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2011年9月15日 (木)

港徹雄「日本のものづくり 競争力基盤の変遷」(1)

序章 ものづくり大国の黄昏

1.競争力としての分業システム

1970年代中頃から90年代中頃までの約20年間は、日本の製造業、とりわけ、多数の部品から構成される高度組立型機械工業の黄金期であった。そして、80年代中頃にはその絶頂期に達し、高品質で多様性に富んだ製品を迅速に供給し得る日本の生産システムは世界的な称賛を受け、先進諸国の機械工業部門では、こぞって日本型生産システムを導入するジャパナイゼーション現象がみられるまでになった。この時代においては、自動車工業をはじめ日本の機械工業製品は、その圧倒的な品質優位に支えられた非価格競争力によって、数次にわたる大幅な円高シフトにもかかわらず国内生産は拡大し、輸出を伸長させてきた。こうした日本の機械工業部門の強力な国際競争力を支えてきた基本的要素は、域内分業システム(Domestic Division of Labor)にあった。

域内分業システムとは、生産要素(労働と資本)が自由に移動できる特定の経済圏内で構成される分業システムである。域内分業システムの中でも、完成品メーカーと部品サプライヤーとの企業間分業システム、ものづくりの基盤をなすものである。また、日本の下請分業システムは企業間分業の一形態であるが、限定された企業間の長期継続取引、親企業による下請け企業に対するコントロールの存在等の取引関係の特異性が存在している。こうした特異性は、さまざまな経済効果を派生させ、企業間生産性を高めている。

下請分業システムが企業間生産性を高めた要因は、第一に、このような少数企業間の長期継続取引によって、企業間の長期継続取引によって、企業間分業に必要とされる取引コストを大幅に縮減させた。とりわけ、情報伝達コストを高めることなく企業間の濃密な情報交換を可能にした。第二に、下請け企業は、生産の自動化を高める専用機械・設備等の取引特定資産への投資を積極的に行い、コスト低減と品質向上とを同時的に達成してきた。第三に、下請企業は、特定の生産工程に専門化することによって、その専門領域の加工技術を深耕させてきた。第四に、安定した取引関係によって、下請企業でも長期的雇用が可能となり、従業員は取引特定技能水準を高度化させた。

2.3D・ICT革新の衝撃

1990年代後半以降になると情報通信技術(ICT)が急激に進化した。こうした段階でのICT革新を三次元ICT革新と呼ぶと、3D・ICT(3 Dimension Information Communication Technology)革新は、日本産業の競争優位性の源泉であった企業間生産性の高さを実現させてきた諸要素を、デジタル技術によって代替させグローバル規模で普遍的に利用できるようにした。

パソコンが三次元での情報処理能力を獲得するようになると、パソコン画面上で創られるサイバー世界と、人間が生産活動を行う現実の世界とが同一次元化することを意味している。三次元でのコンピュータを活用した設計と生産(CAD/CAM)がパソコン・レベルでも実現できるようになったことで、企業間分業によって個々の企業で生産された各パーツやコンポーネントを統合するための調整(摺りあわせ)の重要性は相対的に低下した。なぜなら、各パーツが製品にうまく適合できるかは、三次元の設計図面上で繰り返しシミュレーションすることもできるからである。また、二次元設計の時代には必須であった試作品製作も省略できるケースも増えている。三次元での機械加工を行うマシニング・センサー(MC)を制御するコンピューターの能力が急激に進化したことによってMCの自動制御精度が格段に向上し、これまでは熟練した技能工でしか実現できなかった高精度加工が半熟練レベルのオペレーターでも実行可能となった。

さらに、それまでは人間の視覚機能は複雑でその画像処理能力をコンピューターによって代替することは困難であったが、20世紀末になると人間の網膜機能を代替するような高画質、高速読み取り能力を持つCCDセンサーやCMDセンサーが開発されるようになった。これらの高機能のイメージ・センサーは、スチールカメラやビデオカメラに用いられただけでなく、各種の製造設備、とりわけ、それまで肉眼に頼っていた検査工程を自動化する装置として用いられるようになった。高機能のイメージ・センサーを組み込んだ検査装置の導入によって、検査工程の省力化が図られるばかりでなく、肉眼では見落としがちな微細な不具合も検出することが可能になった。この結果、高度な品質管理が、QCサークル等によらなくても実現できるようになり、日本製品の圧倒的な品質による優位性が相対的に低下した。

つまり、20世紀末以降のデジタル技術の発展は、熟練技能や人間の五感をも代替する段階に到達している。

20世紀末になると、インターネットの世界でも革命的な変化が起きた。光ファイバー・ケーブル網の普及によって、毎秒100メガ・ビットの送受信が可能となった。この結果、三次元設計図や大量のデータが瞬時に、しかも、ほとんど追加的費用なしで世界中に送受信されるようになった。このことは、世界中に情報を伝達するための神経系統が完成したことを含意している。つまり、パソコンが三次元の情報処理能力を獲得したこと、人間の技能や語感がデジタル技術によって代替されるようになったこと、インターネットが三次元の画像情報等の大容量情報を世界中に瞬時に伝達する神経系統の役割を果たすようになったことが、3DICT革新の本質的特徴である。3DICT革新は、20世紀末に先進経済諸国で普及したが、21世紀に入ると、発展途上諸国にまで普及するようになり、国際競争環境を大きく変貌させるようになった。

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