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2011年9月25日 (日)

港徹雄「日本のものづくり 競争力基盤の変遷」(10)

第3章 分業システム転換と世界不況

世界規模での不況は、生産技術や需要構造の変化によって引き起こされた国際的な競争環境変化に対して、既存の域内分業システムの適合が同時並行的には進展し得ないことによる様々な摩擦が顕在化してものであると考えられる。換言すれば、産業分水嶺の移行過程に生じる現象であるといえよう。

1.第一の産業分水嶺と世界不況

1930年代初頭の世界恐慌は、1910年代からアメリカで確立された大量生産システムが欧米先進諸国を中心に本格的に普及した段階で発生したと考えられる。つまり、第一の産業分水嶺である生産システムの大規模な革新が、工業製品を大量かつ安価に供給させるようになったのに対して、需要(市場)システムや雇用システム等の経済システムが、それへの適合に遅れたことによる摩擦現象として理解刺されるべきである。

T型フォードに代表される自動車工業での大領生産システムは、1910年代中頃には確立・普及した。第一次大戦後の数年間は大量生産システムによって拡大した供給力の過剰は復興需要によって吸収されたが、1920年代になると供給力の過剰が表面化するようになり、デフレ圧力を強めるようになった。このように大量生産システムの本格的な普及による供給能力の急拡大に見合う大量消費市場は未だ確立されていなかったため、デフレ圧力が強まった。企業は過剰化した供給能力を圧縮するために、労働者を解雇したために大量の失業者が発生した。このため消費需要はさらに縮小し、失業が失業を呼ぶ悪循環を生じさせた。

したがって、この世界恐慌の原因である大幅な需給ギャップを改善しも失業の連鎖を断ち切って雇用を拡大するためには、ケインズ流の有効需要政策は効果的であった。しかし、フォード生産システムの普及による、供給能力の飛躍的拡大と大量生産された商品の急激な価格低下は、短期的な有効需要政策では解決されない問題である。より重要な課題は、大量生産システムによって急増した供給能力に対応した、新たな大量流通システムや大量消費システムが構築されることであった。また、大量生産システムが普及した産業部門の商品価格と、大量生産システムから取り残された産業部門、とりわけ、サービス産業部門での、財・サービス価格との間に生じた大きな相対価格差が調整され、新たな価格体系に消費行動が適合することが必要であった。事実、新たな産業システムへ適合するための経済構造調整は、世界恐慌を契機に進展した。つまり、1930年代には大量消費の象徴であるスーパーマーケットという新たな流通形態が生まれ、ラジオ等のマスメディアを活用した広告事業も活発化し、マーケティング技法も大きく進歩した。これにより大量生産された製品の大量流通・大量消費の基礎が築かれたのである。

2.第二の産業分水嶺と世界不況

第二の産業分水嶺の始発期である1970年代初頭には、産業システム転換摩擦による世界規模での不況は発生しなかった。

この第一の要因は、第二の産業分水嶺は、生産規模の急速な拡大を伴うシステム転換ではなかったことにある。つまり、第二の産業分水嶺は、技術革新や需要構造変化の加速化という国際競争環境に対して、高い適応能力を発揮する柔軟性の高い企業間分業システムが先進経済諸国を中心に普及したことによって生じたといえる。したがって、第一の産業分水嶺のように、生産技術体系の大変革による供給能力の大幅な拡大や破壊的な製品価格下落を伴うものではなかったためである。

第二の要因は、第二の産業分水嶺の特色は、コミュニティ的な長期継続取引を重視することにある。したがって、景気循環による不況期でも、安定的な取引関係の維持が優先された。また、長期雇用を前提にした熟練形成が重視されたために、景気変動による雇用量の調整は原則的に実施されなかった。さらに、賃金や生産物価格を引き下げるような激しい市場競争を、製品差別化によって回避しようとする傾向が認められたためである。

第三の要因は、柔軟な専門化は参加メンバーが制限された特定の地域(コミュニティ)内で実現され、その地域特有のネットワーク形成を前提にしている。いわば、地域(立地)特定資格蓄積による経済効果である。このため、こうした経済効果は地域外へのスピル・オーバーは限定的であり、その模倣も容易ではない。同様に、日本の下請分業システムは、日本の特異な産業発展過程でその取引慣行が形成された側面があり、そのシステムを直截に海外に移転することは困難である。

このように第二の産業分水嶺における企業間分業システムは、それを育んだ各国(地域)の特異性によるところが大きい。したがって、こうした企業間分業システムが、世界各国で定着するためには一定の時間経過を必要とするため、産業システム転換の世界的影響も分散的となる。このように第二の産業分水嶺の特色である柔軟な専門性を実現し得る企業間分業システムが確立し、それによる恩恵を享受し得た国は限定的であった。

このため、柔軟な専門化を実現する域内分業システム編成が進捗した諸国(地域)と、第二の産業分水嶺に乗り遅れた諸国(地域)とでは国際競争力格差が拡大した。

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