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2011年8月 5日 (金)

池田純一「ウェブ×ソーシャル×アメリカ 〈全球時代〉の構想力」(12)

19世紀の終わり、ウィリアム・ジェイムズは、トクヴィルの考えた宗教の意義、つまり、平等社会の下での個々人の不安を和らげ、肯定的に人生を捉えようとした問題意識を継承した形で、宗教を教会や宗派のような組織から捉えるのではなく、あくまでも「ある個人にとって宗教的な体験とは何か」という点に注目して、アメリカにおける宗教を捉えようとした。ジェイムズによる宗教の定義は、端的に言えば、その人が宗教的と感じるならば、そこに宗教があるということだ。つまり、個々人のレベルで見た場合の、心のケアに繋がるような信心については、広く宗教的なものを認めようというものだ。アメリカが平等社会という理念からスタートしたからこそ、異質な人々との共存を否定できない。しかしながら、平等が実現しているはずとみなす態度は相応の心的圧力を人々に与えることになる。平等化した中でその平等な環境下での「私」の位置を巡る不安に対して、個々人のレベルでの心のケアがどうしても必要になる。そのケアを担うのが、伝統的か新興かを問わず宗教であり、あるいは、より世俗化されたセラピーやカウンセリングなどだ。そうした霊性文化を含めて、アメリカは信心が定着した社会と思ってよい。そのような平等原則社会における信心の重要性をジェイムズは19世紀末に再確認したのだった。ジェイムズは、このように宗教的であるかどうかによらず、「信じる」ことを信じた。ある確信に基づいた行動がその確信で想定した事実に辿り着くのであれば、その確信をさしあたって真理と呼んでもいいのではないだろうかというのが、彼の思想、プラグマティズムだ。つまり、何かを「信じる」ことの効果を肯定的に捉えた。「真理であることと信じたものが真理である」というのは、厳密に科学的な世界では承認しにくい世界観だろうが、ジェイムズはそのような姿勢を「信じた」のだった。

このように何かを信じて実践に臨むということが、実はアメリカでは多くみられる。信じて振る舞うことが現実を変える、というのはアメリカでは様々な運動の現場の中で見られる。カウンターカルチャー運動もその一例と見てよい。そうした社会的実践とともにある社会科学の分野でも、こうしたプラグマティックな真理観が重視されている。例えば破壊的イノベーションという経営戦略で有名な経営学者のクレイトン・クリステンセンがそうだ。

イノベーションのとの関係で、進化論としてのダーウィニズムは、19世紀アメリカでは近代性の象徴であり、それゆえ反宗教性の象徴となった。そのため進化論を認めるかどうかは、今日でも社会問題としてある。ビジネスの世界でも進化論に基づくevolutionという言葉は定着せず、代わりにinnovationが採られた。そのような背景を考慮すると、innvationという言葉には、単なる単線的な技術革新だけではなく、経営環境への適応を随時図り、それを通じて自身も変貌を遂げるevolutionの発想が背後に込められていると捉えるのがよいと思うことは多い。evolveは「外に向かって回転する」というのが原義で、「進化」という訳語にあるような前に進むというニュアンスはない。Evolutionは既に起こったこと、すなわち過去の出来事に対する反応で、「化ける」という言い方の方が近い。何かが内部から食い破って出てくるイメージだ。クリステンセンは、イノベーションという過程をevolution同様、一種の自然法則と捉えている。自然法則は人間の意志でどうこうできるものではない。だからこそ、イノベーションという自然法則扱いを巡って人間がジレンマを抱え、解答を模索することになる。その模索から知恵が生まれ、新たに工学的な対処方法が考案される。クリステンセンはinnvationevolutionのように、環境適応の帰結として現出するものと捉える。Evolutionは環境に対してただ起こるだけであり、そこから生じることにいいも悪いもない。同じことが彼の捉えるinnvatuionにも当てはまる。いいも悪いも人れ船の側で判断できない自然法則に対してinnovationのジレンマ(苦悩)が健闘される。そして、試みてみないことにはいいも悪いもない点でinnvationは、常に賭けとなるが、賭けは必然的に勝者と敗者を生み出す。シリコンバレーのinnvationはこうした見通しの上で賭けとしてなされる。そして、その賭けの精度を上げる努力を怠らない。だからこそ、夢も生まれる。このように物事を自然の側から見る(法則)か、人間の側から見る(意志)かは想像以上に大きな違いだ。

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