港徹雄「日本のものづくり 競争力基盤の変遷」(9)
7.第三の産業分水嶺へ
3D・ICT革新時代の到来によって第二の産業分水嶺が終焉し、21世紀以降には第三の産業分水嶺に突入した、第三の産業分水嶺の特徴の第一は、「柔軟な大量生産の時代」である。少量生産から大量生産まですべての生産がデジタル化された汎用的生産機器によって遂行されるようになり、大量生産であっても専用資産を必要としないために生産活動の重要性が容易に実現できるようになった。
第一の産業分水嶺では、大量生産のためには専用化された生産設備(企業特定資産)投資が必要となる。そして、企業特定資産は完成品メーカー自らが投資を行い、外注するサプライヤーが取引特定資産を必要とする場合には、メーカーがサプライヤーに貸与するか、その投資費用を負担するのが一般的であった。また、中・少量生産のためには熟練工がマニュアル操作する汎用的な生産設備が用いられた。第二の産業分水嶺では、大量生産のためには、第一の産業分水嶺と同様に専用的な生産設備が用いられた。しかし、外注先のサプライヤーが大量生産のために特定資産投資を必要とする場合には、サプライヤー自身が取引特定資産投資を実行するケースが一般化した。また、中・少量生産ではNC工作機械等汎用的な生産機器が用いられ、生産の柔軟性と労働生産性の向上とが両立されるようになった。
これに対して第三の産業分水嶺では、三次元での開発・設計が可能となり、完成品メーカーと部品サプライヤーとが同時並行的に開発・設計を行い、部品要素間の「摺り合わせ」もサイバー上で実施することが可能になった。そして、完成した三次元設計図面はそのままマシニング・センター(MC)のような汎用的な生産設備に送られてほぼ自動的に生産がなされる。このため取引特定資産や取引企業間の緊密なコミュニケーションの必要性を大きく低下させ、企業間取引関係が流動化した。第一と第三の産業分水嶺は、共に大量生産における生産性の飛躍的な向上である。そして、第一の産業分水嶺では生産機器は高度に専用化されることによって、熟練労働に代替し、第三の産業分水嶺では、デジタル制御された生産機器が熟練労働に代替した。この結果、長期雇用に基づく熟練形成の役割が低下したため、雇用は流動化した、第一の産業分水嶺と第三の産業分水嶺とのもう一つの共通点は、企業間で分業されたものを統合するシステムが基本的には市場(価格)メカニズムを通じてなされることである。これは第二の産業分水嶺においては、企業間分業が長期継続取引を前提にしており、その取引が準内部的なメカニズムによって統御されるのとは対照をなしている。第一の産業分水嶺と第三の産業分水嶺の3番目の共通点は、グローバル規模での生産拡大と競争激化である。第二の産業分水嶺では、電子機器をはじめとするハイテク機械製品の生産は、高度な生産技術と製品開発技術を必要としている。このため、その生産の多くは先進経済諸国に限定され先進経済諸国間での競争に終始した。しかしながら、3D・ICT革新によって、熟練技能や生産管理技術がデジタル技術によって代替されるようになり、ネットワークの外部性を獲得するために先進技術の多くが公開され、技術の標準化が進展するようになると、それまで先進諸国以外の参加を阻止していた技術的な参入障壁が大幅に低まり、新興工業諸国をはじめ世界的規模で新規参入が拡大した。この結果、技術標準が確立した製品は、パソコンのようなハイテク製品であっても製品差別化は困難となり、価格での需要量が決定される市況商品(コモディティ)化が進展し、世界的規模で価格競争が激化した。コモディティ化した商品は急速な価格と付加価値率の低下に直面するようになり、先進経済諸国の企業がこうしたコモディティ化した産業部門で利益を確保することが困難となった。実際、コモディティ化を回避できない企業は収益性の低下に直面している。製品のコモディティ化を回避するほとんど唯一の方法は、基礎段階からの研究開発の効率性を高め、革新性の高いプロダクト・イノベーションを実現して製品差別化を図ることである。したがって、第三の産業分水嶺は、価値の源泉としての知的資産蓄積が決定的に重要となる段階でもある。
第三の産業分水嶺の重要な特徴は、第二の産業分水嶺で見られたような、企業間連携による知的生産性向上わりも、直接的に知的資産をよりも、直接的に知的資産を獲得するM&A(企業の買収・合併)が選好される傾向が強いことである。また開発者個人間のネットワークの重要性が格段に高まったことも大きな特徴をなしている。技術のオープン化・標準化の進展によって、ものづくり、とりわれ完成品レベルでの高付加価値率を実現するためには、革新的な機能部品(デバイス)や新機能を持った素材の開発がより重要になっている。また、第二の産業分水嶺を主導した組立型工業よりも、ファイン・ケミカル(医薬品等)のようなプロセス型産業がより高い付加価値を生み出す時代へと変化している。組立型機械工業が経済成長を主導した第二の産業分水嶺では、企業間の知的連携が知的生産性の向上にとって最も重要であった。なぜなら、組立型機械製品は比較的自己完結性が高い多数の部品によって構成されており、それらの部品メーカーと完成品メーカーとが共同開発連携を行うことによって、高付加価値が新機能部品や新素材そのものの開発に移るようになると、企業間の知的連携の余地は狭められるようになった。第三の産業分水嶺においては、高い付加価値を生む新機能部品や新素材、あるいは医薬品等の開発では開発プロセスの相互連関性が強く、企業間連携よりも統一した管理機構の許で一体的な技術開発を推進した方がより効率的である。なぜなら、こうした産業部門で技術開発に必要とされるのはテクノロジー(技術)よりもサイエンス(科学)に近い基礎的研究である。基礎的研究は技術開発に比較して、その応用領域が広いという特徴を有している。このため、企業間連携による共同開発の場合、その研究成果が共同研究課題以外に転用されるリスクは高く、企業間連携よりも企業買収(M&A)による研究開発プロセスの統合化が選好される。
また、第三の産業分水嶺で高い研究成果を達成するのは、累積(Incremental)型開発というよりは突破(Breakthrough)型開発である。こうした突破型技術開発では、開発者個人によって遂行される部分の重要性が高く、組織(チーム)の役割が相対的に低下している。そして、開発者個人の知的生産性の高さが企業の開発成果に直結しており、開発者個人の知的生産性は、その個人の資質と共に、その個人が形成する知的ネットワークの質にも依存している。実際、シリコンバレーの知的生産性が他の知的クラスターに比較して圧倒的に高いのは、開発者個人間のネットワークが高度に発展しているからである。
« 渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(20) | トップページ | 渡辺二郎「ハイデッガーの実存思想」(21) »
「ビジネス関係読書メモ」カテゴリの記事
- 琴坂将広「経営戦略原論」の感想(2019.06.28)
- 水口剛「ESG投資 新しい資本主義のかたち」(2018.05.25)
- 宮川壽夫「企業価値の神秘」(2018.05.13)
- 野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(10)(2015.09.16)
- 野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(9)(2015.09.16)
コメント