港徹雄「日本のものづくり 競争力基盤の変遷」(7)
第2章 分業システム転換と国際競争力
1.100年の三度の大転換
2010年までの1世紀の間に、世界は三度の大きな域内分業システムの転換を経験してきた。こうした域内分業システムの大転換を、ピオリ・セーブル(1984年)に倣って産業分水嶺(Industrial Divide)と呼称すると、第一の産業分水嶺は、ヘンリー・フォードによって創案された1908年のT型フォード車の生産開始によって具体化されたフォード型大量生産システム(フォーディズム)によってもたらされた。
1970年以降になると、イタリアや日本等の産業集積地域(産地)で発展した、高度な技能労働力を有する専門化された企業(その大部分は中小企業)間の分業システムが、高い競争優位性を発揮するようになった。こうした企業間分業のあり方を「柔軟な専門化」と名付け、この柔軟な専門化が競争優位性を発揮する時代を第二の産業分水嶺とした、
ところが1990年代後半以降になって、急速な進歩を遂げていたコンピューターの心臓部であるMPUの能力がギガ・レベルになると新たな閾値に入り、三次元の情報処理が高速で可能となった。この3D・ICT革新によって域内分業システムは大きく転換を始めた。これを第三の分水嶺とする。
何れの時代にあっても、国際的な競争優位を勝ち取る、国、産業および企業は、それぞれの時代区分において特徴的な国際的な競争環境、これは技術的環境と市場的環境によって構成される、にもっともよく適合する域内分業システムを構築し得たものである。
2.第一の産業分水嶺
20世紀初頭の自動車メーカーでは、その素材や部品の大部分を外部の専門メーカーから購入し、自動車をどのように作るかという生産の意思決定は、現場のクラフトマンシップを持った熟練工の裁量に委ねられていた。外部から購入された部品は不揃いで互換性がなく、生産現場で熟練工がその不具合をいちいち調整しながら、汎用的な機械設備を用いて組立生産をしていた。
ヘンリー・フォードはそれまで効果で娯楽目的として限られた富裕層を対象にした自動車販売を、大衆が必要とする便利な移動手段と位置づけ、大衆が購入可能な価格での自動車生産を目指した。そのために、生産工程の変革を実施した。フォード生産システムの最大の特徴は、従来の固定生産方式ではなく、移動式の組み立てライン方式の採用にあった。そして、この移動式ラインを用いて企業間分業を徹底した。また、T型フォードはそれまでの自動車に比較すると、高張力のバナジウム鋼を用いることによって強度を維持しながら軽量化され、また、装備も簡素化されたが部品数はそれでも5千点を数えた。こうした多数の部品の大部分をフォード工場内で内省する高度な垂直統合型の生産方式が採用された。それは、従来のように専門部品メーカーからの購入に依存した生産では、品質のばらつきが大きく、また、フェード社の大量発注に安定的にサプライヤーが少なかったためである。フォードは特定の部品生産に専用化された工作機械を大量に投入し、また、マイクロゲージ゜を用いて品質精度を確保し、部品の互換性を確かなものとした。
第一の産業分水嶺を導いたフォード生産システムの特徴を要約すると、移動式生産ラインの採用、生産工程の細分化による作業の単純化・熟練労働者の必要性の低下、高度な内製化と専用機械・機器の多用である。
換言すれば、第一の産業分水嶺において、重要とされる生産要素は、大量の専用機械投資に必要な資本調達力、大量の半熟練労働力とそれを弾力的にとうにゅうするための雇用システム、生産管理を担当する技術者および大量生産された商品を販売する営業担当者であった。
3.第一の産業分水嶺の終焉
1910年代初頭にヘンリー・フォードによって創案された大量生産システムは多くの製造業で応用され米国産業生産力を飛躍的に拡大させ、世界恐慌の数年間を別にすると、半世紀にわたりアメリカに富みと繁栄をもたらした。しかし、1970年代入るとその行き詰まりが明らかになり始めた。
なぜ米国型大量生産システムが1970年代に限界に達し、70年代後半には日本型生産システムが競争優位を確立できたのであろうか。フォーディズムの限界は、実はその効率性の源泉と密接に関係している。つまり、工場内での生産性を高めるために、あらゆる部品が内製され、工場内分業を極限までに細分化し、各生産工程には特定車種の加工だけに専用化された各種生産機器が用いられた。また、現場労働者の課業も細分化され、単純作業が中心となり熟練形成や生産現場の知恵を活かす発意の機会はまったく与えられなかったのである。この結果、生産車種の多用かはほとんど困難となり、生産は黒塗りのT型フォード1車種に限定された。このようにフォード生産システムの原型では、技術や市場の変化に対応するための柔軟性が犠牲にされていたのである。こうした雇用・分業システムのもとでは、プロセス・イノベーションは起きにくく技術進歩も停滞的になる。また、技術や市場変化に迅速に対応した新商品の開発・生産も困難になる。
このようにアメリカの生産システムが優位性を発揮したのは、大量で同質的な需要がある場合、また、技術進歩がやる屋化で同一製品を長期間生産する場合に大きな成果を達成した。しかし、経済がさらに発展し人々の需要が多様化し、技術進歩が速くプロダクト・サイクルが短縮されるように競争環境が変化すると、その競争優位性を低下させた。アメリカ型生産システムの競争優位性が低下するにつれて、アメリカの貿易収支は悪化した。
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