディアの装置を、精神的な関係と結びつけることはカソリックのマクルーハンにとっては自然なことだった。

このように『アエネーイス』はfacebookの方向性にヒントを与えている。『アエネーイス』はヨーロッパの精神、つまり、常に前進し拡大し続ける精神というものを築いたと言われる。これは、ゼロから何かを築き続ける精神であって、何かに対抗しようとするものではない。つまり、カウンターカルチャー時代の発想とは随分異なると言ってよいだろう。誰かへの対抗心、抵抗姿勢とは無縁な中で、一つの価値を愚直に追求しようとする。拡張することへの意義を確信した振る舞いと言える。

ザッカーバーグの内にカウンターカルチャーに代わる想像力の源泉を探すうちに、彼の発想の背後には、『アエネーイス』に触れる機会を与えるようなアメリカの文化的伝統があることが見えてきた。さしあたって、ザッカーバーグに到るまで繰り返されるアメリカの文化的伝統を「アメリカのプログラム」と名付け、次章では、その諸相を探る。

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