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2011年9月17日 (土)

港徹雄「日本のものづくり 競争力基盤の変遷」(2)

3.価格転嫁力の低下

日本の自動車メーカーは、これまで円高による円建て輸出価格低下を、その非価格競争力を背景に、外貨建て輸出価格を値上げすることによって転嫁することが可能であった。ところが、2008年末以降の円高局面では輸出価格への転嫁はほとんど実現していない。

2000年代半ばまでは強靭な非価格的競争力を維持してきた日本の主要輸出産業である輸送用機器は、2000年代後半になると、品質優位性の程度は、諸外国のライバル・メーカーの品質向上によって相対的に低下した。このため円高の影響を輸出価格引き上げによって転嫁することが困難となっている。

4.日本車の品質評価低下

自動車産業は日本のものづくりの高い能力を全面的に体化し、日本の経済成長を主導するリーディング・セクターであった。実際、日本の自動車メーカーは1980年代には、その効率的な企業間分業システムと高いものづくり能力によって圧倒的な品質の優位性を確立し、強い非価格的競争力を実現させてきた。しかし、こうした圧倒的な品質の優位性は2005年までであり、近年その競争力は大きく変質している。そして、1980年代には日本車に比べて競争劣位にあった韓国自動車メーカーの現代自動車は、日本メーカーを超える高い品質評価を獲得するようになっている。日系自動車メーカーの品質評価は総じて低下傾向にある。これは、日系自動車メーカーの品質水準が低下したというよりも、米国系自動車メーカーや韓国系自動車メーカーの品質水準が21世紀以降、急速に向上しているためである。このように近年の、海外の自動車メーカーの品質水準が向上した背景には、1980年代後半以降に日本のサプライヤー・システムの利点を、各国の産業風土に適合するように変容させながら移植する努力が奏功したこと、また、前項の3DICT革新を積極的に生産システムに導入した結果であると考えられる。

5.生産技術の国際拡散

1990年代末以降、日本産業の国際競争力の中核をなしてきた生産技術の、海外、とりわけ東アジア諸国への移転・拡散が急速に進展している日本の生産技術の国際的拡散を促す要因として、次の4点が指摘される。

第一の要因は、生産技術の多くが高性能のデジタル化された生産設備によって代替されたことによって、生産技術の国際移転性が高められたことである。かつて日本の生産技術は暗黙知の部分が多く、技術者や技能者個人に体化されているために、その生産技術の拡散はせいぜい国内企業に限定されてきた。このように、日本の産業社会に固有で国際移転性が低いという生産技術特性が、20世紀末までに日本産器用の持続的な国際競争力に寄与していたと言える。ところが、暗黙知化されてきた技能のかなりの部分が生産機械の高度な発達によってデジタル化され、国際移転性の高い形式知化されるになったためである。

第二に、先進的な生産機器をもってしても代替されない暗黙知については、日本の技術者や熟練労働者を直接雇用することで移転しようとする現地企業が、韓国、台湾ばかりでなく、中国やタイでも増加しており、日本人技術者や熟練労働者需要が東アジア全域で高まっている。同時に日本人技術者や熟練労働者の現地企業への供給を促進する要因も1990年代以降高まっている。日本輸出産業、とりわけ、大手電気・電子機器メーカーは90年代以降、長期的な経営不振によって大規模なリストラを実施してきた。そうして事実上解雇された従業員が新たな雇用先を現地企業に求めたのである。

第三に、生産技術や技能集約型産業での海外企業との合弁事業や、技術提携の増加による生産技術の国際移転が進展していることである。こうした提携を通じて、現地企業に日本企業から技術者や技能労働者が派遣されている。国際提携の増加も生産技術移転の重要なチャネルとなっている。

第四に、これまで中間財メーカーや生産設備メーカーの多くは、日本企業の生産系列傘下にあり、系列外企業への販売が制約されてきた。しかし、1990年代以降になると系列解体の動きが強まり取引の自由度が増したため、中間財メーカーや生産設備メーカーは海外企業への販売を拡大し始めた。この背景には、国内の完成品メーカーの成長鈍化によって、系列メーカーからの購買が落ち込んだことにある。また、液晶テレビのように製品イノベーションによって、従来のアナログ製品の時代とは異なった中間財や生産設備サプライヤーへの需要が増加した。こうした新たなサプライヤーは従来の系列傘下ではないため、海外企業にも自由にその製品を供給できた。液晶テレビや半導体生産にとって生産設備の性能は競争力に直結する。日本の生産設備メーカーは、90年代末以降に技術開発によってその製品の高性能化を一段と進展させたが、日本のメーカーは設備投資意欲が冷え込んでおり、こうした最新鋭の高性能機器は日本企業よりも韓国・台湾などの東アジア地域の企業によって積極的に導入された。この結果、これらの企業で半導体生産や薄型テレビの国際競争力が高まった。

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