港徹雄「日本のものづくり 競争力基盤の変遷」(11)
3.世紀末繁栄を支えたICT革新
第二の産業分水嶺期である1980年から90年末まで、世界的不況が発生しなかった、もう一つの特異な要因は、情報通信技術(ICT)革新、とりわけ、インターネットの発明とその普及による新産業への需要拡大が先進国経済をリードしたことにある。
とくに、米国シリコンバレーを中心にインタへネット関連のサーバー製造やインターネット通信関連ソフト開発、さらにインターネット検索サービス等多様な事業分野で多くのベンチャーが創出された。これらのベンチャーは90年代に急成長を遂げ、雇用を拡大させた。インターネットの発展を主導した米国経済は1992年以降2000年まで9年間にわたって安定した景気拡大を実現した。20世紀末のこうした米国経済の好調を背景に、米国エコノミストのなかに「ニューエコノミー」論が幅を利かせるようになった。つまり、ソフトウェア・情報通信産業が主導産業となった新しい経済では、低失業率と物価安定とを両立させた持続的な経済成長が実現し得るという主張である。このニューエコノミー論の論拠として、まず、情報通信産業は既存産業とは異なって、限界生産費はゼロに限りなく近く、生産規模がいくら拡大しても収益性は上昇を続ける「収穫逓増」型産業であること。第二に、情報・ソフトウェア産業は製造業とは異なって在庫そのものを必要としない産業であり、また、既存の製造業でも最新の情報技術を活用することによって在庫管理能力が飛躍的に向上し、常に適正在庫水準を維持できるようになったため、景気変動の主要因である在庫循環が生じないことを指摘している。
しかし、ニューエコノミー論者の成長持続論にも関わらず、アメリカの景気は、21世紀に入ると大きく減速した。20世紀末に米国経済の成長を牽引した情報通信技術革新が、何故21世紀に入ると急激にそのパワーを減退させたのか。その第一の理由は、インターネットの急速な普及と成熟化にある。商用インターネット人口は1990年から2000年までの10年間で爆発的な膨張を遂げたが、21世紀以降は先進諸国ではすでに成熟産業化し、伸び率が大幅に鈍化していることが成長牽引力の低下の要因として指摘される。物的財で新規の革新的製品が開発されたとしても、その導入から成熟までには20年近い期間を要することを勘案すると、ICT産業のライフサイクルは著しく短いと言える。第二の理由は、ソフトウェアなどの情報財には更新投資が存在しないことである。ソフトウェア等の情報財の経済特性が需要の鈍化と大きく関係している。つまり、通常の機械設備等の物的財は使用によって確実に減耗し、一定の耐用年数を経ると更新投資が見込まれるが、ソフトウェアのような情報財の場合には使用による減耗は生じず、したがって、同一財の更新投資は期待できない。ソフトウェア投資は、コンピュータ・システムの抜本的な変更のない限り、追加投資を必要としない。パソコンに用いられるソフトウェアについても同様であり、使用による減耗がないから、その機能が画期的に向上した新バージョンが開発されない限り、新しいソフトウェアの切り替え需要は発生しない。とくに、2000年以降に新規に開発されたソフトウェアは20世紀のWindows98などのようなものに比べると革新性は低く、買い替え需要も大きくは盛り上がらなかった。このことが世紀末成長を支えたソフトウェア産業が21世紀に入ってからは成長牽引威力を低下させた要因である。
4.3D・ICT革新と世界不況
2008年9月以降の世界不況の原因を、国際的な競争環境変化に伴う調整摩擦という観点から説明できる。
1990年代末頃から進展した3D・ICT革新は、第二の産業分水嶺において、付加価値成長の源泉であった「柔軟な専門化」による経済効果の大部分をデジタル技術で代替するまでになった。そしてこの3D・ICT革新によって主導される新たな生産技術体系には普遍性があり、これまで高度な機械生産と無縁であった発展途上諸国にも急速に普及するようになった。この結果、世界の競争環境は一変し、中国をはじめとする東アジア諸国の供給能力は急速に拡大した。このように、第一・第二の産業分水嶺が先進経済諸国の経済発展に有利に作用したのに対して、第三の産業分水嶺は、発展途上国の産業、とりわけ製造部門の発展にとってより有利に作用している。このことが、第三の産業分水嶺の第一の特徴であり、近年、先進諸国における経済成長鈍化と、新興工業諸国における高い経済成長という成長率の二極化を産んでいる主要な要因となっている。
また、3D・ICT革新が世界経済へ及ぼす影響については、第一には、製品技術の標準化・公開化と生産技術のデジタル機器による代替化は、生産活動、とりわけ、機械生産のグローバルな拡大とそれに伴う製品価格の急激な低落をもたらしたことである。機械工業は先進経済の中核産業であり、従来は技術の蓄積不足は発展途上経済が機械産業部門へ参入するうえでの高い障壁となってきた。ところが、インターネットの普及は「ネットワークの外部性」の重要性を高め、多くの機器で技術の互換性確保が求められるようになった。この結果、技術の標準化と技術情報の解放が進展した。標準化され公開された技術を用いることで、先進経済でなくても容易に高度な機械機器が生産可能となった。また、国際的な競争に耐える機械機器の生産に必要な熟練技能や生産管理技術、つまり、「ものづくり」技術も三次元CAD/CAMシステムや生産管理ソフトウェアによって代替されるようになった。この結果、ハードウェアの生産管理機能は東アジア諸国を中心にグローバルに拡大し、製品価格の累積的低下をもたらした。
第二の影響は、熟練技能や企業特定技能の必要性が低下したことによる長期雇用の縮小と雇用の不安定化が雇用者所得の減少と消費支出の低迷をもたらし、不況を長期化させていることである。
第三の影響は、第二の産業分水嶺において大きな役割を果たした特定取引関係の流動化と企業間受注競争の激化をもたらした。受注の不安定化に直面したサプライヤーは設備投資を手控え、非正規労働への依存を一層高めるようになった。
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